はじめに
『レンマ学』(中沢新一)を読んでいて、この本からの引用がありました。私は、脳=腸 を半ば本気で信奉しているフリをしており、その意味で「頭足類」には非常な関心を抱いているとともに、メンダコとコウモリイカには目がないときていますから、これは読まねば! と借りてきたのでした。しかし、何か違う。どストライクのテーマのはずなのに、おもしろくない…… というブログです。
すばらしきタコ
中沢さんはタコの脳について、引用していました。それは人間とはまったく
異なっており、その中央を食道が貫いている。そしていわゆる脳だけが脳機能
をつかさどるのではなく、ニューロンは全身に分布していて、腕で考え、腕で
見ることができるのだと。なんと素晴らしい創り方ではありませんか。
それぞれの脳
人間の脳。昆虫の脳。そしてタコの脳。
私の中ではこの三つが、その道の頂点にある三種の脳だと思うわけですが、それは脊索動物、節足動物、軟体動物(とりわけ頭足類のタコ)の脳としてとらえられるといいます。
本書では、その構造の分化を「進化説」で説明します。そうでしょうね。生物はすべからく、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる方式で、思えば遠くへ来たもんだ、ってやり方を貫いてきた不器用な連中なのですから。にしても、それにしても、あまりにも、っていうコンピレーションが多すぎると私はいつも思っています。寄生生物や擬態。たとえばオーバーツじみたイカの眼だとか、それ本当に有利だったの? というツノゼミやバビルサだとか。
これは余談ですが、DNAによって近種か否か、分化のタイミングなどがわかるということであれば、生物の系統樹の根元のほうでは、たぶんきっと「交雑」なんかは、あたりまえだったのでしょうね。みんな、似たような生き物だったのでしょうし、好みのタイプとか、あったのでしょうかね。DNAが近いなら、雑種もたくさん生まれて、それでカンブリア大爆発的な、神様のおもちゃ箱みたいな、黒歴史みたいな生き物が蠢いていたのでしょうか。ならば、DNAがそれぞれに十分に違ってきてしまっている昨今、進化は当然ゆっくりになっているのは、固体の突然変異頼みになっているからなのでしょうね。という思いつき。
作者はとても熱心に、進化上の分化をひもとこうとするのです。それは、作者にとっては「意思の発生」を重要視していたからだと思います。ここが、違うんだなぁ、と私はもう、戦意喪失していました。
今ある脳を愚鈍に解剖学的に詳細に説明してほしかったわけですし、人間の脳との対比を徹底的に試みたもらえるものと、私は思っていたのですから。
「クオリア」なんてもちだしてね
結局、この本が「哲学者」によって書かれていたことが、私にとっての大きな間違いでした。
異質な脳が世界をどのように認識しているかという、「クオリア」問題に立ち入ってからは、ひじょうに説得力のない想像ばかりが並び、タコであるとはどういう気持ちなのか、などという、私の大嫌いな「アニマル動画に人間本位なアテレコと効果音で完パケ」みたいな寒いものになってしまったのでした。
本書はタコの解剖図すら掲載していません。
人間を基準とした主観的な観察にもとづく勝手な思い入れだけを、それっぽい論文からの引用で体裁をつくろっているだけの私には無駄な本でした。
タコはタコ
本書の存在意義は、「タコ」があまりに人間と違っていながら「人間」の思考(まず、脳には思考というものがある、という前提を疑わないところもがっかりな理由です。タコを考えるなら、それによって人間という存在が揺らぐところまでつきつめてもらいたいものですが)に似通った行動をすることに驚き、賛美するばかりの内容です。もっとも、本書に取り上げられているタコの行動学的知見からして、タコは名誉哺乳類として取り扱われるべき(本来はすべての生き物を尊重したいものですが)だと思いますので、スパスパきり刻んだり、電極をブスブスさしたりする実験は控えるべきと思いますけれども、いかんせん、「タコの脳」というのは、研究不足な分野なのだなということだけは、よくわかりました。
よかったところ
それでも、生物学的観察を記述した部分だけは、記憶しておくに足ると思い
ました。
寿命が2年から3年であること。
色を識別できないこと。(あんなに素晴らしい擬態をするのに!)
三つある脳と全身に張り巡らされた特異な神経系。
全身で光を感じ反応すること。
遊ぶこと。
などです。
おわりに
ともかく、頭足類はとてつもなく面白い。脳=腸を標榜し、かつ華厳経大好きな私は、絶対に避けて通れない生物なのだということは間違いないところです。