望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

着衣せる霊体に関する考察1

はじめに

 心霊写真、心霊ビデオ。そこに写っている、または映っている、霊体はそのほとんどが着衣姿である。ほとんど、というか、ヌードの心霊写真というものを見た記憶がない。

心霊はなぜ着衣しているのか? 衣服までもが霊体と化すのは何故か?

 先日、このようなことを考えていたところ、これは案外根の深い問題提起であり、科学的かつ宗教的かつ哲学的な分野への射程を持つものであると気づいた。

 タイトルに「1」と番号を振ったのは、この射程の深さ、広さを予測したためである。

 このような問題を考察する場合は、くだくだしく文章を書き記していくのではなく、まず結論を記し、その結論に至る過程と、その過程の根拠とをを箇条書きであらわしていくのが常套だと思う。

 しかし、現時点での結論も仮定であるにすぎず、この仮定を論証すべく論を進めるなどという律儀さも持ち合わせてはいない。

 仮定など、より見栄えのよさそうなものがあれば、どんどん取り替えていくるもりである。

 従って、あちこち寄り道したり、思いつきで箇条書きに箇条書きが付与される場合も多々でてくると思われるが、そのような仮定が、楽しくて仕方がないのだ。

 もし、同じような疑問を抱いている方がいらっしゃるのなら、ぜひご意見をいただきたい。私は、有用と思われる意見にはどんどん左右されるつもりだ。

1.結論(仮)

1-1霊体が着衣状態であることから、「存在」とは「転写投影現象」であることが証明される

 ここでいう「存在」とはわれわれ生きた人間も含めた森羅万象の存在を意味しており、それらは「物」という形態をとる。

 「転写投影現象」とは、映画のようなものだという意味である。その場合、スクリーンに相当するのは「この宇宙」に充溢する霧(ミスト)のようなものである。よって、以降の健勝は、ミストスクリーンへ投射された「物」についての検証を行っていくこととなる。

「この宇宙」とは、いわゆる「世俗諦」「分節世界」「顕現している世界」のことである。

 ミストスクリーンは、「後方」から投射される。「物」を投射する場合の後方とはどこに相当するのか? 現状では「この宇宙の裏側」にある次元空間と仮定している。

「この宇宙の裏側」の位相については、「真如」までは到達しえない。なぜならば、「この宇宙」と表裏一体(というか複雑に入り組んでいる)で、相互にエネルギーのやり取りが可能だからである。それが、「下意識(深層意識・顕現しない意識)」のレベルなのか、それとも「マナ識」や「アーラヤ識」にまで到達しているものかは、後の考察による。

1-2霊体が着衣状態であるのは、「本人の意思(仮)」によるものではなく、それがスクリーンへの「焼き付き」によって現象した「残像」であるためである。

 「残像」であるとは、「本人の意思(仮)」が失われていることを意味する。

 この宇宙に存在するためには「物」という器が不可欠であり、それは絶えず変化(流動)していなければならない。物であり続けるには「不断に生滅を繰り返す」必要がある。その場合に、ある種の継続性を担保するのは「裏の次元」にある「本人の意志(仮)」である。これによって、流動は「エロスータナトス」のベクトルを持つのであるが、その「本人の意思(仮)」が失われた「残像」の変動は、スクリーン上に固着した光学的性質の劣化のみとなる。

「物」は「執着」によって劣化する。

「本人の意思(仮)」という記述は面倒なので以下は「念」とする。

「念」は「裏の次元」から働きかけて「顕現」させる。

霊体とは「任意の時点での固定化した念」が投影された「物」の「焼き付き」である。

1-3 生きている人間も「念」の「投影体」だが、「質量」を持つ。

 重たい身体は有害な「念」を外部へ流出させないためのプロテクターである。

 「生霊」が恐ろしいというのは、その遮蔽体を抜け出すほど強いものだからであり、「念」からのエネルギーの供給が行われるためである。

2検証事項

2-1「焼き付き」は、いつ起こるのか?

 「強い念を抱いた瞬間」とすれば、もっと生霊が沢山あらわれなければおかしい。「死によって身体というシールドから放たれた瞬間」とするなら「死の間際」の霊体とは全て「断末魔」の姿でなければならなくなる。

 これは、「自らが霊体となる際の姿を「選択」できるのか否か?」という問題提起である。死の間際に、自分が一番思い入れの強い姿を念じることで、その姿を焼き付かせることは可能なのか?

2-1-1 念写:近頃はあまり目にすることはないし、スプーン曲げ以降の超能力ブームの際にも「念写」はあまり取り上げられることがなかった。だが、「念」を「感光」させる能力と捕らえれば、今回の検証には不可欠の現象であるかもしれない。

 次はこのあたりから、研究してみたいと思う。

つづく