望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

ざっくりさん講読9 「ミリンダ王の問い」9.第二編第一章

第一 ブッダに対する供養の効と無効

ミリンダ王(以下ミ)はナーガセーナ(以下ナ)に質問を許されたのでありがたく質問を始めた。

ミ:ブッダが死んでないなら供養する意味なんてないし、死んじゃってるなら供養したって意味なくない?

ナ:もともと、ブッダは完全に死んでるんだから供養なんて受けないよ。サーリープッタ爺さんも言ってる「みんなが供養するけどブッダはそういう崇拝はうけない」ってね。

ミ:受けないったって、父が子を賞賛したり子が父を賞賛したりするのは、お互いの信頼関係みたいなとこあるじゃない? だから、受けないったって供養する連中が無駄なことしてるっていう主張に反論したことにはならないと思う。

ナ:ブッダは完全に死んでるから供養はうけないんだ。でもブッダを慕う人々がブッダの骨とかを象徴としてブッダの知恵の宝を受け継ごうと正しい行いをするのならそれは意義のあることだよ。大きな火の塊が燃え尽きたあと、さらに枯れ草や燃料が必要かい?

ミ:大きな火の塊は現に燃えているときですら燃料なんて入らなかったんだから、消えたとき燃料を必要とするわけないよ。

ナ:火の塊が消えたとき世間の火は空無となっのさ。

ミ:いや。そうじゃないと思う。薪は火の目的であり火を起こすものなのだから、だれでも火をほっするものは薪を擦って火を起こし、火の仕事をするんじゃないかな。

ナ:それなら「供養を受けないブッダへの供養は無駄」というのは間違いさ。消えた大きな炎はもはや燃料を必要としない。だが火を必要する人々は自らを擦って火となして火の仕事をすることができるっていうんだから。いい? 大風が吹き止んだとき、風は再び吹きたいだろうか?

ミ:風には精神はないから、何かを望んだりしないだろうよ。

ナ:では、止んでしまった風を「風」とよんでもいいと思う?

ミ:誰でも暑いときは、葉や団扇で扇い止んだ風をふたたび吹かせることができ、その風によって暑さや熱苦を鎮めることができるから風は風だよ。

ナ:それなら供養をうけないブッダへの供養は無駄だという言葉はあやまりさ。さらに、誰かが叩いた太鼓の音はやがて消えるけれど、その消えた音は再び生じようと望むだろうか?

ミ:太鼓の音には意図なんてないさ。でも太鼓は音を生じさせる手段だから、太鼓の音が必要な人は太鼓を叩いて音を生じさせればハッピーだろ。

ナ:だから「供養は無効であり結果のないものである」という彼ら異派の人々の言葉は悪へのミスリードなんだ。さらに理由をいいましょう。この大地が「一切の種子は、わが中において成長せよ」と望むと思うかい?

ミ:そんなこたぁない。

ナ:じゃ、種子たちは望まれもしないのに大きくなって枝葉を広げ、花と実をつけているの?

ミ:いやいや。大地は望まないけど、種子の成長する基盤になって縁を与えているからね。

ナ:そう。如来は大地なのですよ。もっと言いましょう。駱駝、牡牛、騾馬、羊、家畜、人間どもは、腹の中に蛆虫を発生させたいのですか?

ミ:ぜったいないわ。

ナ:じゃ、なんで蛆虫は望まれてもいない腹の中であんなに増えるのさ?

ミ:そいつらの悪業が強いからだろうね。

ナ:われわれは蛆虫なんだよ。もっといいましょうか。九十八もある病気は身体のうちに生じてくれって思ってる?

ミ:そうじゃない。

ナ:じゃ、なんで病気になるの?

ミ:前世の悪業のせいだ。

ナ:前世の不善がこの世で結果を感受すべきならば、善・不善を前世でなそうがこの世でなそうが結果が生じるんだから、供養が無効ってことはないわな。そういえば君はかつて、ナンダカっていう夜叉がサーリプッタ爺さんを討って、みずから大地に没入した事件を聞いたことあるかい?

ミ:有名だよね。

ナ:爺さんは夜叉が大地に呑まれるのを望んだと思う?

ミ:あの爺さんが、他人の苦しみを望むようなまねは絶対にしないよ。それに爺さんはすでに怒りの原因を全て断っていた。殺されたって怒ったりはしない。

ナ:でも、望まないのにナンダカは大地に呑まれたよ。

ミ:それはナンダカ自身の問題だったんだ。

ナ:望まれなくても結果が生じるんだ。善業も悪業もね。ところで、この世で大地に没入したのは何人だか聞いてますか?

ミ:五人だろ。(バラモンの娘チンチャー、釈迦族のスッパブッダ、長老デーヴァダック、夜叉ナンダカ、バラモンの青年ナンダ)

ナ:かれらはどんな悪いことしたの?

ミ:ブッダまたはその弟子に対してね。

ナ:彼らが処罰を望んだ?

ミ:絶対にない。

ナ:ね。だから供養を受けないブッダへの供養は無効ではないんだよ。

ミ:みんな、納得だね!