さらに圧縮して記す
22 前衛と伝統
キリスト教は人間の生きざまを非常にこまやかに、ないしは微妙に、一貫して教えておるように思う。ところが、仏教のほうはというと、生きざまというより死にざまにほうにとりわけ重点を置いておる。
指先の草の匂ひが取れぬなり 村松彩石
23 大型俳句のこと
大型俳句というものは、部分のチマチマとした感覚を駆使しないところ。
省略あるいは写生というものの基本の解釈の仕方の違い。
24 目を釘づけにする
俳句は土俗的、定住的な了解で自然に接する。山頭火・放哉はヒッピーの元祖みたいなところがある。とにかく自分の生活が全て。(一般に受けて、俳壇が冷ややかな理由)その一般も、野暮と粋素通りして中間の都会人に受けている。付け加えるなら、目が釘づけされてている作品という点で、放哉の方が山頭火より上だと思う。
25 席題のおもしろさ
八号の絵と百号の絵を鑑賞するときに鑑賞者が無意識に選んでいる場。その場の説明ということがいってみれば鑑賞です。
26 席題は八分の力で
春の昼ぽつんと雨の当たりけり 橋本渡舟
27 写生を超える
常に存在に対して新たな目を向ける。
砂山の橋小暗くて毛蟲落つ 山本三風子
この句は鋭い写生の眼であるけれども、或る意味ではそれを見ておる作者自身の感覚あるいは意識の問題、そういうところに帰着する。
28 真の継承とは
風のごと人住みかはり栗の花 滝川昌子
杜へ来る人とおざけて栗の花 服部ますみ
29 席題は修練の場
黄落の日矢船上の男らに 川崎富美子
30 大胆な表現にも微妙な感性
青きさんまに男盛りの声があり 守谷欣々
木枯の傍らにある子の頭(つむり) 広瀬町子
31 時間を消した表現
みづうみは露のしづくと白馬の影 金子桜花
雪のあとさき柿瞬きて国境 松村蒼石
32 「無用の用」が名句の要素
俳句とは実用に一番遠いものはなんだということ、それを探す文芸ではないか
あんた達は俳句が専門だから、それはまあずいぶんと熱心でもあろうしむずかしいこともいうだろう。しかし私なんかは俳句を楽しんでやっていおるんで、あまりこむずかしいことをいわれても迷惑だ。(居酒屋で言われた)
見なれたるものにも年の移るなり 有泉七種
松過ぎのたそがれの田に水流れ 米山源雄
33 「大根の葉」に見える虚子の力量
狭い環境のなかから広い表現を求めて自在に表現する人
いろいろの生活体験を経て、ある年齢になってから俳句に熱中して秀作を生むひと。
風の間のしばらくうるむ二月空 井沢小枝子
蒔きてきし山畑にいま雪が降る 南俊郎
流れゆく大根の葉の早さかな を 大根の葉の流れゆく早さかな、と間違えて掲載している雑誌をみて、後者では、たんに大根の葉が流れているだけで、べつに大根の葉でなくてもよいが、流れゆく、から始まると、まず「水」の早さを、そして同時に、水の「澄み」も表現している。これを「流れゆく」とズバリと表現した虚子の並々ならぬ力量。「葉」よりも先に「水」をとらえながら、それを表現のなかにかくして一句をまとめたところに見事な技量を感じる。
以上
巻末の「秀句の条件」は省略