望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

『俳句の世界 発生から現代まで』 小西甚一 を読んで

はじめに

どこかでだれかがだれかにお勧めしていたのを盗み見て借りて読んだ

『俳句の世界』講談社学術文庫。(もう一冊は読んでいるところ)

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借りた本二冊

先日読み終えて、以下の感想を書いた。

 「俳句鑑賞に新機軸を拓き、俳句史はこの一冊で十分と絶賛された不朽の書」という裏表紙の紹介文に偽りはありません。連歌から発句、俳諧から俳句を綿密な考証と鑑賞によってその性質の変遷を、じつにわかりやすく、落語のような砕けた文体で手際よく並べていく手腕はすばらしいです。
 著者は、平安時代以降、芸術とは「作り手=受け手」であるようなものであり、その「作り手=受け手」という閉じたコミュニティーにおける特殊な了解があってこそ、それが成り立つと紹介し、芸術の例として「書」「和歌」「連歌」を示す。ならばいわゆる「結社」「家元制」の構造をもつ「○○道」のほとんどが「芸術」なのであって、それらはみな「革新」ができない、という性質をもつ。
 また、連歌は「雅」であり俳諧はその「雅」に「俗」も加えたもので芭蕉の発案である。この「俗」を拡大解釈してなんでもありになったのが「月並調」であって、子規はそこに異を唱えて「芭蕉」の高い精神から「蕪村」に至り、そこに写生を見出してしまった。
 しまった、というのは著者いわく、「蕪村は決して写生の人ではなく、自らに「美のイデア」をもち、それに合致するものみを構成する人だったことを、「客観写生の人」と見誤ったところにある」とする。
 つまり、「客観写生」はもともと、高い精神性の網によって篩いにかけられたのちの「自然」を、天道、ともいうべき「イデア」に似せて配置した「主観」に他ならなかったからであると。
 まあ、客観写生はここでも、目の敵にされるわけで、(たとえば、高野素十については一言も触れられていない)それはつまり「どこまで見るか」「どこまで把握するか」というレベル、深度、高さ、の問題に帰結する。
 かくいう、著者も「佳作」とする俳句のほとんどは「叙事」であり、小主観、言葉遊び、といった月並を認めるものではない。
 ま、結局は精神論で、「わからなければ俳句の才能がない」というプレバト式に解釈をあきらめてしまうところも頻々にみられるところから、やはり俳句は「学問」にはなりえない、小説とは違う、文学ではない。といわれる由縁を自ずから露呈させているなとも思うのです。
 著作年代と同年代に活躍している「人間派」、自由律ではない、現代俳句の動向についても、可能な限り網羅し、この把握の正当性については、時間が決するだろうというところは、ひじょうに好感がもてました。
 ひじょうに癖の強い「俳句史」ですが、そもそも「客観平等な○○史」などありえない、という点で、そのような嘘をつかない本書は、ひじょうに有用と思います。

問題は二点。「受け手を選ぶかどうか」と「写生の捉えかた」です。

受け手の問題

 平安以来の「藝術」の定義を一変させたのが19世紀西洋文学であり、その性質が「社会性=一般性」という狭義での「普遍」を目指すものであった、という総括に異論はありません。それが「芸術」か否かは、作り手が気にする問題でしかなく、鑑賞者、消費者としては、そんなレッテルはどうでもいいのです。

(「芸術」というレッテルがあったほうが、「スケベ」と思われずに、ボカしなしのヌードを見たり買ったりできて高尚な自慰ができる。という見方もあるでしょうし、市場というものはとかく「レッテル」に依存するものなので、その点で「芸術」か「非芸術」かは、売り手にとっても重要な線引きとなりえます。その場合の芸術性とは、市場における付加価値の一つであり、「美」よりも「インパクト」が重視される傾向が強くなるでしょう。市場では話題性こそが最大の付加価値となるからです。そこでの芸術とは、常識外れであることを期待されるR1グランプリみたいなものです。だから、貨幣換算されない部分においては、芸術か非芸術かなど、どうでもいいことです)

 問題なのは、「鑑賞者に訓練が必要か否か」なのです。

 小西さんは、平安以来の「藝術」が、「連歌」「俳諧」を、「作り手ー受け手」の「自給自足」の関係においてなりたつ「ローカル」なものであったとし、季語と十七音という表現とその解釈は、門外不出の暗合の作成と解読と同じようなものだったととらえていると思います。それは、かつては「座」であり、現代では「結社」という形で連綿と続いているわけです。

 19世紀西洋文学によって「芸術=一般(できれば普遍)」こそが芸術となったとき、季語という制約をもたず、コールアンドレスポンスが可能な五・七・五・七・七型によって、心情表現に適していた「短歌」が「新・芸術」に滑り込んだのに対して、俳句は「第二芸術」へと貶められました。そこで正岡子規さんが「俳句は芸術なり」とぶち上げたことを小西さんは最大に評価し、西洋文学のリアリズムを俳句にもちこむ方法として「写生」を提唱した方法論はさておき、その始祖として「蕪村」を持ち出したのが誤りだったとしています。(写生については後ほど)

 連歌の「雅」に、その「雅」と同じくらいの高さの「俗」を許容して、俳諧として広げた芭蕉さん。その俳諧の「雅俗」を、より一般的な、庶民的な、国民的なものにしようと「雅」を取り払って俳句とした子規さん。この発展は一方で、俳句の「散文化」を助長し、碧梧桐さんらの新傾向俳句、井泉水さんらの自由律を産み出しますが、それらは結局、「俳句」のアンチテーゼとしてのみ存在可能であったにすぎず、俳句そのものの革新にはいたりませんでした。

 ところで、俳句というのはやはり、「解釈」「読み」が難しいものが多いとは感じないでしょうか?

 「結社内」のみで通じる「解釈」に甘んじていては、文学たりえないといいながら、小西さん自身も、本書内で、「この上五のよさは、長くやっていればわかるようになる」とか「ちょっと説明ができないが、よいことは私が保証します」とか「日本人以外にはこの感覚は体感として納得できないであろう」とか、「この柿の冷たさが分からないようでは俳句はわからない」というような意味合いの文章がそこここに出てきます。しかし、そのような「感覚」を共有できない者からすれば、このような突き放しは、分からなければ修行しなさいという「結社」と何ら変わるところはないのです。小西さんは、博学であり、考証学や解釈学に長けた方ですが、その方をもってしても、「よさ」を「言語化」することがためらわれるような何か、修行し、悟るしかない何かに、やはり俳句が依っていることを証明しています。

 しかし、それは「俳句」に限ったことではありません。「文学」だって、文字が読めればみな理解可能かといえばそういうことは全くなく、作品は、読者の人生経験によって、それを理解するよりほかにないのだという風にとらえれば、閉鎖性は単に相対的です。

 つまり、問題とすべきは

「正解」とされる「解釈」を「強要」されるか否か

なのです。
 作品は、読者の人生経験によって理解するしかありません。読者が作品をどのようなレベルで受け止めるかは、読者の人生にかかっています。
 自分の理解と他人の理解を比べて、他人の理解のほうが、より深く、広く、おもしろい、と感ずるのであれば、作品をそのような内容をもつものとして理解し直すことで、そのように読んだ他人の人生の一部を、自らに干渉させることができるのではないかと考えます。綿密な考証による解釈学上の正解なぞ、おもしろくなければどうでもいい、というのが、読者の保証された自由です。それは読者本人のみをユニークに変化させていくものなのです。

 理解とは自らを変革することでなければ意味がありません。その意味で、よりおもしろい理解が与えらえるのであれば、その作品の理解においては、そのように理解できる人を師とすることに、なんの躊躇もありませんし、作者の心情を汲もうなどとはハナから考えておりません。だから、作者の解釈がもっともすぐれているなどとも、私は考えません。

 小西さんの「俳句学」はひじょうにモダンなのです。このようなモダンなテキストが書かれていることは、俳句好きにとってひじょうに素晴らしい贈り物であったと思います。だが、読み手までもがモダンを強要されるいわれはありません。

 難解で何かよく分からないロールシャッハテストのような俳句を示されても困るのだ、といような引用をしていた箇所が本書にはありましたが、極論すれば、作品とは全てがロールシャッハテストのようであって構わないのだと思います。

 ただ、作者としては単に偶然の産物を、目の前の事物を、無造作に併置したものを「作品」と呼ぶことには耐えられないはずです。「偶然」「目の前」「無造作」などという「嘘」を信じる無邪気さは、作品の無邪気さとは待ったく逆の、「作為」としかいえず、かえってテキストをつまらないものにするのだと思います。

 事物と事物との配合による象徴

 これが俳句のみならず、あらゆる芸術の根源であると、私は思いましたし、その姿勢はやはり「唯物論」であり、「写生」以外にはないのだと思いました。
 描写に謎やほのめかしは一切あってはならない。しかし、その取り合わせ、二物衝撃、シュールレアリズム、予定調和的「接続詞」の不使用によるダダイズム的風合い、によって、顕現しない事の断面を露呈させ、その断面が読者の感知されるに際して、全体像として流動しはじめるような作品こそが、おもしろいのだと思います。

写生について

 もう十分に長くなってしまったので、写生については簡潔にまとめますと、全ての反写生論は「写生」を軽んじすぎており、「主観」と「客観」を取り違えている。という点を、これまで通りに指摘しておけばよいと思います。

 写生では到底描けない作品として本書に挙げられた作品においても、結局は「事物」を配置することで作品を構成しています。そうしなければ「書かないで顕す」ことは不可能なのですし、蕪村が写生でない、というのは、目の前のものを目についたものからそのまま書き並べたのではなく、美のイデアとでもいうべき自らの「美」の規範に即して、要素を取捨選択して、自らの「感じ」をより効果的に再現しようとしたものだから。という主張は、それこそが写生であり写生しないことに対する限界と問題点でもある、という事実を明瞭に示しています。

 小西さんは、予め自らの美の規範を設けることが陥る危険を指摘してはいますが、それを回避するためには「自らの精神を常に高潔に保持し磨き続けることしかない」という、精神論に頼るしかありませんでした。それでいて何を「高貴」「高潔」とするかは、過去の「優れた芸術」に対峙し続けること、という堂々巡りでしか説明ができません。やはりそこに「学」はありません。

 また、俳句は写生のせいで人間を描けなくなり、それによって文学から後退した、という反動が、社会派、人間派、の流れとなって、今ではもう随分生の言葉で心情を書いてしまう句が増えたと思いますし、それが新しいのだという流れがあるのだそうです。

 それらは「私小説」にとてもよく似ており、十七音の私小説が「書かずに顕す」対象が「私という人間」などという卑小なモノでは、読む気にもなりませんし、作家論でも書こうという評論家以外には、あかの他人に迫りたいなどとも思いません。だから、そうした句の理解とは結局「あるある」に留まるものでしかないと思います。

 それよりも私は、森羅万象を芋の露一つで象徴してくれるような句が好きです。

おわりに

 私が「俳句」について考えていたことは、今読み進めているもう一冊の方、『「俳句」百年の問い』夏石番矢編 講談社学術文庫に収蔵の

「潜在意識がとらえた事物の本体」寺田寅彦 昭和七年十一月『俳句講座』原題〈俳諧の本質的概論〉、昭和三十六年九月刊『寺田寅彦全集』第十二巻、岩波書店

に、もうそのまま完全に、写生も主観客観もコラージュも禅ももう、全てが、書かれていました。ここに付け加えるべきこと、省略すべきことを、詳述することが、喫緊の課題となったことを記して、今回は終了いたします。