望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

書籍

穴埋め問題 ―『短歌の不思議』東直子

はじめに How to 短歌。そこには人それぞれにルールがある。文語か口語かなどの形式的な選択はもとより、短歌の文体について問えば、千差万別の目標と正解例が得られるだろう。だから、人はそれぞれが目指す短歌に沿ったHow to 本を選ばなければならない。「…

依他起性 ―フンボルト(という博物学者という点P)の冒険

はじめに 『フンボルトの冒険 自然という〈生命の網〉の発明』アンドレア・ウルフ著 鍛腹多惠子訳 NHK出版 www.nhk-book.co.jp 古来より、博物学者は蒐集する。整理・分類の情熱は、分けへだてるためではなく、共通点を見出すためである。なぜならば、この蒐…

歌留多遊び ―寺山修司さんの短歌を教材に

はじめに 思想家が陳腐な語や出来合いの表現を自分に禁じようとするのは、それらのせいで精神がなにごとにも驚かなくなり、日常生活が実用的なものとなるからだが、芸術家も同じようにして、不定形な物、つまり独特のかたち(フォルム)をもったものを研究す…

波頭の橋頭保としての『認知症世界の歩き方』

これは座右に置くべき、こわい本だ。 wrl.co.jp 唯脳論だとか、唯心論だとか、VRだとか、すべてこの世は虚構だとか、そういう言説は理解できるところもあって、結局は「脳」だよ。という感覚は理解できていたつもりだったのだが、それが現実の、ひじょうに身…

盲目の俳句・短歌集 ―視覚障害者が詠む俳句三百句・短歌二百四十首 発行メタ・ブレーン

はじめに 探していたのだ。目が不自由な方の句集を。 俳句はあまりに視覚偏重にすぎないか、というのがその動機だ。 もしかしたら、言葉(名前)そのものが、視覚的なのかもしれない。声字と書字という観点(という熟語もまた視覚偏重なのだが)から、そう考…

積読リスト2021

はじめに 買ってあるのにまだ読んでない本を積読と呼ぶが、「読みたいと思うがまだ読んでいない本のリスト」も積読なのではないかと思う。新刊ばかりではなく、むしろ古書店や図書館に軸足を置いて「読みたい」本をリストにする。その際に目安になるのは、や…

オーパーツ俳句 ―寺山修司俳句全集から拾う

はじめに 俳句の新しさとは、たとえばこういった俳句に驚くところに感じる 口淫は嘔吐に終はる麦茶かな 星野いのり 起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希 ヒアシンスしあわせがどうしても要る 福田若之 簡単に口説ける共同募金の子 北大路翼 パラフィン紙夏の名…

詩は俳句の(人の)形に写り込む―『素十全句集 秋』より「月」の俳句より

はじめに 英国式庭園殺人事件(グリーナウェイ監督)では、庭園を写生する絵師が写生機械と化して写生に没頭するあまり、自らが殺人事件の目撃者となっていることにその時は気付かぬまま、その克明な記録を残していたという、重要な要素があったと記憶してい…

詩はフレーズに宿るか ―『現代短歌の鑑賞101』より

はじめに 現代短歌の鑑賞101はひじょうに読み応えのあるアーカイブである。 www.shinshokan.co.jp明治三十六年生の前川佐美雄さんの「胸のうちいちど空にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし」から、昭和四十五年生の梅内美華子さんの「蜜蜂が君の肉…

読みながら書くブログ 『俳句入門三十三講』飯田龍太 その3 22~ 33

さらに圧縮して記す 22 前衛と伝統 キリスト教は人間の生きざまを非常にこまやかに、ないしは微妙に、一貫して教えておるように思う。ところが、仏教のほうはというと、生きざまというより死にざまにほうにとりわけ重点を置いておる。 指先の草の匂ひが取…

読みながら書くブログ 『俳句入門三十三講』飯田龍太 その2 7~ 21

前回からの続き。もっと圧縮しないと終わらないと気付く。 7 独自性と完成度 オリジナリティーはその作品の意匠ではないということを念頭におくことが肝要であり、完成度の高い作品ほど、その底に流れるオリジナルな味わいは強いのだと思う。 冬の滝ひびき…

読みながら書くブログ 『俳句入門三十三講』飯田龍太 はじめに~6

はじめに 読書が捗らない。思うことは多々あれど、読書経験という裏打ちがなければペラペラなブログでしかない。読んでから、書く。の読むができないから書く。も出来ない。そんなときのための「ざっくりさん」であり「メモ」である。だがしかし、書かないと…

ざっくりさん購読11「ミリンダ王の問い」11.第二編第三章の第三

第三 デーヴァダッタは何故に出家を許されたか? ミリンダ王(以下ミ):デーヴァダッタ(以下デーヴ)は誰に影響されて出家したんだっけ?ナーガセーナ(以下ナ):バッディヤ、アヌルッダ、アーナンダ、バグ、キンピラ、デーヴ、そして七人目に床屋のウパ…

なまなましいなまやさしさ ―松本てふこ句集『汗の果実』読後感

youshorinshop.com はじめに 風物から人物。静物から印象。詩から事実。 松本てふこさんの『汗の果実』という句集には、章立てのようなものがあり、順番に「皮」「種」「汗」「蔕(へた)」となっており、「ブドウ狩り」かしら、などと思うのはこのように書…

北原白秋さんのオノマトペリスト ―詩歌の部

はじめに 『NHK短歌 新版 作歌のヒント』永田和宏 NHK出版 の中の、「ヒント27」に、「エイッと、オノマトペ」という項があり、そこに「オノマトペといえば北原白秋」というような記述があり、 君かへす朝の舗石のさくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ ;の…

ざっくりさん講読 10 「ミリンダ王の問い」10.第二編第二章

第二 ブッダは全知者である ミリンダ王(以下ミ):ナーちゃん(ナーガセーナ)。ブッダは全知者なの? ナーガセーナ(以下ナ):そう。でも知識として知ってるんじゃないよ。知ろうとしたことをみんな知るんだよ。 ミ:知ろうとして知るのなら、全知者じゃ…

「詩」以外の『戦後詩』を読む ―『戦後詩 ユリシーズの不在』寺山修司

はじめに 詩について語ることはできない。 詩を理解することができない。わたしは詩を散文のように咀嚼してしまうので。 寺山修司さんが好きだ。『戦後詩』は塚本邦雄さんの短歌を漁っていて見つけた本だ。 前衛短歌。寺山修司さんには、少女詩集もあり、詩…

ノリ・メ・タンゲレ ―ドーナツの穴に触れるとは

はじめに 肉体に関わる際、避けて取れないテクストは、『聖書』のイエス=キリストの受難と復活とその後日譚で、特に、ヨハネによる福音書に詳しい。 というより、「ノリ・メ・タンゲレ」は、ヨハネによる福音書にしか記載されていない。 マタイ・マルコ・ル…

身体を離れないこと ―『舞踏のもう一つの唄』を読みながら

はじめに モーリス・ベジャールさんだ。 www.shinshokan.co.jp 舞踊、武道、音楽、体操(スポーツ)に関する達人の方々の言葉はとても重要だ。なぜならば、そういう方々は身体を熟知しようとする方々だからだ。 私たちは身体として存在している。この存在の…

隠喩的でない世界などない ―『ヴァレリー芸術と身体の哲学』の「序」を読んで

はじめに 広義における身体による芸術表現を考えるとき、必ず引き合いに出されるのがヴァレリーさんだ。そこで、タイトルの本を借りて読み始めている。 bookclub.kodansha.co.jp 伊東亜紗さんは、『どもる体』も書いており、他にも、私にとって当面、重要な…

「写真」を「俳句」に置き換えて読む ――ルイジ・ギッリ『写真講義』を読んで

はじめに www.msz.co.jp 捨てられない絵葉書のような、密やかなイメージを撮りつづけた写真家ルイジ・ギッリ(1943-1992)。その何気ない一枚の背後には、イメージに捉われ、イメージを通して思考する理論家ギッリがいる。自らの撮影技術を丁寧に示しながら…

『誰にも聞けない短歌の技法Q&A』 より

はじめに 俳句は悩まない。短歌は悩む。小説は悩むのが楽しいが、短歌で悩むことは苦しい。 だから、さまざまな入門書を読むのだが、結局のところ「なぜ短歌にするのか」という根源的な問いへの答えなど、あるはずはない。 苦しければあきらめればいい。 だ…

手帳の抜書の抜書202101-03 その2

(前回の続き) 『アドルノ 新音楽の哲学』より 音楽は仮象の欠如、すなわち形象をつくらないことによって他の芸術に対して特権をあたえられてはいるが、しかしその特殊な関心事と因襲による支配との倦まざる和解によって、力相応に、市民的芸術作品の仮象的…

短歌方面から気になる俳句 ―阿部完市さんの俳句に感じるメルヒェン

はじめに 「現代俳句大系」を書き写していたとき、奇異な感を得た俳句を書く俳人があった。写生句を中心に書き写しているなかで、その俳人の俳句群はとびっきり奇妙な、フォークロアというか、今昔物語的というか、ポンチ絵的というか、とにかく好ましいケレ…

『サラダ記念日』を改めて初めて読んだ ――言文一致体へ

はじめに あまりにも有名な俵万智さんの『サラダ記念日』 www.kawade.co.jp 1987年に、短歌を一新したエポックメイキングな歌集。 『口語を使った清新な表現で』と紹介文にもあるように、当時は「ああ、短歌はこんなに自然な言葉で作っていいんだ」と、…

共振する身心 ―宮沢賢治さんの短歌を拾う 

はじめに 今回のブログには、以下の内容を進めるための材料、つまり宮沢賢治さんの短歌をいくつか抜粋する。 mochizuki.hatenablog.jp わたしが、読んで短歌を書き写したのはこの本だ。 www.chikumashobo.co.jp 短歌は案外多い。因みに俳句は「菊花展」にか…

宮沢賢治の短歌(序説) ―不定形生命体という主体

はじめに このところ、短歌入門関連の書籍を立て続けに読んでいて、直近に読み終えたのは、この本だった。 www.kadokawa.co.jp 短歌の入門書としてどうか、というのは人それぞれにあうあわないがあるだろう。わたしは、俳句や短歌の入門書を読んで、作りたく…

挟み撃ちをスライスしてなんとなくクリスタルな純度98%の小説 ―『ヴィトゲンシュタインの愛人』 デイヴィッド・マークソン

はじめに 純度の高い小説は燃える。実際、この小説では本や家がよく燃える。そしてそこに残った焼け跡は、焼ける前よりも豊かだ。それは余剰によって豊かなのではなく、消尽によって豊かにされるしかなかった。抉られた傷に再生する肉片がつねに盛り上がるよ…

鏡はツルツルだということ ―『鏡と皮膚 芸術のミュトロギュア』

はじめに 本書のタイトルをみて、読まねばと思って読んだ。以下はその感想とまとめ。 www.chikumashobo.co.jp 鏡は皮膚とは違う。見られるモノである、という一点を除いては。 シュミラークルにまつわる議論は、だから退屈だ。むろん本書はそのような退屈さ…

塚本邦雄『秀吟百趣』メモ 二

前回からの続きです。 飛鳥田孋無公(あすかたれいむこう) さびしさは星をのこせるしぐれかな 霧はれて湖におどろく寒さかな 河の水やはらかし焚火うつりゐる 返り花薄氷のいろになりきりぬ 秋風きよしわが魂を眼にうかべ 昭和五年三十五歳の作。この3年後…