はじめに
BFC2の話題がtwitter上で盛んである。
文学は尖がっているべきだと思うので、たいへんに楽しい。
一方、あまり難解なものだと、たとえ6枚とはいえ読み通す気にならない。
読書とは時に忍耐でもある。苦行の果てに行き着く愉楽をヨシとする向きも大勢いらっしゃることだろうし、歯ごたえのあるモノでなければ物足りないという方々のいることは当然である。
ただ、私は咀嚼力より消化力に任せて丸呑みするタイプなので、できるだけ飲み込みやすい形状が望ましいとは思う。それで、俳句・短歌・掌編・断章を好むのだろう。それらはのど越しと腹応えであって、顎はさほど需要ではない。問題なのは、消化酵素の適不適である。
小説に対抗する俳句
さて、twitter上でとくに興味深いのは、このトーナメントにおける小説の優勢と、短歌の検討、そして俳句の惨敗に関する考察である。個々のツイートは各自で探していただきたいが、流れてしまったツイートのなかに
俳句一句のみで小説勢を無双するところが見たい(どなたのツイートか失念しましたすみません)
というものがあった。
それは十分に可能だと思った。
俳句は、それだけの強度と密度があり、広さと深さを畳み込んでいるからだ。だが、その広さや深さは、受けとる側の広さと深さに依存する割合が圧倒的に多い。それは、短歌や小説に比べて、という意味でもそうであり、また短歌や小説という乗り物とは、異なる性質を俳句がもっているとい意味でもある。
短歌や小説、という括り方は乱暴だが、小説は俳句に寄った物語であるといえなくもないし、短歌は切り詰めた物語であると考えても遠くはないとは思う。肝要なのは、そうした「かたち」を常に逸脱しようとすることこそが「文学」だと思うということだ。
そのような一句に、
古池や蛙飛び込む水の音 松尾芭蕉
が、なりうるか? といえば、それはやはり難しいだろう。
この句ののど越しと腹ごたえは素晴らしいのだが、そのすばらしさを手放しで読み手に放り投げるだけというのではやはり「不親切」すぎるのかもしれない、俳句は。
短歌は時代にあわせて変化することができた。だがその分、短歌は「物語」のルールでの戦いに巻き込まれやすい。読みやすさ、わかりやすさ、がそういう短歌の利点だが、少ない言葉数に頼る点で俳句に似た困難を併せ持つ。
少ない言葉数という問題。これは新俳句運動が改善しようとして瓦解していったパンドラの函といえる。
リゾームのクジラ
だが、その少ない言葉だけで圧倒的な宇宙を提供しうる俳句の形式を、原稿用紙6枚分連ねることができれば、そこにどれほどの凄みが表現されるだろうと夢想する。
たんに、○○句集 というまとめ方ではなく、ある事件の一瞬一瞬が、事件とその背景をも飲み込んでがばりと浮き上がってくる、リゾームのクジラのような一句の連なり。
事件の記述
小説とは「変化・動き」を記す。その有無を記す。その有無の動きと変化の道程を、あらゆる規制を排して、したがって規制を食い破るようにして記述した一連である。そしてそのようにして作られた俳句の一連は、案外、句集の中に見出すことができる。
出産、結婚生活、闘病生活、死別など、人生の転機を詠んだものである。
それは、「連作」ではないのか? そして、その理解の方法はモンタージュ形式の映画のように行われる、つまりは小説的編集をほどこして可能なのではないのか?
俳句連作の小説
前回のブログでは採り上げなかった俳句連作の可能性は、このライン上に、もっとも色濃く位置している。俳人は、時々刻々を句に留めずにはいられない。こうした一連する事件を、そのときそのときに。それは一篇の小説である。(小説はこのように越境する)
飯田蛇笏「病院と死」
わが子の闘病と死別。入院から葬儀納骨から供養までの情景と父の心情を詠んだ75句。これらについて、書いた感想文がこれだった。
『飯田蛇笏全句集』
角川ソフィア文庫から出ている、飯田蛇笏さんの句集全9冊を完全収録した分厚い本。職場の引き出しに入っていて休憩時間などに少しずつ読んでいる。
飯田蛇笏さんの句は、正直難しい漢字や言い回しが多くて、とっつきにくい。
だが、一方「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」「をりとりてはらりとおもきすすきかな」といった、とても理解しやすくかつ、含蓄のある句も多く、同じ人が同じ意識でつくっているとは思えないほどである。
生涯甲斐の地に定住し、「自然」に抱かれ、自然に対峙し、自然にたいする畏敬をもって詠まれたものが多いと思うのだが、その中で例外的に情景=心情がとらえやすい、一群の句があって、それはご子息数馬さんの病からお弔いの後日までを詠んだものである。
句集としては四冊目の『白嶽』には昭和15年の半期からから昭和17年までの句を中心に編まれており、その中の「病院と死」と題されたものだ。
『詠むにたへずし詠まざらんとしてもまた得ず。生涯をたゞこの詩に賭する身の、之れをわが亡子数馬に霊にさゝぐ』と記されたこの句群の、情景と心情。子の死を俳人として捉えてしまう心。画家熊谷守一さんにも、息子の死をたたきつけるように描いた油絵があったことを記憶している。それは、詩人の業なのか、それは鎮魂につながるのか、それとも死を詩とすることは罪なのか、罪の浄化なのか。
この全句集の、この部分を私はとくに繰り返し読まずにはいられない。そして私とは無関係なご子息の死を読んだ句をただ記憶しておきたいと思うのである。
抄録
南風つよし子の病難に飯を噛む
入院す吾子をたすけて弥生尽
病院の梅雨の貯水池あをみどろ
しなしなと吾子の手首や夏を病む
患者群れ苑のクローヴァ花咲けり
医もおそる夜半の病者の玉の汗
妻そむき哭くバルコンの夏日昏る
薔薇あかし脳髄の皺すきとほる
子は危篤さみだれひゞきふりにけり
ふた親のなみだに死ぬ子明け易し
吾子の死に夏日のかたき土をふむ
泣きあゆむ靴炎天におとたてぬ
六月二十六日苑内通夜
屍を安置して夏の燭たゞともる
通夜あけて楡の下道梅雨乾く
花桐に霊柩車ゆきこゝろ澄む
荼毘
桐ヶ谷に夏雨にぬれ吾子を焼く
荼毘の火のみえがたく梅雨曇りかも
梅雨に抱く骨ほこほことぬくみあり
梅天や骨壷さめぬ膝の上
骨うめて故山のつゆに母の経
当七日の宵
はや吊りて夢幻のおもひ高燈籠
おわりに
俳句の連作を担保するものとは何か?
そのひとつはやはり「生活」ということになるのではないかと思われる。俳句とは流れる時間の滞る一瞬の、凝結する空間である。人間の、私の一貫性を担保するものは、はやり「外部」求めるよりほかないのだとするならば、俳句連作を担保するよすがもまた、外部に求めるよりほかないのでないかと思う。
それはつまり、外面だけがすべてなのだということの証左でもある。