望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

書籍

叙景短歌と「ただごと歌」― 「今ここ」の感覚

はじめに 叙景短歌とは、わたしが勝手に考えている「短歌」のスタイルだ。 mochizuki.hatenablog.jp mochizuki.hatenablog.jp 今回のブログでは、この「叙景短歌」と「ただごと歌」との相違点の検討したい。テキストとなるのは、現代、「ただごと歌」を意識…

叙景短歌における比喩の功罪 ―toron*の比喩の的確さ

はじめに 前回に続いて、テキストは『羽と風鈴』嶋稟太郎 から抜き書きした150首だ。今回のテーマは「叙景短歌における比喩の功罪」である。 比喩は限定する 比喩の大半は、作者が伝えたい事物を読者に届ける際、その性質を限定するために用いられる。ある時…

散文に似ることを恐れない ―『羽と風鈴』嶋稟太郎 を手本に

はじめに 手本にしたい短歌を見つけた 『羽と風鈴』嶋稟太郎 |短歌|書籍|書肆侃侃房 手にしたのは偶然だった。一読して、唖然とした。 しばらくは地上を走る電車から桜並木のある街を見た これは、短歌なのか? 赤い火がときおり起こるうなぎ屋の小さな窓…

俳句形式と詩の親和性について―皮膚の時差とエポケー句

皮膚 榮猿丸さん『点滅』は、あとがきにニーチェの「華やぐ知恵」の一説を引用している。 furansudo.ocnk.net 「表面に、皺に、皮膚に敢然として踏みとどまること」 全ては表層であり表層の襞としてのみ存在は顕れる、と、わたしは考えており、その意味にお…

Note of the note ―ノートの調べ  p.4 書かされる「日記」に関する一考察

はじめに 「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。第四回目は 非常に興味深い本を読んだので、その一部をご紹介しつつ…

Note of the note ―ノートの調べ p.3 南方熊楠さんの縁起するノート

はじめに 南方熊楠について語ることは、つねに多くの事を語り落とすこと、に他ならない。だが、彼の「知性」は「粘度をもつ全体性」としてあり、微細なことについても、広大なことについても、その「全体」が密接な連関をもって蠢くことによって、最適解を構…

Note of the note ―ノートの調べ  p.2 澁澤龍彥さんの創作ノート

はじめに 「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。第二回目は 澁澤龍彥さんの「創作ノート」を堪能する。 出典 KAWADE…

Note of the note ―ノートの調べ p.1 高山宏さんのコンポジション

はじめに 「Note of the note -ノートの調べ」 と題し今回から始める不定期シリーズ。 このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。 第一回目は 高山宏さんの「コンポジション」を堪能す…

新傾向といふ新しさの類似性 ―『植物祭』前川佐美雄さんから野村日魚子さんそして河東碧梧桐さん

はじめに 似ていることは悪いことではない。似てくることをおもしろいと思う。似ていると感じる私の感覚が固着しているのかもしれないし、定型を脱しようとする試みが普段意識されることのない日本語の天井にぶつかって似通った放物線に収斂してゆくのかもし…

兵庫ユカさん『七月の心臓』から

はじめに もしかしたらこのブログで兵庫ユカさんの『七月の心臓』をとりあげていなかったのではないかと記事検索をかけてみたら、やはりとりあげていないことが分かった。だから、今回はこの歌集のことを書く。 作者のことや、この歌集のことは、検索すれば…

語句をシェアしてパズルのように ―意味を窯変させる技法

はじめに 自動生成される俳句や短歌。それらは、語と語のなじみある繋がりを無視できるところに良さがある。日常の脳で、語と語をそのような関係性に置くことは規制されてしまう。この規制が言語ゲームのルールだと思い込まされてしまうネイティブにこそ、ラ…

大地震 トンボ ユウクリ 飛でいる ―熊谷守一語録

ことあるごとに思い出す。熊谷守一さんの作品は言葉によらない俳句であると思う。わたしは既に、熊谷守一さんについてのまとまった感想ブログを書いていたと思っていたのだが、過去記事検索してみると、まだ手付かずだった。 熊谷守一さんと高野素十さんとを…

自由律俳句を定形に戻してみる ―『井泉水句集』を読みながら

はじめに 昭和十二年一月七日発行 新潮文庫の『井泉水句集』は、いただいたものだ。この中の 星が出てくる砂にソーダ水の椅子 (p145) は、わたしに「キュビズム文」なる方法論を授けてくれた一句であるが、それはまた別のお話で。 わけのわからない衝動 座右…

皮膚についての著作を考える ―『皮膚、人間のすべてを語る』の個人的理想形とは

はじめに この本を借りて、読み通せなかった。 www.msz.co.jp理由は、こうした海外専門書にありがちな、妙に砕けた個人的エピドードの挿入頻度もさることながら、痒い所に手が届かない歯がゆさに、我慢できなくなったためである。 もちろん、本書に期待する…

穴埋め問題 ―『短歌の不思議』東直子

はじめに How to 短歌。そこには人それぞれにルールがある。文語か口語かなどの形式的な選択はもとより、短歌の文体について問えば、千差万別の目標と正解例が得られるだろう。だから、人はそれぞれが目指す短歌に沿ったHow to 本を選ばなければならない。「…

依他起性 ―フンボルト(という博物学者という点P)の冒険

はじめに 『フンボルトの冒険 自然という〈生命の網〉の発明』アンドレア・ウルフ著 鍛腹多惠子訳 NHK出版 www.nhk-book.co.jp 古来より、博物学者は蒐集する。整理・分類の情熱は、分けへだてるためではなく、共通点を見出すためである。なぜならば、この蒐…

歌留多遊び ―寺山修司さんの短歌を教材に

はじめに 思想家が陳腐な語や出来合いの表現を自分に禁じようとするのは、それらのせいで精神がなにごとにも驚かなくなり、日常生活が実用的なものとなるからだが、芸術家も同じようにして、不定形な物、つまり独特のかたち(フォルム)をもったものを研究す…

波頭の橋頭保としての『認知症世界の歩き方』

これは座右に置くべき、こわい本だ。 wrl.co.jp 唯脳論だとか、唯心論だとか、VRだとか、すべてこの世は虚構だとか、そういう言説は理解できるところもあって、結局は「脳」だよ。という感覚は理解できていたつもりだったのだが、それが現実の、ひじょうに身…

盲目の俳句・短歌集 ―視覚障害者が詠む俳句三百句・短歌二百四十首 発行メタ・ブレーン

はじめに 探していたのだ。目が不自由な方の句集を。 俳句はあまりに視覚偏重にすぎないか、というのがその動機だ。 もしかしたら、言葉(名前)そのものが、視覚的なのかもしれない。声字と書字という観点(という熟語もまた視覚偏重なのだが)から、そう考…

積読リスト2021

はじめに 買ってあるのにまだ読んでない本を積読と呼ぶが、「読みたいと思うがまだ読んでいない本のリスト」も積読なのではないかと思う。新刊ばかりではなく、むしろ古書店や図書館に軸足を置いて「読みたい」本をリストにする。その際に目安になるのは、や…

オーパーツ俳句 ―寺山修司俳句全集から拾う

はじめに 俳句の新しさとは、たとえばこういった俳句に驚くところに感じる 口淫は嘔吐に終はる麦茶かな 星野いのり 起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希 ヒアシンスしあわせがどうしても要る 福田若之 簡単に口説ける共同募金の子 北大路翼 パラフィン紙夏の名…

詩は俳句の(人の)形に写り込む―『素十全句集 秋』より「月」の俳句より

はじめに 英国式庭園殺人事件(グリーナウェイ監督)では、庭園を写生する絵師が写生機械と化して写生に没頭するあまり、自らが殺人事件の目撃者となっていることにその時は気付かぬまま、その克明な記録を残していたという、重要な要素があったと記憶してい…

詩はフレーズに宿るか ―『現代短歌の鑑賞101』より

はじめに 現代短歌の鑑賞101はひじょうに読み応えのあるアーカイブである。 www.shinshokan.co.jp明治三十六年生の前川佐美雄さんの「胸のうちいちど空にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし」から、昭和四十五年生の梅内美華子さんの「蜜蜂が君の肉…

読みながら書くブログ 『俳句入門三十三講』飯田龍太 その3 22~ 33

さらに圧縮して記す 22 前衛と伝統 キリスト教は人間の生きざまを非常にこまやかに、ないしは微妙に、一貫して教えておるように思う。ところが、仏教のほうはというと、生きざまというより死にざまにほうにとりわけ重点を置いておる。 指先の草の匂ひが取…

読みながら書くブログ 『俳句入門三十三講』飯田龍太 その2 7~ 21

前回からの続き。もっと圧縮しないと終わらないと気付く。 7 独自性と完成度 オリジナリティーはその作品の意匠ではないということを念頭におくことが肝要であり、完成度の高い作品ほど、その底に流れるオリジナルな味わいは強いのだと思う。 冬の滝ひびき…

読みながら書くブログ 『俳句入門三十三講』飯田龍太 はじめに~6

はじめに 読書が捗らない。思うことは多々あれど、読書経験という裏打ちがなければペラペラなブログでしかない。読んでから、書く。の読むができないから書く。も出来ない。そんなときのための「ざっくりさん」であり「メモ」である。だがしかし、書かないと…

ざっくりさん購読11「ミリンダ王の問い」11.第二編第三章の第三

第三 デーヴァダッタは何故に出家を許されたか? ミリンダ王(以下ミ):デーヴァダッタ(以下デーヴ)は誰に影響されて出家したんだっけ?ナーガセーナ(以下ナ):バッディヤ、アヌルッダ、アーナンダ、バグ、キンピラ、デーヴ、そして七人目に床屋のウパ…

なまなましいなまやさしさ ―松本てふこ句集『汗の果実』読後感

youshorinshop.com はじめに 風物から人物。静物から印象。詩から事実。 松本てふこさんの『汗の果実』という句集には、章立てのようなものがあり、順番に「皮」「種」「汗」「蔕(へた)」となっており、「ブドウ狩り」かしら、などと思うのはこのように書…

北原白秋さんのオノマトペリスト ―詩歌の部

はじめに 『NHK短歌 新版 作歌のヒント』永田和宏 NHK出版 の中の、「ヒント27」に、「エイッと、オノマトペ」という項があり、そこに「オノマトペといえば北原白秋」というような記述があり、 君かへす朝の舗石のさくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ ;の…

ざっくりさん講読 10 「ミリンダ王の問い」10.第二編第二章

第二 ブッダは全知者である ミリンダ王(以下ミ):ナーちゃん(ナーガセーナ)。ブッダは全知者なの? ナーガセーナ(以下ナ):そう。でも知識として知ってるんじゃないよ。知ろうとしたことをみんな知るんだよ。 ミ:知ろうとして知るのなら、全知者じゃ…