はじめに
2019年12月8日に放送した THE MANZAI を見ました。漫才はやはりおもしろいなと思いました。印象に残った漫才コンビのことを、忘備録として記しておきます。
漫才を見ていると「文体」のことを思います。
相方という「擬似的な他者」の役割をもち、漫才コンビそのものが「異邦人」としてあるような形式を持つ漫才とは、最終的には「小説」にならざるをえないと思うからです。
逆に言えば私にとって、「小説」になっていない漫才は、私にはおもしろくないということです。
ナイツさん
爆笑問題さん潰しだな、と感じました。ナイツさんが選択する形式は、常に過激です。正当であり、保守的であることが最も革新的であるということを、ナイツさんを見るたびに思います。
今回は、徹底的な時事ネタで、事件の関係をズラし茶化しながら本質を顕にさせるという漫才の王道であり、爆笑問題さんの形式そのままを、現在の爆笑問題さんたちよりも数段巧みに演じて見せた点で、すばらしいと思いました。爆笑問題さんに衰えを感じる今、漫才の正統はここにある、と思います。
笑い飯さん
安定の構造でした。見せ方を「応酬」から「提案」に変えてまろやかにして、流れを重視するスタイルにすることで、「奇妙さ」が際立ってきていると思いました。無関係な二物になぜか寄っていってしまう提案の行き着いた先にあるスタイルの完成度がすばらしいと思いました。
総括でたけしさんも言っていましたが、「中堅がスタイルを変えてきた」というのが目立つ回だったなと思います。銀シャリさんも、ボケと突っ込みを変えていたり、和牛さんも少し前から、アクを抜いたネタをやっているように思います。そんな中、同じスタイルの安定感で笑わせてくれる中堅(というかもうベテラン)のネタは、やはりおもしろいなと感じました。
パンクブーブーさん
常に、「言葉」の自明性に異を唱えるネタを作ってくれていて、とてもおもしろいです。日常的な言葉の日常的な意味。でもそれが、送り手と受け手とで、当然のように日常的に行き来していること、コミュニケーションの奇跡を、今回も感じさせてくれました。
ウーマンラッシュアワーさん
笑いを自虐でしか生み出せなかったとしても、とことん突き進んでほしいと思いました。そして「漫才」に踏み止まってほしいと思いました。
それは、漫才という制約内に閉じる、ということではなく 漫才を拡張することであり、笑いを変質させることだと思いました。笑いはあらゆる社会的規制を逸脱するモノに出会った人間がとりうる唯一の態度ですし、そういう笑いが私は好きです。
「緊張の緩和」などというくだらない「安堵の笑い」にとどまらないで、緊張を漲らせたままで笑わせる力を発揮してほしいです。
千鳥さん
「こわいんじゃ」というツッコミから、一気にジャンプしたと感じました。
形式的にはかつてのスネークマンショーのネタ(よいものもあればわるいものもある)の踏襲にすぎないので、あとはどこまで徹底できるか。引っ張れるか。得体の知れない他者に変身する極限まで、繰り返せるか、だったと思いますが、すごかったと思いました。
とろサーモンさん
「文体」という点で、今回もっとも刺激的だったネタでした。
話下手の怪談選手権。という企画を、以前どこかで見た気がしますが、ゆっくりさん朗読のような文体をあえて取り入れて、不穏で得体の知れない何者かになりおおせてしまえば、あとはどのような展開をも、聴かされてしまわずにはおられない。途中で「もう聴くのやめた」ということができない魅力が、あの文体にはありました。一体、どこまでつれていかれしまうのだろう。という底なし沼の文体。とてもすてきでした。
おわりに
漫才は「言葉」のやり取りである以上、これは「文学」であり、教えるー学ぶ、という関係の反復である限りにおいて「小説」として成立しうると思います。
今後も、漫才をたくさん見たいです。