はじめに
俳句は悩まない。短歌は悩む。小説は悩むのが楽しいが、短歌で悩むことは苦しい。
だから、さまざまな入門書を読むのだが、結局のところ「なぜ短歌にするのか」という根源的な問いへの答えなど、あるはずはない。
苦しければあきらめればいい。
だが、短歌という形式は、あきらめるには魅力的すぎる。
「自信作」と感じられる短歌を作りえたという快感はすぐさま消え、「もっと作れるはず」という焦慮に変化してしまう。そのときにはもう「自信作」は輝きを失っていて、作れる保証を担保するものなどどこにもないことを白日の下に晒さらさてなお、「短歌」は、短歌を「作れるはず」という希望的観測と「その未生の理想的短歌X」の手触りのみを、白昼夢の記憶へ刷り込んでくる。
だから、入門書を読む。
天才的に短歌を愛し、短歌に愛され、あらゆる感覚が短歌形式に則って生成されるような機構を持たない凡人としては、それでいて、短歌を、「詩」を露にする形式として用いたいと願う身の程知らずとしては、先人の培ってきた「論」や「説」や「手技」を被っていくしかないからである。
痒いところに手が届かない
今回読んだのは『誰にも聞けない短歌の技法 Q&A』日本短歌総研 飯塚書店から出ているものだった。
50の質問を、幾人かの歌人が分担して回答する、という形式の本書のQは、即戦力となりうる項目ばかりであったが、それに対するAは、少々肩透かしと思われるものが多かった。それでも、身に着けるべきものは多い。
以下に、わたしにとって銘記すべきAを拾っておく。
Q01 主題・対照を見る方法 ―依田仁美
短歌に詠むべき主題、対照のみつけかた、捕らえかたを解説する項。「薔薇」を題材として、
・対象そのものの第一印象
・ちがう見方(第二印象・第三印象)
・状況を別の形に見立てる。心理投影
・対象にほかの要素を加える
・加えた要素を含めた新しい状況として見立てる
・それを違う観点から見直す
・先を見通す
・回想する
・分析的再構築をしてみる
といった、類的展開を紹介している。つまりは、マンダラートなどどのような方法でもよいから、ブレインストーミングを行ってみよう、ということだろう。
また、漢字、カタカナ、ひらがな、古語、文語、口語、歴史的仮名遣い、などの表記法による「見た目」の違いから広がる着想も重要だ。
その後は、実作における「対象」の扱い方を解説する。
本書の中ではもっとも読み応えのあるAだった。
Q02 短歌と俳句の違い ―萩岡良博
俳句:和歌から、七・七 を取って認識の詩としての機能が大きくなった。「切れ字」の効果を生かして森羅万象に定型の鋭い切り口を入れる凝縮の詩形
子を殴ちしながき一瞬天の蝉 秋元不死男
短歌:感情がしみじみとにじみ出る。「てにをは」「なり・けり・べし」などの奏でる微妙な感情の翳りがしらべに乗ってどうしても出てしまう。
体刑を子にくわえたる日の月夜ただよえるごとし草木もわれも 伊藤一彦
Q03 短歌に詩性をもたせるには ―梓志乃
難しい質問だと思うが、方法があるならぜひ知りたいところ。Aとしては、「比ゆ」や、「言い回し」とのこと。
あまり理屈っぽい表現を避け、言葉の省略と凝縮を考えねばならない。とのこと。
Q04 前衛短歌から学ぶもの ―石川幸雄
塚本邦雄さんのなくなる三年前(2002年)、全集が完結したときのインタビュー(朝日新聞)からの引用が印象深かった。
長男で作家の青史さんが「やはり老いや死がテーマになってきているようです」と解説すると、すぐに横から大きな声がとんだ。「私は生活短歌は一切作っておりませんし、短歌はルポタージュではない。もっと抽象的で想像力を鼓舞するものです」
わたしもこの言葉を常に携えて短歌を作りたい。
Q18 「写生」とは ―石川幸雄
ここでは、島木赤彦さんの『歌道小見』(岩波書店)からの引用が重要と思う。
私どもの心は、多く、具体的自称との接触によって感動を起こします。感動の対象となって心に触れ来る事象は、その相触るる状態が、事象の姿であると共に、感動の姿でもあるのであります。左様な接触状態を、そのまゝに歌に現すことは、同時に感動の状態をそのまゝに歌に現すことになるのでありまして、この表現の道を写生と呼んでおります。
この引用を石川さんは「重要なのは具体的な事象をそのまゝ歌に現すことを写生と呼ぶ」とまとめてしまっている。が、
重要なのは「相触るる」であり「接触状態」の方であることは明らかである。
Q21 オノマトペ ―井辻朱美
オノマトペ。自分だけの、そして読んだ方に軽い発見の驚きと腑に落ちる心地よさを与えられるオノマトペを作れたらどれほどいいかと思う。
オノマトペとは感覚や体感に密着したパワフルな言語。と、掛け声とパフォーマンスの相関関係を研究している藤野良孝さんの報告から結論されたことにまったく異論はないが、掛け声とオノマトペとはやはり異なるものだと思う。
Q24 短歌をふくらませる ―井辻朱美
もっとも役立った項目。
(ピカソの絵のように)生活の中で目に入るモノや場所、それらをきちんとした因果関係や論理にあわせずに、ばらばらに浮遊させてみたらどうでしょう。
言葉もまた、乱暴につなぎ合わせることで、新たなイメージが喚起される。
秋階段十五段目に腰を掛け立ちてかおれる人に会うべく 大野道夫
かつて引用した島田修二さん『言葉へのあこがれを持つ』の「五つの詩を書く」という姿勢を言っているのだと理解した。
Q32 本歌取りと剽窃 ―森水晶
ここでは、寺山修司さんの「盗用」「コラージュ」「物まね小僧」おもしろかった。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司
・夜の湖ああ白い手に燐寸の火 西東三鬼
・一本のマッチをすれば湖は霧 富澤赤黄男
・めつむれば祖国は蒼き海の上 富澤赤黄男
向日葵の下に饒舌高きかな人を訪れば自己なき男 寺山修司
・人を訪はば自己なき男月見草 中村草田男
わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る
・わが天使なるやもしれず寒雀 西東三鬼
わかきたる桶に肥料を満たすとき黒人悲歌は大地に沈む
・紙の桜黒人悲歌は地に沈む 西東三鬼
莨火を床に踏み消してて立ち上がるチエホフ祭の若き俳優
・燭の灯を莨火としてチエホフ祭 中村草田男
莨火を樹にすり消して立ちあがる孤児にさむき追憶はあり
・寒き眼の孤児の短身立ち上がる 秋元不死男
マッチ擦る 以外はすべて、俳句の方に力強さを感じる。これは、Q02の違いに通ずるものだろうし、Q03の詩性についても、よい題材であると思う。
さいごに
あとは、文法に関すること、歴史的仮名遣いに関すること、ほか、「作る人が決めればいい」という事柄はほとんどであった。
この本を、入門書として人に薦めることはできないが、採るべきところは採りたいと思う。