望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

手帳の抜書の抜書202101-03 その2

(前回の続き)

アドルノ 新音楽の哲学』より

音楽は仮象の欠如、すなわち形象をつくらないことによって他の芸術に対して特権をあたえられてはいるが、しかしその特殊な関心事と因襲による支配との倦まざる和解によって、力相応に、市民的芸術作品の仮象的性格に関与した。表記を和解的な一般性のもとに包含してしまうと、これが音楽的仮象の内奥の原理をつくりあげてるのだが(…)〈シェーンベルクはそれを否定した〉

対象にたいして〈シェーンベルクの如き〉記録調書的な立場をとることによって、音楽そのものが「即物的」〈他在となった表現主義〉になる。

音楽が因襲を脱するや、主観性の夢も因襲におとらず破壊する。

記録調書的な和音は主観的仮象を爆破する。しかしそれとともに、それらの和音は結局みずからの表現機能を仮象し(…)構成の素材となる。

作品からのまなざしによって、主観などという魔力は失われる

(邪視破り)

表現主義はエロスに、シュールレアリズムはタナトスに、それぞれずたずたなのである。

伝統的な音楽は(…)特殊なものを、くりかえし一般的なものの組みあわせによって射あてること、つまり、一般的なものを、近接的に、一回的なものに等しいものとして眼前に提出する組みあわせによって射あてることに甘んじなければならなかった。ベートーヴェンの全作品はこの逆説の開陳である。

〈今日ではそのようなきまりはない〉あたかも音楽が素材のおよぼす最後の詐称的な自然の強要をふりきって、自由に、意識的に、透徹をもって素材を支配することができるようになったかのごとくなのである。

主観的な体験時間の連続体が、音楽的な出来事を総括してそれに統一体としての意味をあたえるような力をもちあわせているとは、もはや信じられない。しかしそのような不連続性は、その不連続性自体がおかげをこうむっているところの音楽的動力学を殺す。もういちど音楽は時間を克服する。が、もはや、時間を充実させておのが味方につけるのではなく、遍在的な構成による全音楽的時間の物質によって時間を否定するのである。(ジャズ、ストラヴィンスキー = 共時的音楽 静力学 マンダラ・涅槃 ポリフォニー・ミニマム)

十二音音楽

ストラヴィンスキーの即物性はそのような偽性リアリズムのひびきがする。すっかり利口になって幻想など抱くことのない我が、非自我を偶像に高めるのだが、その熱心さのなかで主体と客体のあいだの糸が断ち切られてしまう。つながりもなくほうりだされた客観的なものの殻がそのような外化のために超主観的な客観性として、真理として、支払われる。これがストラヴィンスキー形而上学的な手管ならびに社会的な二重性の公式である。

密教世界の構造』空海『秘蔵宝論』 宮坂宥勝 より

十住心論の精髄を略述したものが『秘蔵―』

最澄空海の平安仏教の「自力」を、日蓮親鸞の鎌倉仏教は退けた「お題目・他力」

『名づけの精神史』市村弘正より

「路地・室内・博覧会場・パノラマ」ためらいの時代の産物(ベンヤミン

ためらいの時代:ココデル 1920年代 第一次世界大戦

裂け目と裂け目から広がる世界ー分断の露呈による統一への理念がさらなる分離を現出すること。

鋭敏な耳が以前に平穏無事な秩序の状態の中で雷鳴を聞きとったように、敏感な目はカオスの中にもう一つの秩序を洞察することができる(カンディンスキー

力の限りを尽くしてカオスの状態を獲継しよう〈建築=バウハウスの逆〉と決意したダダイズム(それは目よりも耳へ、意味よりも音へ向かった)(意味の解体:脱構築

耳は乱れを、目は秩序を見出すことに長けている

シェーンベルクカンディンスキー:無調音楽と抽象絵画←新しい「誕」の媒介者の伝達の試験(CS.カロチニスキ)

言語とは常に他者の言葉である(借り物ってこと)

タデウシュ・カントール「人間梱包」
全ての人間的機能を封じ込められた疎外態そのものとして投げ出されている。剥奪された「人間の条件」を強く放射するが、それは直接的に「表現」されるのではなく、表現の消去状態そのものが、私たちの想像力を変形化の痕跡に向けて喚び起こし、その残像ないし残響を通して封じられた働きと消し去られたディテールとを思い描かせるのである。(…)つまりこの梱包人間は通常の「表現」を剥ぎ取られることによって、いわば、それを反対方向へ表現力として吸引し、内包したものとして成立しているのである。(老人が失われた若さをうらやむが如き単に未練の一言で片付けるだけのつまらない分析だ)

滑らかな表出=経験の痕跡がとどまりにくく、
滑らかさ=「活動」「表現」=空虚さ
この空虚を暴くためには「活動」ではなく「不活性」体に思考を集中させるべきである。

諸機能を凍結し、活力を零地点まで剥奪した状態に人間を放置する試みであった。それはまさしく人間の変形化ないし物化を押しすすめることによって「徹底」された不活性化がもちうる可能性を指し示そうとするものであった。(→即身仏論 であるとする)

人間の世界が歴史をもつとは、生の内部に「生ける死者」を抱え込みつづけるということである。

人間の変形の「徹底」が事物の再変形を促し、その事物との関係のダイナミクスのなかで世界の変貌可能性を取り戻そうとする。(→即身仏による大乗論)

『ラインズ 線の文化史』 ティム・インゴルドより

交通・環世界・コロニアル/帝国主義パロールエクリチュール・歌と言語(cf.『うたの起源学』)・縁起の重ね合わせとしての知 

文盲者/「一時的な声」の世界の住人にとって言葉は彼らの発生としてのみあり〈音によって伝達されるもの〉ではない。(ウォルター・オング 『ソシュールへの反論』)

黙読は音の記憶によって可能になる〈文字の音の記憶〉

古代ギリシアの「読むこと」=「再び集める、想起する」
ラテン語の「読むこと」=「レゴ lego」集めたりまとめたりすること(あのレゴか)

記譜法
11世紀 ベネディクト会修道士グイード・ダレッツォの音楽表記法

音が重要で意味は二の次 (神は絶対の超越者であるがゆえ人智は及ばない)

読む=取り込む→噛み砕く、咀嚼する、吸収する、身になる。

テクストにマーキングする/ピッチ記号など(ハロプロのレコーディングの際、ディレクターの指示を書き込む場面)

ムシケーという言葉の歌

古代ギリシア〈ネウマ〉という記号→句読点として現代に残る

9世紀初頭 グレゴリオ聖歌にもあらわれるネウマ語

記述とは手仕事であり雪山を逃げる動物ののこす痕跡のように、狩猟者はそれを読み解き、その動物や自然と一体となる。(cf.『愛と幻想のファシズム』)

オラリティー(声のことば)、リテラシー(文字の言葉)

 

     身体動作     刻印

聴覚的  発話      口述筆記

視覚的  手の身振り   記述

 

能の唱歌 笛の楽譜の表記 井口かをり の仕事 ムシケーとの類似

ピロ族の言語の記述にあたる言葉〈ヨナ〉
顔や身体といった表面に施す入り組んだ線状模様やパターン。
呪術師は新聞を〈ヨナ〉として認識し、そこに女の唇を知覚させた。(ある種の訓練された共感覚
呪術師の模様は呪言(旋律をもつ歌)に変化する。それは聴取する眼に対して現れる声の感覚的形態なのである。

眼で聴き、耳で見る。

写本を読むことはテクストの言葉を発音する際の声と結びついた手によって記された道を辿ることである。しかし印刷されたページには辿るべき道がない。(そーかな)読者はページを測量することはあっても、そこに住みつくことはない(自然がないと)。そしてその眼がページ上に見出す言葉はものであると私たちが信じ切っているからこそ、視覚は私たちの理解のなかで、より力動的で関与的な聴覚から切り離された無関心な監視能力に変化するのである。(耳の優位性は○)

drawing :引っ張る

writting  :刻む

文字を石版や木片に「刻む」時代から葦ペン、羽ペンによって連続的なラインで手の動きによって面を形成することで書くことができるようになった。(ちょっとこじつけ)

ラインの基体 軌跡→糸 /表面の消失

       糸→軌跡 /表面を形成する過程で軌跡が生成される

糸=表面を形成するが表面に描かれることはない(マテリアル)

軌跡=すべての二次元的素描と表面装飾の基本構成要素。付加的(要素へ重ねる)、または切削的(基体を傷つける)に現れる。

テキスト=テキスタイル=テクヤーレ 織る

刺繍=付加 織物=一体 (図と地の関係)

15世紀のゴシック書体 「テクストゥーラ」 記されると織物のように見える書体

ライン→点と点をつなぐ→動きが失われてしまっている(コトは切断できない のテーマ)

ダーウィン主義は点と点をつなぐ。遺伝子というフィクション

アンリ・ベルクソン『創造的進化』(必読)

全ての生物は流れに放り込まれた小さな渦巻きのようなものだ。(すばらしい)だが、生物は非常に巧みに不動を装うので(すばらしい)、私たちはすぐに生物を「進歩」よりはむしろ「事物」としてあつかい(すばらしい)、その形態の恒久的なところすら運動を描いたものに他ならぬことを忘れてしまう(すばらしい 色即是空

生物は何はともあれひとつの通路である(すばらしい)。

生物は存在(点的)するというよりも出現する(彷徨)のである。

生物がそれぞれの生活を営む通路の絡み合う網目細工(すばらしい)

私たちの持続とは(…)つぎつぎに置きかわる瞬間ではない。であればどうしても現在しかないことになり、過去が現在に延びることも(…)なくなるであろう。持続とは過去が未来を齧ってすすみながらふくらんでいく連続的な進展である(ブラボー)。

以上