望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

意味

歌留多遊び ―寺山修司さんの短歌を教材に

はじめに 思想家が陳腐な語や出来合いの表現を自分に禁じようとするのは、それらのせいで精神がなにごとにも驚かなくなり、日常生活が実用的なものとなるからだが、芸術家も同じようにして、不定形な物、つまり独特のかたち(フォルム)をもったものを研究す…

隠喩的でない世界などない ―『ヴァレリー芸術と身体の哲学』の「序」を読んで

はじめに 広義における身体による芸術表現を考えるとき、必ず引き合いに出されるのがヴァレリーさんだ。そこで、タイトルの本を借りて読み始めている。 bookclub.kodansha.co.jp 伊東亜紗さんは、『どもる体』も書いており、他にも、私にとって当面、重要な…

手帳の抜書の抜書202101-03 その2

(前回の続き) 『アドルノ 新音楽の哲学』より 音楽は仮象の欠如、すなわち形象をつくらないことによって他の芸術に対して特権をあたえられてはいるが、しかしその特殊な関心事と因襲による支配との倦まざる和解によって、力相応に、市民的芸術作品の仮象的…

コトは切断出来ないということ ―阿部完市と熊谷守一と島田修二

はじめに 前回も引いた以下のサイト。 weekly-haiku.blogspot.com ここに、とても興味深い「俳論」が引用されている。今回のブログはこの論について思ったことを記していく。 1.新しい回路基板の実装 俳句を作る、一句を成就するということは、言葉、言語…

『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』を私すること

はじめに 1998年10月に出版された本書を、2020年6月に読む理由は、現在、私が考えている事に有用であろうと思ったからだ。 書き手と読み手との間に生じる「時差」を明確に意識することも、その考えている事の一つだった。 また、パロールとエクリ…

「お茶の水」問題

はじめに twitterにこんなこと書いて、ずっと考えている。 「お茶の水」ってすごく尖ってて洗練された表現だと思うから、この感じの関係性を探してるけど、ぜんぜん見つからない。朝顔の種(関係が違う)目玉焼きの卵(韻律がよくない)昨日の今日(対象が異…

接続詞 ―「間」にある主観

はじめに 自明のこと。だが、自明、だからこそ、それを抜きにし、ては、伝わらないことが。 むしろ、「接続詞」だけが、私を構成しているといえる、ので、はないか? 接続詞は記号に擬態した感嘆詞である さらに、また、感嘆符(!)ですらある。 繰り返す、…

漫才の文体 ――THE MANZAI 2019の感想

はじめに 2019年12月8日に放送した THE MANZAI を見ました。漫才はやはりおもしろいなと思いました。印象に残った漫才コンビのことを、忘備録として記しておきます。 出演者1 漫才を見ていると「文体」のことを思います。 相方という「擬似的な他者…

芸術性の有無を判断する基準 ―静謐な詩情が掠める何か

はじめに 基準はもっていていいと思う。たとえその基準が人それぞれであり互いの基準を互いに受け入れることができず、己の基準を押し付けあうという不毛ないざこざが起ころうとも、「表現に芸術性を見出す基準」は、それぞれが持っていてしかるべきである。…

仏教にとって移動とは何か ―無常といふこと

はじめに 「一所不在の業があるから大変だよ」と『ブッダの方舟』で中沢新一さんが話していた。私はこのような業を「無常」を感ずるための業なのではないかと考えている。 蝶のように舞い 一つのところにとどまらず、絶えず移動し続けることは、ボクシングの…

芸術は「非ー意味」であれ ―『草枕』への往還

はじめに 芸術は「非ー意味」を表現する。 この世界は、張り巡らされた「意味」という、通常であれば堅固な地盤の上に建っているように感じられる。だが、その大地が地震によって揺り動かされるたびに、磐石と感じていた地面が、表層という卵の殻のように薄…

言葉と意味と音と無意味

はじめに 分節により「意味」が生じた。ただし、まだそれが「意味するモノ」は生じていなかったし、「意味を表すモノ(音や記号)」なども生じていない状態だった。「そのような『意味』を認識するモノ」も生じておらず、分節された意味の間に序列も生じてい…

誤字脱字の無表情さ ―脳内細菌としての文字

はじめに 私の書くものには「誤字脱字変換ミス」が非常に多い。それは、書くときも読むときも、一文字一文字を見ているわけではないからだ。一文字毎に引っかかっていては、「意味・文脈」を捉えることが困難になる。だが、それに気づいたときにはとても恥ず…

泥濘の公理系 ―言語・VR・貨幣

はじめに 「記号は意味を持たない」ここは絶対に譲れない。 意味をもつ記号は言語と呼ばれるべきである。従って、記号が「指示記号」であるなら、それは言語の別名であって「記号」ではない。 「記号」は何をもって「記号」たりうるのか?それは、単なる落書…

知識は去勢ではない ―トペで飛べ

意味 世界は意味で溢れている。(谷川俊太郎さんは、意味と無意味との間には「意味ありげ」がある。とおっしゃていた。だが、「意味ありげ」とは、なんとも下品な在り方だと私は思う) 意味の構造 意味は「表現」されねば顕在化しない。「意味」は必ず別の「…