第一 無我説は輪廻の観念と矛盾せざるや?
ミリンダ王(以下ミ)「生まれ変わったものと死んだものとは同じなの違うの?」
ナーガセーナ(以下ナ)「同じでも異なるものでもないよ」
ミ「たとえば?」
ナ「子供のときの君と今の君とは完全に同じかい?」
ミ「そんなわけあるかいっ」
ナ「おや。それじゃ大人の君には母も先生もないし、技術も智恵もないってことになるね。受精から一週間目の母と一ヶ月目の母と生まれたときの母と今の母はみんな別なの?学ぶ前と学んだ後とでは別人だし、犯罪をおかした人とその犯罪で裁かれる人とは別人ってことなの?」
ミ「えっとぉ、何がいいたいの?」
ナ「僕だってかつては赤ちゃんで今は大人だ。この身体に依存してこれらのすべての状態がまとまっているんだっていってるんだよ」
ミ「たとえてみてよ」
ナ「今つけた火と夜通しついている火と消える間際の火は、みんな同じ火だと?」
ミ「んなこたぁない」
ナ「じゃ、別々の火だと?」
ミ「違うよ。同一の灯火に依存して焔は夜通し燃えるのさ」
ナ「そのとおり。事象の連続(=個体)は、それと同様に継続する。生ずるものと滅びるものとは別のものだけどいわば同時の存在として継続しているといえる。で、同じでも違うのでもなく、最後の意志にまとめられるんだよね」
ミ「急に難しくなった」
ナ「牛乳→酪→生酥→醍醐。これみんな同じだっていう人ってどう?」
ミ「わかってないなって思う。それに依存して他のものが生じているんだから」
ナ「しょうゆうこと」
ミ「しょうゆうことか」
第二 輪廻しない人
ミ「『あ! おれ輪廻しねぇ』って分かるもの?」
ナ「バッチリ」
ミ「なんで分かるの?」
ナ「輪廻の因と縁が休止するから」
ミ「なにそれ」
ナ「農夫がさ。畑耕して、種蒔いて、倉庫いっぱい収穫するじゃん。で、畑も耕さないで、種も蒔かないで、食ってばっかいたらさ、『あ、これじゃ俺の倉庫いっぱいにならねえ』って分かるでしょ」
ミ「馬鹿なの?」
ナ「なんでそう思うの?」
ミ「耕したり、種まいたりしなきゃさぁ。あ、これ因と縁か」
ナ「Yes,they are.」
第三 知識と智慧 ―解脱を得た人に知識は存在するか?
ミ「知識と智慧って、ごっちゃにならない?」
ナ「なるものもあるし、ならないものもあるよ」
ミ「ごっちゃになるのは?」
ナ「知らないものについては、ごっちゃになる」
ミ「で、ごっちゃにならないのは?」
ナ「『無常』とか『苦なり』とか『非我なり』とかなら智慧だってすぐわかる」
ミ「悟った人の『迷い』はどこへいっちゃうの?」
ナ「その場で滅びるのさ」
ミ「たとえば?」
ナ「暗闇に懐中電灯照らせば暗闇退散」
ミ「じゃ、智慧はどこにいくの?」
ナ「役目を果たせばその場でほろびるんだ。でも智慧がもたらした『悟り』は消滅しないんだな」
ミ「たとえてみて」
ナ「夜、手紙を書くために灯を用意して、手紙を書く。手紙を書き終えたら灯は必要ないから消すよね。でも、手紙は残っている」
ミ「よぉ~く分かったよ」
第四 解脱を得た人は肉体的な苦しみの感じを感受するか?
ミ「輪廻しない人は、何が苦しいって感じたりするのかな?」
ナ「肉体的な苦しみの感じは感じるけどもね、心としての苦しみの感じは感じないんだ」
ミ「それどしてですか?」
ナ「肉体には肉体の仕組みがあって、苦しみが組み込まれているから。心のほうにはそういう因と縁はないからね」
ミ「そんな苦しいだけの肉体なんてさっさと捨てて自殺すりゃいいんじゃねぇ?」
ナ「べつに、肉体の苦しいのは普通だし、苦しいから駄目、苦しくないからいい、ってもんでもないし。肉体なんてほっときゃそのうち滅びるんだから、別に自殺しなくたっていいっていうスタンスです」
第五 感覚の成立する根拠
ミ「気持ちいことはいいこと、じゃないの?」
ナ「気持ちいいにもいろいろあるからなぁ…」
ミ「よいことは苦しくない。苦しいことはよいことじゃない。これ常識じゃない?だったらよいことで苦しいことなんて、ひとつもないでしょ(ドヤ)」
ナ「(めんどくせぇ~)右手に灼けた玉、左手に凍った玉をどうぞ。両手とも痛いでしょ?」
ミ「なんだよ。いてぇーよ」
ナ「じゃ、両方とも熱いですか?」
ミ「(ブンブン)」
ナ「じゃ、両方ともちゅめたいでゅか?」
ミ「ざけんな、ころされたいのか、われ、ぼけ、かす」
ナ「ね。熱いのが痛いなら、冷たいのは痛くないはずだし、逆もね。でも君は両手が痛いんだね」
ミ「ちょっと何いってるかわかんないです」
ナ「そういうこと。ま、感じ方には108通りくらいあるから、単純には割り切れないんだってことよ」
第六 輪廻の主体
ミ「生まれ変わるって、何が生まれ変わるの?」
ナ「名称と形態」
ミ「今の名前と今の形態が?」
ナ「ちがーう。今の名前と今の形態によって、新たな名前と新たな形態に生まれ変わるのだ」
ミ「そんじゃ、今なんて輪廻に関係ないじゃんか」
ナ「輪廻しないんならね。でも、そんなんじゃ絶対に輪廻するからさ」
ミ「どういうこと?」
ナ「今の名前と今の形態がやっちまったことが、次の新しい名前と新しい形態を生じさせてしまうってことさ。泥棒したから裁かれる。タバコの火でお江戸消失。少女は成長して乙女になるし、予約した牛乳は翌日には酪になってる。みんな、前のものから新しいものが生じるわけよ」
ミ「ふぅーん」
第七 再び輪廻を問う
ミ「で、君は輪廻するの?」
ナ「ナニソレコワイ。ひっかけ? 前に答えたよね。それ、前にきちんと答えた質問だよね。だからそのときと同じ答えしかしませんよ」
第八 名称と形態(精神と身体)
ミ「ところで、『名称』と『形態』ってなんのこと?」
ナ「実際に感じることができる粗めのが『形態』で、心と心作用の微細な事象が『名称』だよ」
ミ「たとえば、名称だけで、とか形態だけでとか、生き返るってことはないの?」
ナ「セットだからなぁ」
ミ「どういうこと?」
ナ「卵黄がないと雌鳥も卵もできないでしょ。セットなの。もう長い時間」
ミ「そーなの」
第九 時間
ミ「その『長い時間』の時間ってなんなわけ?」
ナ「過去の時間、未来の時間、現在の時間…」
ミ「そもそも、時間なんて存在するの?」
ナ「或る時間は有るし、或る時間は無い」
ミ「説明を求む」
ナ「歴史には時間はない。変化するものに時間はある。輪廻するものにはあり、輪廻しないものにはない。涅槃に生きるものにはない。だって、完全な涅槃だからね」
ミ「ごもっともです」
以上