望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

アナーキズムなんていらない

はじめに

 9月の中ごろに書き始め、下書きに放り込んであったブログがある。

『負債論』を読み終え、作者と訳者の著作に興味をおぼえ一通り読んでみようかと思っていた頃だ。 

『負債論』についての最初のブログ mochizuki.hatenablog.jp

上記ブログの最後には、今後読みたいアナーキズム関連本を4冊列挙している。その二番目に挙げていたものを読んで書いた下書きだ。

 

『負債論』についての最後のブログ 

mochizuki.hatenablog.jpそこからの引用

私は資本主義の行く末を危ぶむ共産主義待望者だが、アナーキストではないし、アナーキズムのための運動にも魅力を感じない。だが、既に組織されている様々な運動が、資本主義社会をクラックし、それが資本ー国家ー民族の三角形を再強化させないのであるのならば、賛同を惜しまない。それはまた今度「『資本主義後の世界のために』を読んで(仮)」の記事でまとめる。(同ブログより)

この二回目のブログは、最初のブログからおよそ一ヵ月後に書かれている。

どうやら、『負債論』を読み終えたところで、アナーキズムに関しては、おなかが一杯になったようだ。

 となると、私がこの下書きに残した「アナーキズムなんていらない」は、アナーキズムの思想論でも、方法論でも、実践でもない、アナーキズム批判だったのだろうか。

俳句のつくりかた

だが、この下書きを放置していた一ヵ月半の間、私はひたすら「俳句の作り方」「初心者の俳句つくり」「俳句論」「俳句添削教室」といった本ばかりを読んでいた。

俳句のアナーキズム

俳句は連歌の発句であることを止めた。そのとき、俳句は現実に対する一個人の批評となり、絶対に物語を構成しない、権威主義を離れた「自在」なものとなった(と思う)。

 俳句の欠陥

とことんまで、「個」と「世界」とを突き詰めたところに結晶する十七文字。それこそが俳句であり、そこにこそ、「普遍」が現われるはずだった。

 だが、この十七文字という極端に短い詩形であることが、俳句の読者に、自動的に「補完」を強いてしまう。いや、むしろ、それを期待しているのが俳句である。だが、それはあるあるネタの同感などという共同体を強化するタイプの補完ではない。全てを言い表すのではなく、そこに切れ目をいれておくこと。その切れ目は、読者が想定してない切れ目であり、そこから垣間見える「本質」または、そこから垣間見られる眼差しなど、に「ぎょっとさせられる」体験こそが「補完」されべきなのであるが、一般的には補完する際、「共同体」を「シイタケ駒」のように呼び込んでしまう。

しいたけ俳句

そして気が付けば、「俳句」の内部は「共同体」の菌糸でねとねとになってしまうのだ。こうなると、あとは放っておいても、同じDNAによる「シイタケ俳句」が雨後のタケノコのようにビラビラと生えてくる。それが結社である。

個から類となりカリスマがもてはやされる宗教的共同体へ

つまり、「個」は「共同体」という「類」にとって変わられてしまうのだ。

それは、「個」の拡大ではない。

「類」において、「個」は「類的本質」という「物語」として均質化された上、アンタッチャブル化されてしまうからだ。それが「一般」と呼ばれるものであり、その一般のなかの一般が「タダゴト俳句」であり「月並み俳句」と呼ばれるものだ。

そして上手なものは「特別な俳句」としてもてはやされ、特別な俳句が作れる特別な人がカリスマとして、崇めたてまつられるのだ。

しいたけ結社からしいたけ国家へ

大勢の一般市民が、カリスマ的指導者を崇拝し、それぞれのISMをもって、争っている。俳句は国家の内部に小さな国家を形成する。そして他を外部とみなし、外部からの干渉を嫌う。

非常にシンプルなルールに則っていながら、無数の亜流を生み出し、大同小異の小異にのみアイデンティティーを見出して、大同を認めない。同じ一つの国にあって、それぞれの切り口は全く異なっているため、そもそも同じ一つの国などという事実ですら認められない。この差別主義は人間性にも及ぶ。

丸い地球も切りようで四角

俳句はあらゆる場面を切断することができる。その際、球体がその切断の仕方によって、無数の断面を形成するように、世界は一つではなくなる。

それを、『多様性』の証明とするのではなく、「本物」と「偽者」、「深さ」と「浅さ」、「分ってるやつ」と「分ってないやつ」というに差別に利用する。

ギャグ句会

句会はいい。互いの「個」をもって自らの在る世界を鑑賞しあい、自分のそれとの差異を、無責任に楽しめれば、それが句会だ。何かを変えようとか、何かになろうとか、しない。ただ、自分にとっての社会と自分。そのスタンスの差があるだけだ。

つまらない人間達 

そして、そのような結社とは全く無縁に俳句を詠む奴は、何の影響力ももたぬ有象無象である。私はそのように俳句を詠む。

そして、そこにしかアナーキズムはありえない。

アナーキズム

団結は不用だ。

アナーキズム運動は、運動であるべきではない。それは、組織されてはならない。連絡会議も、共闘も、不要だ。

同胞の支援は不要だ。

支援を受けるなら、それぞれの抗う相手から支援を取り付けるべきである。それが戦略というものだ。

暴力は不要だ。

アナーキズムは好戦的である必要はない。暴力は古い物語としてかならず共同体を産む。結果、アナーキズムは単なる「しいたけ国家」を成して潰えることになる。

敵は不要だ。

多様性が認められなければ、選別と排除の理論が「王」を産むだろう。

アナーキズムグラバカだ。

アナーキズムの美しさは、K-1的ではなく、グラバカにある。

互いに離れたところから単発的に相手と対話を交わす関係ではない。

相手とぐずぐずに溶け合って一つになる。巻き込み巻き込まれた一体化の果てに各々の「個」を確立することこそが、アナーキズムの姿勢である。

アナーキズムは不用だ

それを名づけてはいけない。名指してはいけない。旗印としてはいけない。指導者をもってはいけない。バイブルを携えてはいけない。アナーキズムはもう、あなたの心のなかにある。その心の中にあるものを実現すべく、自らの居場所で、自らにやれることを実践するのみだ。声に出す必要もない。本など書かなくてもいい。信じることを行うこと。認められることに意味は無い。アナーキズム活動歴何年とか、アナーキズム活動実績は、とか、関係ない。それで飯を食おうとするな。もはや、それはアナーキズムでない。よりどころを求めるな。アナーキズムは常に流浪するものなのだ。

本題

と、大幅に脱線したところで、下書きに日の目見せようと思う。

下書き1 本の紹介

(『負債論』に)つづけて

資本主義後の世界のために (新しいアナーキズムの視座も読んでみた。

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2009年03月30日発売

資本主義後の世界のために
新しいアナーキズムの視座

デヴィッド・グレーバー 著
高祖 岩三郎 訳・構成

四六判 上製カバー装 216頁
定価:本体2,000円+税
ISBN 978-4-7531-0267-9 C0010

いまここにあるコミュニズム

アナーキスト人類学のための断章』で日本の思想界に強烈なインパクトを与えたデヴィッド・グレーバーへの待望のインタビュー集。斬新なグレーバー的価値理論が、希望なき資本主義システムのオルタナティヴを提示する。どれほどの大企業であれ、その内実はコミュニズム的でしかありえず、危機のときには必ずそれをあてにする現実――。こうした事実をもとに、人類学者でありアナーキストでもあるグレーバーの想像力が一気に爆発する。歴史と未来を同時に読み替える、希望に満ち溢れた社会・経済理論をここに。

 下書き2 著者紹介

【著者紹介】
デヴィッド・グレーバー (David Graeber)
1961年ニューヨーク生まれ。文化人類学者、活動家。『VOL』collectiveメンバー。
現在、ロンドン大学ゴールドスミス校常勤講師。
著書に『アナーキスト人類学のための断章』(以文社、2006年)、Toward an Anthropological of Value : The False Coin Our Own Dreams (Palgrave,2001) など。

 下書き3 訳者紹介

【訳者紹介】
高祖 岩三郎 (こうそ いわさぶろう)
1980年渡米。以後、画商、グラフィック・デザイナー、翻訳業を勤める。
Autonomedia編集員。『VOL』collectiveメンバー。
著書に『ニューヨーク烈伝――闘う民衆の都市空間』(青土社、2006年)、『流体都市を構築せよ!――世界民衆都市ニューヨークの形成』(同、2007年)
訳書に Architecture As Metaphor (Kojin Karatani,MIT Press,1995)、Transcritique (Kojin Karatani,同,2003)ほか。

 下書き4 目次

【目次】
高祖岩三郎/序文  共に考える場所、共に組織する時
D・グレーバー/インタビュー・1   新しいアナーキズムの政治
 新しいアナーキズム①――組織論について
 新しいアナーキズム②――戦術をめぐる攻防
 マルクス主義アナーキズム①――戦略分析と実践倫理
 マルクス主義アナーキズム②――ネグリと「前衛主義」について
 想像的対抗力をめぐって①――社会機構の否定と現前
 想像的対抗力をめぐって②――「戦闘規約」の書き換え
 人類学的価値理論――共産主義社会に寄生する資本主義
 疎外と革命
 9・11以後、運動はいかに可能か

D・グレーバー/インタビュー・2  新しいアナーキズムの哲学
 社会学ユートピア
 理性と道理
 贈与の類型学
 進歩史観をめぐって
 グレーバー的価値論の世界①――価値の測定と価値の実現
 グレーバー的価値論の世界②――負債と貨幣
 グレーバー的価値論の世界③――権利・私的所有・税
 グレーバー的価値論の世界④――「人間経済」について
 アナーキスト的世界システム論
 フェティシズムの再解釈
 新しいアナーキズムの哲学①――マルクスとモース
 新しいアナーキズムの哲学②――幾人かの先駆的思想家たち
     カストリアディス/ヴァネーゲム/バスカー/ホロウェイ/まとめにかえて

D・グレーバー/論文  負債をめぐる戦略

D・グレーバー+矢部史郎/対話  資本主義づくりをやめる
 前衛主義と暴力をめぐって/フェミニズムと低理論の実践/自律と表現高祖岩三郎/あとがき

 下書き5 読書感想文

『負債論』を一読してから、こちらを読み、再び負債論に戻ってみると、一層理解が深まるのではないかと思う。 インタビュー集なので、とても読みやすく、脚注も豊富だ。そこからネットなどで検索し知見を深めていけば、彼らのアナーキズム活動をより詳細に知ることが可能となるだろう。

こんだけ~。

以上