ノートメモ
はじめに 「空想技師集団」という話を、もう長いことかいていて終わらない。今回はその続きを書くための試論だ。 忘却を越えて 登場人物も、その関係性も、当初の役割と構想も、場面の推移も、伏線も、現在の情勢も、死者と生者の区別も、時系列も、解決済か…
はじめに 「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。第四回目は 非常に興味深い本を読んだので、その一部をご紹介しつつ…
はじめに 南方熊楠について語ることは、つねに多くの事を語り落とすこと、に他ならない。だが、彼の「知性」は「粘度をもつ全体性」としてあり、微細なことについても、広大なことについても、その「全体」が密接な連関をもって蠢くことによって、最適解を構…
はじめに 「Note of the note -ノートの調べ」 と題し今回から始める不定期シリーズ。 このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。 第一回目は 高山宏さんの「コンポジション」を堪能す…
はじめに kotobank.jp 世の中のほとんどすべてのストーリーがこのタイプに分類される。わたしはこの手のストーリーにうんざりしている。なぜならみんな同じだからだ。 気味の悪さ 未成熟者が経験を経て成熟する。クリアできなかった課題をクリアできるように…
はじめに 買ってあるのにまだ読んでない本を積読と呼ぶが、「読みたいと思うがまだ読んでいない本のリスト」も積読なのではないかと思う。新刊ばかりではなく、むしろ古書店や図書館に軸足を置いて「読みたい」本をリストにする。その際に目安になるのは、や…
はじめに 読書が捗らない。思うことは多々あれど、読書経験という裏打ちがなければペラペラなブログでしかない。読んでから、書く。の読むができないから書く。も出来ない。そんなときのための「ざっくりさん」であり「メモ」である。だがしかし、書かないと…
(前回の続き) 『アドルノ 新音楽の哲学』より 音楽は仮象の欠如、すなわち形象をつくらないことによって他の芸術に対して特権をあたえられてはいるが、しかしその特殊な関心事と因襲による支配との倦まざる和解によって、力相応に、市民的芸術作品の仮象的…
はじめに 抜書しながら本を読む。その場で抜書できなけば付箋を挟んでおいて、あとで抜書する。手帳の抜書は後にノートへまとめて書き写すのだが、ノートに書き写すタイミングを逃している抜書が手帳に溜まってきている。自筆の手書きは時ともに判読不能にな…
はじめに ノートがある。自分以外には何の意味もないノートがある。後日、必ず(自分のために)役立つ資料となるノートの断片だが、いざそのとき、ノートのままでは閲覧性に難がある。なぜなら、可読性が著しく悪い文字を書いているから。 そこで、まとめて…