望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

ハルチカ 退出ゲーム から 出川哲郎さん に行き着いたこと

ハルチカ

『ハルチカ』(1)第三話で行っていた「退出ゲーム」。

 

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 演劇の世界では有名なものなのでしょうか。即興芝居で、あらゆるセリフが設定となって以降を規制し、その規制から、さらに設定が広がっていく。

 作中では、「双方の特定の登場人物を無理なく、舞台上から退出させたほうが勝ち」というルールでした。「理詰め」か、「感情」か。瞬発力と、先読み力とが試される、緊迫感あるゲームでした。 

スジナシ

 笑福亭鶴瓶さんも、アドリブ劇の番組(2)をやっていらっしゃいました。互いの呼吸を図りながら、ここがどこで自分が誰なのかを推し量っていく過程が、とてもスリリングです。

内村プロデュース

 即興劇といえば、内村プロデュース(3)で3回くらい行われた「ノーカットコント」が思い出されます。放送時間内に、設定発表、配役、オチをいう人を決定し、15分間のコントを成立させることがルールでした。編集に頼ることもできず、言ったこと、やったことはすべて放送される。それはつまり、やったことは全て現実となって、自身に跳ね返ってくることを意味しています。熱い味噌汁イッキ飲み、無理な早食い、キス合戦。フリのほとんどが投げっぱなしの無茶ぶりとなり、それがブーメランとなって、気づけば半裸状態。全て、オチが決まることはなく、ぐだぐだなまま終了していました。(「あたかも読書」というのも、余興としてよくやっていました。これも、今回お題にぴったりです)

そこでは、「言葉」が全てです。発せられた言葉の全てが、未来を規定していきます。

クラゲが眠るまで

 イッセー尾形さんと永作博美さんが年齢の離れた夫婦役を演じたワンシチュエーションコメディー集「クラゲが眠るまで」(4)において、永作博美さんは、劇中に放り込まれるイッセー尾形さんのアドリブを「時折、無視する、という方法も交えつつ、というのは、現実生活では、そういうことは、ふつうにあると思うので、そういうことも、リアルさの表現になるのではないか」というようなコメントをしていました。

 舞台上で、セリフを無視する、という行為は、「はじめの一歩」(5)で青木がみせた大技「よそ見」(6)にも匹敵する根性が要求されると思いました。

 

 演劇において、「セリフ」は重要で、みな「セリフ=設定」の原則において、芝居を壊さぬようにがんばっています。その生真面目さには、頭が下がる思いです。

 なぜそこまで、セリフを重視するのか。それは、演劇が、虚構だという認識から始まっているのだと思うのです。みんなで、現実ではないことを、現実として、表現しようとするからには、粗漏があってはならないのだ、という強迫観念でしょう。

ラヂオの時間

 三谷幸喜さんの『ラヂオの時間』(7)は、その強迫観念を描いた映画でした。
 滞りなく終わるリハーサル。しかし、生本番にぶっこまれた、台本無視の設定

「ドナルド・マクドナルド。パイロットだよ」

 この一言が、脚本のそこここに矛盾をもたらし、その矛盾を、つぶすたびに、別の食い違いがあらわになり、そのつじつま合わせをしていると、別のところが綻びていく。それでも、生放送は始まっている。リセットすることはできない。矛盾点は芝居を続けることで、解消していくしかない。誰一人、そこを立ち去ることは許されない。連帯責任。ドラマは、すべてを引きずって、すべてを解決して、終わらせなければならないのです。

異族

 中上健二さんの未完に終わった遺作長編『異族』(8)について、柄谷行人さんは

「一応まとまりのあるものを最初に書いてしまった以上、それを否定するためには長く書かなきゃいかんということではないんですか」と述べています(9)。

 連載形式で発表していく場合、書かれた物と、書きたいものとの不整合が生じた場合にどのように対応するかは常に問題となります。連載終了後、本にまとめるときに大幅に加筆訂正するタイプの作家もおおいようですし、別の話に仕立てる場合もあるようです。連載時、単行本出版時、文庫本出版時、そして全集収録時と、時を経れば、手を入れたい作品ばかりでしょうが、一度書かれたモノは、やはり、書き継ぐなかで、変革していくほうが、豊かなような気がします。

出川哲郎

「うそうそうそ。今のなし」
と言うところまでを「芸」としている出川哲郎(10)さんの方法は、気弱で逃げているようでいて、実はそうとうに度胸のいる行為なのだと思います。なぜなら、「今のなし」といったところで本当に、なかったことにすることなど出来ない、という前提に立った捨て身の芸だからです。「今のなし」といって、本当に編集されてしまっては、出川哲郎という芸人は、存在しないことになってしまうのですから。

芸人さんだけでなく

「(せっかくこの場にいるのならば)とりあえずバットを振ること。振れば、当たるかもしれんし、バットがとんでいくかもしれん」という明石家さんまさんがどこかで言っていそうな言葉は、堀内健さんや、太田光さんを常に追い込んでいきますが、生きていくということは、行為することですし、行為したことは、消すことができないことで、しかもそれが日々の収入に直結するという、残酷な環境のもと、芸人さんたちは奮闘しているのです。もちろん、芸人でない私たちも、同じことです。

なので、今回のブログも書いたまま、掲載します。

 

(1)

haruchika-anime.jp

(2)

www.tbs.co.jp

(3) テレビ朝日|内村プロデュース

 

(4) くらげが眠るまで - Wikipedia

(5)

ippo-100.com

(6)

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

(7)  Amazon.co.jp|ラヂオの時間 [DVD]DVD-唐沢寿明, 鈴木京香, 西村雅彦, 戸田恵子, 井上順, 細川俊之, 奥貫薫, 梶原善, 三谷幸喜

(8) 

www.amazon.co.jp

(9) 

www.kinokuniya.co.jp

(10) 出川哲郎 マセキ芸能社 MASEKI GEINOSHA Official Site