望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

動態論

観念論的唯物論 ―イデアと名前

はじめに 理解とは現象を名づけること、ということになっている。 「あの空の七色のアーチは何かしら」「あれは虹さ」ここで、「虹」という名を知ったことで、それまでその名前を知らなかった人の知見の変化量は「虹」という名前が増えただけのことだ。 だが…

知恵と慈悲〈ブッダ〉 再読中

はじめに 「無我」とは全てが「無常」であるとの認識により導き出される姿勢であり、「無常」とは「縁起」という存在論が示す解答である。 宗教とセミナー(余談) わたしは存在論として仏教の法のラインに立つ者であることを自覚している。つまり、仏教を直…

詩は俳句の(人の)形に写り込む―『素十全句集 秋』より「月」の俳句より

はじめに 英国式庭園殺人事件(グリーナウェイ監督)では、庭園を写生する絵師が写生機械と化して写生に没頭するあまり、自らが殺人事件の目撃者となっていることにその時は気付かぬまま、その克明な記録を残していたという、重要な要素があったと記憶してい…

「詩」以外の『戦後詩』を読む ―『戦後詩 ユリシーズの不在』寺山修司

はじめに 詩について語ることはできない。 詩を理解することができない。わたしは詩を散文のように咀嚼してしまうので。 寺山修司さんが好きだ。『戦後詩』は塚本邦雄さんの短歌を漁っていて見つけた本だ。 前衛短歌。寺山修司さんには、少女詩集もあり、詩…

手帳の抜書の抜書202101-03 その2

(前回の続き) 『アドルノ 新音楽の哲学』より 音楽は仮象の欠如、すなわち形象をつくらないことによって他の芸術に対して特権をあたえられてはいるが、しかしその特殊な関心事と因襲による支配との倦まざる和解によって、力相応に、市民的芸術作品の仮象的…

コトは切断出来ないということ ―阿部完市と熊谷守一と島田修二

はじめに 前回も引いた以下のサイト。 weekly-haiku.blogspot.com ここに、とても興味深い「俳論」が引用されている。今回のブログはこの論について思ったことを記していく。 1.新しい回路基板の実装 俳句を作る、一句を成就するということは、言葉、言語…

『レンマ学』から始まるノート 1 ―言語眼鏡による転倒

はじめに 中沢新一さんの『レンマ学』は、とってもお得な一冊だ。なにしろこれは中沢さんの集大成の根本テキストなのだから。 bookclub.kodansha.co.jp その中心には「華厳経」がある。まだぜんぜん途中までしか読んでいないが、私はこんな感想を書いた。 中…

Back skippers から A slanting slider へ ――『日本文学の大地』考

はじめに 『日本文学の大地』という中沢新一さんの文庫本を読んでいて不思議だったのは、「なぜ、今日本古典文学を読むのか?」でした。しかし、この本はまさに「今、私が読むべき本だった」と気づいたとき、その疑問は吹き飛んでしまいました。 www.kadokaw…

仏教にとって移動とは何か ―無常といふこと

はじめに 「一所不在の業があるから大変だよ」と『ブッダの方舟』で中沢新一さんが話していた。私はこのような業を「無常」を感ずるための業なのではないかと考えている。 蝶のように舞い 一つのところにとどまらず、絶えず移動し続けることは、ボクシングの…

言葉と意味と音と無意味

はじめに 分節により「意味」が生じた。ただし、まだそれが「意味するモノ」は生じていなかったし、「意味を表すモノ(音や記号)」なども生じていない状態だった。「そのような『意味』を認識するモノ」も生じておらず、分節された意味の間に序列も生じてい…

時間を止めることと、時間のない世界で移動すること

はじめに 先日、こんなことを書いた。 「真如」もしくは「空」が分節することでこの世は始まりました。 「始まった」というのは文字通り、時を刻み始めた、と言い換えることもできるのですが、この「時を刻む」という観念こそが「分節」されたこの世を起点と…

「反ー存在」態としての人間 ―『意味の深みへ』を一読して

はじめに 井筒俊彦さんの『意味の深みへ』を一読し、現在は『コスモスとアンチコスモス』にとりかかっている。 この先、何度も読まなければならなくなる著作であり、読むたびに変化を余儀なくされる著作であることから、ここに一読した印象を記しておくこと…

着衣せる霊体に関する考察1

はじめに 心霊写真、心霊ビデオ。そこに写っている、または映っている、霊体はそのほとんどが着衣姿である。ほとんど、というか、ヌードの心霊写真というものを見た記憶がない。 心霊はなぜ着衣しているのか? 衣服までもが霊体と化すのは何故か? 先日、こ…

岩波文庫より井筒俊彦さんの著作が立て続けに刊行された狂喜

はじめに 偶然立ち寄った本屋の岩波文庫のコーナーで見つけたのは、図書館の検索で「該当なし」だった、井筒俊彦さんの『神秘哲学 ギリシアの部』だった。そしてその隣には、『意味の深みへ 東洋哲学の水位』と『コスモスとアンチコスモス 東洋哲学のために…

『渦説』―存在様態としての心霊

はじめに #一行怪談創作部 というtwitterでの創作怪談コンテストへについて、『一行怪談』の作者は「怪談」をこのように定義している。 ただ、応募作品の中には「怪談」となっていないものも含まれていました。「怪談」の恐怖とはなにかと言えば(これも私の…

裏のない世界 ―龍の断面

はじめに ずっと、「裏」のことを考えていた。 「裏」は「裏ー表」の「裏」である限り、結局は表層に露呈しており、「表」と何らかわりがないのではないか。この世界のアクセス可能な面はすべて表であり、表裏とは相対的、まさに「陰日向」の違いのみである…

『中動態の世界』 から得たこと ―自由意思という束縛

はじめに とてもおもしろかった。スピノザさんを読むのに役立った。『探求Ⅱ』(柄谷行人さん)を読み返したくなった。 以下にこの読書で得られたテーマを羅列する。将来の(ブログの)肥やしのために。 ※今回のブログは、引用符外にも、この本から借りてきた…