はじめに
今回のブログには、以下の内容を進めるための材料、つまり宮沢賢治さんの短歌をいくつか抜粋する。
わたしが、読んで短歌を書き写したのはこの本だ。
短歌は案外多い。因みに俳句は「菊花展」にかんするものがまとまってある程度だった。
取捨選択基準
宮沢さんの短歌は、石川啄木さん風だったり、万葉集的であったり、塚本邦夫さんっぽいものがあったり、ひじょうに牧歌的、アララギ的であったりと、その風合いは実にさまざまだった。
その中から、好みとして選び取ったのは
・鉱物が出てくるもの
・以後の作品に取り上げれているモチーフが出てくるもの
・鋭敏すぎる身体感覚を反映しているもの
である。勢い、「病んだ」風の短歌が多くなるが、これはあくまでもわたしの趣味による選択の結果であって、宮沢さんの短歌がすべてそのようであるわけではないことは、あらかじめお断りしておく。
宮沢賢治さんの短歌
明治四十二年四月より
キシキシと引き上げを押しむらさきの石油をみたす五つのラムプ
鬼越の山の麓の谷川に瑪瑙のかけらひろい来りぬ
明治四十四年一月より
そらいろのへびを見しこそかなしけれ/学校の春の遠足なりしが
あはれ見よ月光うつる山の雪は/若き貴人の死蠟に似ずや
黒板は赤き傷受け雲垂れて/うすくらき日をすすり泣くなり
泣きながら北に馳せ行く塔などの/あるべきそらのけはいならずや
うしろよりにらむものありうしろよりわれをにらむ青きものあり
大正三年四月
月は夜の/梢に落ちて見えざれど/その悪相はなほわれにあり
つつましく/午食の鰤をよそへるは/たしかに蛇の青き皮なり
あたま重き/ひるはさびしく/錫いろの/魚の目球きりひらきたり
六月の/十五日より雨ふると/日記につけんそれもおそろし
目は紅く/関節多き動物が/藻のごとく群れて脳をはねあるく
夜はあけぬ/ふりさけ見れば/山山の/白くもに立つでんしんばしら
すゝきの穂/みな立ちが上がり/くるひたる/楽器のごとく百舌は飛び去る
秋風の/あたまの奥にちさき骨/くだけたるらん/音のありけり
入相の町のうしろを巨なる/銀のなめくぢ/過ぐることあり
大正四年四月
玉髄の/かけらひろへど/山裾の/紺におびえてためらふこころ
大正五年三月
わかれたる/鉱物たちのなげくらめ/はこねの山の/うすれ日にして
小すももの/カンデラブルの壁の上に/白き夕陽はうごくともなし
あをあをと/なやめえる室にたゞひとり/加里のほのほの白み燃えたる
岩なべて/にぶきさまして/夕もやの/ながれを含む/屠殺場の崖
大正五年七月
この坂は霧のなかより/おほいなる/下のごとくにあらはれにけり
うちならび/うかぶ紫苑にあをあをと/ふりそゝぎたるアーク燈液
夜の底に/霧たゞなびき/燐光の/夢のかなたにのぼりし火星
大正五年十月
南にも北にもみんな/にせものの/どんぐりばかりひかりあるかな
「青空の脚」といふもの/ふと過ぎたり/かなしからずや 青ぞらの脚
「いきものよいきものよいきものよ」/とくりかへし/西のうつろのひかる泣顔
凍りたる凝灰岩の岸壁を/踊りめぐれる/影法師なり
大正六年一月
なにげなく/窓を見やれば/一もとのひのきみだれゐて/いと恐ろし
ひのきひのき まことになれはいきものか われとはふかきえにしにあるらし
大正六年四月
濾し終へし/濾斗の脚のぎんななこ/いとしと見つゝ/今日も暮れぬる
大正六年五月
あまの川/ほのぼの白くわたるとき/すそのをよぎる四ひきの幽霊
手をひろげ/あやしきさまし馬追へる/すゞらんの原の/はだかのをとこ
あけがたの/「電気化学」の峡を来る/きたかみ川のしろき波かな
大正六年七月より
よるのそら/ふとあらはれて/かなしきは/とこやのみせのだんだらの棒
雲の海の/上に凍りし/琥珀のそら/巨きとかげは/群れわたるなり
そらひかり/八千代の看板切り抜きの紳士は/棒にささへられ立つ
あかり窓/仰げばそらはTourquoisの/板もて張られ/その継目光れり
よりそひて/あかきうで木をつらねたる/夏草山の/でんしんばしら
楊より/よろこびきたるあかつきを/古川に湧くメタン瓦斯かな
大正七年五月より
青じろく流るゝ川のその岸にうちあげられし死人のむれ
大正八年八月より
くらやみの/土蔵のなかに/きこえざる/悪しきわめきをなせるものあり
ほしめぐる/みなみのそらにうかび立ち/わがすなほなる/電信ばしら
大正十年四月
珪岩のましろき砂利にふり注ぐいみじき玉の雨にしあるかな
雑誌発表の短歌
そのむかし、なまこのごとく、水底を、這ひて流れし、石英粗面岩。
輝石たち、こゝろせはしく、さよならを、云ひ替すらん、淡陽(うすひ)の函根。
雲ひくき、峠越ゆれば、いもうとの、泣顔に似し丘と野原と。
蒼きそらゆがみてうつるフラスコのひたすらゆげをはきてあるかな
書簡中の短歌
うすびかる月長石のおもひでよりかたくなに眠る兵隊の靴。
武蔵の国熊谷宿に蠍座の淡々ひかりぬ九月の二日。
なんじをばかなしまず行けたとへそらOPALの板となりはつるとも
あかつきの瑪瑙光ればしらしらとアンデルセンの月は沈みぬ
原稿断片中の短歌
アンテナはふたゝびゆらぎ/くもりぞらすゞめさびしく/天窓を過ぐ
おわりに
宮沢賢治さん。春と修羅とも、銀河鉄道の夜とも、数々の短編とも、また違った印象を濃くする短歌群である。拾っていて、鉱物よりも植物への生々しさが迫る感覚を受けた。思うに、宮沢賢治さんの、あの、偏向フィルターを通したかのような文体は、三十一音では足りないのだと思う。
全体を通して石川啄木さん風の歌が多く、短歌とは、そのような心情吐露の器であったのだろうと推測する。