望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

岩波文庫より井筒俊彦さんの著作が立て続けに刊行された狂喜

はじめに

偶然立ち寄った本屋の岩波文庫のコーナーで見つけたのは、図書館の検索で「該当なし」だった、井筒俊彦さんの『神秘哲学 ギリシアの部』だった。そしてその隣には、『意味の深みへ 東洋哲学の水位』と『コスモスとアンチコスモス 東洋哲学のために』が並んでいた。

 『神秘哲学』は2019.2.15、『意味の深みへ』は2019.3.15、『コスモスと』は2019.5.16発行となっている。今日2019.6.13現在、続刊はないようだ。

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 いっそ、全集を文庫化してくれないかと思う。そうすれば全部買うのに。

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で、読み始める

 さっそく『意味の深みへ』から読み始める。

 第一章は、「人間存在の現代的状況と東洋哲学」 と銘打って、どこかで行った講演の原稿のようになっている。口語体で大変にわかりやすい。(中沢新一さんっぽい)

 テーマは「グローバル化の根源的問題」で、現在の「ダイバーシティー」の取り組みに対する原初的な批判とその解決への提言がなされている。まさに、今、刊行するにふさわしい内容といえる。

文化の枠組みとセルフーエゴ

 グローバル化には、「一様化」と「多様化」の二種類があり、そのいづれにも「問題」がある。と氏は指摘する。 

 「一様化」の場合、さまざまな地域性や歴史をもつ「文化圏(ポパーによる枠組み論)」を西洋思想的な「資本主義」と「科学」、すなわち「物質」をもって「世界標準化」することは、人の意識の一様化を促進することであり、それにより消尽される者や、はみ出して反発する者とを生み出し、大いなる「人間疎外(自然からの疎外と、自分自身(セルフ)からの疎外)」を引き起こす、と、「文化の地均し」の弊害を指摘する。これは人間の実存の中心が「エゴ」へ移行することを意味している。

 また「多様化」の場合は端に、「有限な環境」、つまり地球の狭さ。を上げる。互いに交流がなければ、干渉しあわずにすむが、現在の経済体制からして、そのように独立し存続させることは不可能であろうと。

文化とはコトバである

 文化とは人がそのように規定されることで存在しうるような、外すことのできない枠踏みである。

 氏はこのことから、意味分節(コトバ)へと論点を移す。(言語アーラヤ識の導入だ!)

 では、それほど内面的(アーラヤ識より影響されるほどの内面である)に分節されている文化枠組みを保持する「異文化間交流」は可能なのか?

 ポパーが考えている枠組み論の超越方法は楽観的だ。「枠組みはスタティックではなくダイナミックなものである」つまり、異文化間の交流によって、爆発が起こる可能性もあるが、そのエネルギーによって新たな枠組みが発生しうる。というのである。

 では、このエネルギーの爆発を、正しくコントロールする術はあるか? ここで氏はエゴからセルフへの転換方として、エポケーのエポケーを提言する東洋哲学の方法を導入する。

スタティックからダイナミックへ

 今見ているものが、決して見たままのものではない。という考えを一時保留することが「現象学的エポケー」であるなら、その「現象学的エポケー」をエポケーすること。これらを実践するものとして、東洋の思想や宗教を揚げていく。そしてこれらが、「人間を根本的に作り変えていく方法」であり、このようにして感得する物質世界は、そのことごとくが流動する「事」となる。(動態論!)

無分節と有分節

 この流動し続ける事物が、アーキタイプ的なものとして顕現する、というところからセルフの集合的共同化意識を導き出し、かつA,B,Cという独立した物などはなく、それぞれがそれぞれに浸透、貫入している状態にあることを指摘する。この、分節の無い事物に「空」や「混沌」や「無」などの名がつけられているのである。

セルフとエゴ

 無分節と有分節とあいだ、を往還する多層多重的意識構造の全部を、観想的に一挙に自覚した主体性が、すなわち東洋哲学の考える「セルフ(自己)」である(p.51)

 エゴ(自我)は、「自己」という多層多重構造のごく一部、つまりその表層領域であるにすぎません。(p.51)

 

西洋と東洋の融合

 この章(公演?)の結論は、西洋の枠組みと東洋の枠組みとの衝突エネルギーを正しくコントロールすることで「疎外」でも「爆発」でもない「地平融合」が可能なのではないかと提言して終了する。

おわりに

ものすごくおもしろい。まだ、読み始めたばかりだし、要約も上っ面ですが、ともかくおもしろいですね。

また、気づくことがあるたびに、ブログに書いていきます。