望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

『生存する意識』読書メモ -臨床的な意識とは

はじめに

『生存する意識 植物状態の患者と対話する』エイドリアン・オーウェン(柴田裕之訳) 2019.9.18第一刷 みすず書房 を読んだ。

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この副題を読んで即座に思い出されるのは、世にも奇妙な物語で、竹内結子さんが主演した『箱』である。

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 こうした、一切のアウトプットが不可能となった身体に閉じ込めらた意識。のモチーフは古来から数多い。それが脳の活動をスキャンすることで確認できた、というのが本書の内容だ。
 自分の外部で、誰が何をしているのかを全て理解していながら、人間の尊厳を尊重されない仕打ちをうけ、意思に反して栄養チューブを外され、死なされた多くの人の存在を、この本は示している。

 この本で私がもっともショックをうけたのは、脳のスキャンによって質疑(Yes or No)が可能な植物状態の患者に「あなたは死にたいか」と尋ねるところと、その答えが及ぼす倫理的かつ法的な問題点だった。

 意識を問題とするこの本では、「意識とはなにか」「何をもって意識がある、とするか」に関する臨床的な指針も示されている。また、植物状態から回復した患者に植物状態であった時のことを直接尋ねた結果も書かれている。それらは全て興味深い。

読書メモ

植物状態の人の15~20%の人に完全に意識があった。今が何年で自分が誰か。また介護者の名前も記憶できていた。

・自動症:側頭部か前頭葉で始まる発作が脳全体に回る。意図的に見えるが意識のない(後に記憶に残っていない)運動で、普段その人が行っている(訓練している)行動が出てくる。→『はじめの一歩』などで、意識がないのにパンチを繰り出したりするのは、こういうことかと思う

・PETスキャン:放射性追跡子を用いるため放射線負荷がかかり、同一人のスキャン回数に制限があるため、結果を統計的にしか示せない。スキャンに60秒~90秒かかるため総体的な動きしか検出できない。

パーキンソン病:記憶を保持する際、記憶同士が激しく競合したとき検索しやすいよう、整理することが困難

・ワーキングメモリー(短期記憶)は上書きされていく

植物状態の患者をスキャンする前には、視神経や聴覚神経が大脳皮質等との接続が切断されていたり途中に遮断されていたりしていないかの予備テストが不可欠。(外部からの支持が脳に届いているかどうか)

・意識は、「覚醒」と「認識」という二つの側面がある。運動反射や自動症との切り分け。

・自己感覚が無いとみなされる=植物状態

アルツハイマーの患者には「自分が何者かではある、という感覚が残っている」

植物状態といわゆる「意識ー無意識」の「無意識」とは異なる。

・「意識ー無意識」における無意識とは「散漫」な状態で、そこにフォーカス(焦点・注意)があると意識的となる。これは、「見えているもの」と「見ているもの」。「雑音としてスルーする音」と「その中から名前などを聞き取れること」の関係であり、この無意識は注意されれば即座に意識的となりうる状況にある。
ニューロンの定常的発火と興奮的発火と、その飛び火状態)

・脳の可塑性?:植物状態の患者がスキャンによって、外界を認識し意識的に思考していることを知ったのちで、付き添う人たちが積極的に話しかけたり、見せたり、聞かせたりすることは、回復に有用なのではないか。

・心理学的見地によれば、孤独者は脳に障害を起こす。

・症例1:植物状態とみなされていた間も、痛みもノドの乾きも感じていた。息を止めて死のうともしたが身体がそれを許さなかった。意識は「パッ」ともどり消えて、を繰り返しつつ、しだいに意識が戻っている時間が長くなった。→「悟り」のようだ。これを「つながる」というメタファーで考えては、解けない気がする。
しかし、雑音しか聞こえず、自分がどこにいるのか、なぜここにいるのかは分からなかった。「私は脳と二人になっていた」「脳はあきらめ(させてくれ)ない」

・意識とはコミュニケーションの可否か?

・脳をスキャンする際、脳の応答を検知するために、何をさせるのが適当なのか? それは患者に共通するのか個別なのか? 目か耳か? 心的表象(←気になる言葉)を生じさせるに足る質問とは? →触覚や嗅覚や味覚は肉体の反射と混同しやすい? スキャンで区別ができないのか、しにくいのか。質問のレベルや意識のレベルの切り分け方)

植物状態の人間(栄養チューブによる栄養補給)の患者が「死にたい」という意思表示を行った場合、それは「尊厳死」の要件を満たすか?(英国、米国それぞれの事例では、当時、本人の意思は確認されることはなく、それぞれ(紆余欲説を経て)栄養チューブを外すことが認められた。これが、人工呼吸装置を外す、場合だったら取り外しは認められない可能性が高かったらしい。(栄養チューブは単に医療行為なので医師の判断で中止できるが、人工呼吸装置は生命維持の観点から、単なる医療行為ではない、らしい。)安楽死尊厳死の区別をここではつけていないが、生かし続けるか、殺すか、の判断となることは間違いは無い。

リヴィング・ウィルの重要性

・閉じ込め症候群:意識は有る。瞬きか眼球を縦に動かすことによってのみ意思疎通が可能な患者。その人たちの72%は現在の状態を「幸せ」と答え、死にたいと応えたのは7%であった。

・装置を外してから絶命まで、人工呼吸装置は数分(まれに自発呼吸を始める)、栄養中部は餓死なので2wほど。(←患者に意識があったなら…

言語が専門の心理学者は、自信を持って解釈できるような脳活動を生じさせるのに必要なのがどんな単語なのかを知っていた。入念に吟味されており、抽象的すぎないものの、心的表象を生じさせるのに多少の努力が必要な程度には抽象的な単語、あまりありふれてはいないものの、内容に関連して記憶が呼び起こされる程度にはなじみのある単語。(中略)

全て二音節からなる単語で、通常の発話に出てくる頻度や抽象度、それが表すものを想像するときにの難易度が同じくらいになるように念入りに選んであった。

・また意味のない雑音バーストも交えている。

・意識があるとは、記憶の想起や、想起された記憶との対照等ができる、それを示せること。

・意識ありー最小意識状態(指で応える、目で物を追えるなどの反応が見られる)ー植物状態 の三段階と、意識ありー睡眠ー昏睡との違い。また、赤ちゃんー乳幼児ー成人の違い。

・意識はどの段階から備わるか? 「痛み」を感じるには意識がなければならない。

・脳の発達の度合い:妊娠8wで左右に分離。12wで神経接続が見られる。29wで脳領域が整ってくる。33wで各領域が効果的な連絡をとり始める。意識はこれ以降。
16wでも低周波に反応するが、成人の反応する部位とは異なっており意識的ではない。

アポトーシス:脳細胞が死に、新しい細胞に取って代わられない。

・意識の土台、という考え方。脳の損傷部位。赤ちゃんの不完全な意識と脳の損傷による不完全な意識の違い。

・音声を理解している脳(左側頭葉皮質の一領域で活動が活発になる)は、どのレベルで理解しているのか? 情景を思い描いているのか? 抽象的イメージのみ? 言語処理のみ? 記憶とのリンク?

・fMRI:酸素を多く含んだ血流と、酸素をあまり含まない血流との磁気的特性の違いを検知する。放射線負荷がないため、一人を何度でもスキャンできる。ほぼリアルタイムでモニターできる。結果はPETと同じように出る。

・意識とは言語理解である。fMRIによって、曖昧単語を含む複雑な文を理解するのに活性化する脳の部位が判明(二箇所の脳と記憶、社会規範との連携)このようなことが可能であれば意識があるとみなせる。

・側頭葉:自動的な記憶。視神経ネットワークー表象ー記憶。ぼーっと見ている状態。
前頭葉:能動的な記憶。記憶したい、という願望、考えがあると力を発揮する。前頭部中央の「背外側前頭皮質

・じゃ、この絵を覚えておいて、といわれ「覚えておこう」と意識すれば、前頭葉。つまり、「覚えていたから意識がある」のではなく「覚えておこうと意識した」ことが意識の実証となる。意識があるか否かの判定の質問とは「選ばせることだ」

・「テニスをしているところを想像してください(運動前野)」「あなたの家の中を部屋から部屋へ動き回ってください(海馬傍回)」 これでYES,NOの質疑に成功。ただし、fMRIを通さなければ、検知できないコミュニケーションである。

ゾルピデム(鎮静剤 商品名アンビエン)という不眠症治療薬は効果なし。親族などの、確証バイアス(ようは思い込み)問題。

・23人中4人の植物状態の患者は眠っている人よりも明瞭な意識があった(覚醒している)が、最小意識状態の人では反応があったのは31人中1人。

・あなたは死にたいですか? にYES,NOで応えられるものか?

・自伝的記憶と宣言的記憶(知識):自伝的記憶重篤欠陥の患者は、自分には姉妹がいることは知っているが、そのエピソードは何一つ覚えていない。

・YES,NOの受け答えによって、脳の損傷部位と程度も分かる。

・アポプレキシ:古代ギリシアで見られた状態。

・家と顔との二重写しの写真を見せ、まず顔(紡錘状回)、次に家(海馬傍回)と頼んだとき活性化する部位が変化すれば意識があると判断できる。ただし、この課題は目の制御が難しい。

・脳が疲れているときは、難しい課題はこなせないし、睡眠状態になってしまっていると意識なしと判断されてしまうかもしれない。また、これらの課題は全て「報告可能性」を計るのみで実際の意識の有無を計るものではない。

・映画を見せて、一般の人の脳反応との同期がみられれば、意識があると判断できる。それに最適な映画はアルフレッド・ヒッチコックの「バアン! もう死んだ」だった。これは脳の全体に働く刺激。

・EGG:脳波測定装置(小型軽量)

・fNIRS:機能的近赤外線分析法。血流の酸素量によって赤外線の吸収度合いが違うことを検知する。

・意識とは脳の機能である→意識とは身体の機能である。といいたい。

おわりに

 この本は、これまでの、そして今なお続いているかもしれない「早すぎた埋葬」の報告にほかならない。脳も臓器の一つであり、運動という能力はその機能の一部である。だから、その運動機能が全面的に損なわれたからといって、脳の機能の全てが損なわれたと結論するのは乱暴すぎる。ただ、これまでは身体運動によらず、脳の機能を検知する方法がなかった。そして、様々なスキャンによって検知される酸素消費も、別の何かの働きの結果である可能性も残っているのである。

 こうした脳スキャンによる意識有無のテストは、現在「研究機関」によって主導されているらしいが、早く意識レベルを測定するための通常の医療行為に組み込んでもらいたい。「意識とはなにか」などという悠長な問題は、研究機関に任せればいい。医療の現場においては、この本の成果で十分ではないかと思う。

そして、このスキャンの試みを見ていて私がずっと念頭においていたのは、

中沢新一さんの「三万年の死の教え チベット死者の書』の世界」1996.6.21 角川文庫だ。

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死後から49日の期間、「意識」がたどる輪廻の筋道と、それを導く僧のメソッド。「聴覚が最後まで残るので呼びかける」「すさまじい轟音とまばゆい光の世界」それは今回の患者さんの意識の明滅と、回復後の話に不思議とリンクする。

また、かつてこのブログで取り上げた

 

mochizuki.hatenablog.jp

との関連や、現在読んでいる途中の『意識の形而上学ー『大乗起信論』の哲学』 井筒俊彦 中公文庫2001.9.25初版

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との統合的な相関性についても考えて生きたい。(この本のレビューは後日)