前回からの続きです。
飛鳥田孋無公(あすかたれいむこう)
さびしさは星をのこせるしぐれかな
霧はれて湖におどろく寒さかな
河の水やはらかし焚火うつりゐる
返り花薄氷のいろになりきりぬ
秋風きよしわが魂を眼にうかべ
昭和五年三十五歳の作。この3年後に夭折。
吉野秀雄
渋柿をあまたささげて骨壷のあたりはかなく明るし今日は
炎天に行遭ひし友と死(しに)近き妻が柩の確保打合はす
病む妻の足頸にぎり昼寝する末の子みれば死なしめがたし
長谷川かな女
蓮を掘る水底に城の響きあり
さぞ、昭和初年の写生派の俳人達を瞠目させたことだろう。
岡麓(おかふもと)
冬がれの梢に細き夕月夜吾子とわかれてみちをまがりぬ
文机の芥子の花しべくづれ落ちて硯の中の墨にひたりぬ
日のかげのとほくさすごとあかるくて牡丹櫻に雨ふりそそぐ
薄色にしづむなごりの夕空を遙の方とただおもふなり
写生主義の到り得た一境地と講すべきか。
松本たかし
金魚大鱗夕焼の空の如きあり
我庭の良夜の薄湧くごとし
佐藤佐太郎
街川のむかうの橋にかがやきて霊柩車いま過ぎて行きたり
葉牡丹を置き白き女の座りゐる窓ありにけり夜ごろは寒く
秋分の日の電車にて床にさす光もともに運ばれて行く
すべて狭義の写生主義などでは決して律し切れぬ不可解な魅力が一首一首の底にひそんでをり、象徴派と呼びたければ呼んでも一向差し支えあるまい。
坪野哲久(つぼのてつきう)
言問とはかなき夢を遂(お)ふに似つ砥石を一つ買ひて提げける
野見山朱鳥(のみやまあすか)
寒雷や針を咥へてふり返り
寒雷と針はつきすぎだが、結句の連用トメでのりきっている。
雪渓に山鳥花の如く死す
火を投げし如くに雲や朴の花
林檎むく五重塔に刃をむけて
鈴木花蓑(すずきはなみの)
薔薇色の暈(かざ)して日あり浮氷
作句当時の大正末には薔薇色は新しい語であったしかも古びない。「薔薇色」のみ主観を掛けた。
大いなる春日の翼垂れてあり
大胆不敵な主観空想への献身が試みられ、度度奏効している。これあってこそ「写生」という主張も説得力を持つ。
高屋窓秋(たかやそうしう)
鐘が鳴る蝶きて海ががらんどう
むらがりて蝶が舞ひしも荒地ゆゑ
木俣修
この深き記憶の襞にたもつ像(すがた)かの日杏(あんず)を砂糖に漬けゐし
篠原梵
葉櫻の中の無数の空さわぐ
ゆふぐれと雪あかりとが本の上
空蝉に雨水たまり透きとほる
花びらの落ちつつほかの薔薇くだく
閉ぢし翅しづかにひらき蝶死にき
横山白虹
母の日の闇に降りゆき菖蒲剪る
佐野まもる
虹消えゆくふかきこころをつくすとも
海に何もなければ虹は悲愴にて
歌人である私には決して創り得ぬほど、短歌的な俳句ゆえに拒みつつ魅される。
生涯を経て凍蝶の掃かれ去る
旅来し洋傘(かさ)土に突きさし墓洗ふ
疎林にて猟銃音に狙撃さる
大理石の柱しづかに虐殺日
油蟲殺したるのち寡婦の閑
堀内薫
天国の時計鳴りゐるきんぽうげ
テンとキンが最初と最後にオルゴールめいた澄んだ時報の名残の響きを聞かせる。またきんぽうげは毒を持つ。人を死に誘う魔のチャイムの意もあろう。
新日記三百六十五日の白
初釜やとがり乳房を緊縛し
服部直人
緋の鯉の口あく時に作りたる小さき暗黒を吾は見下ろす
埼玉生れの娼婦がのりし遊覧車昏るる日にきらめきてのぼる
緋目高のかがやけるむくろ掌にかこひ嘆美して低し少年の声
ぼろぼろになりたる萩を愛撫して少年の立つところは遠し
細見綾子
鶏頭を三尺離れもの思ふ
は「何を」
くれなゐの色を見てゐる寒さかな
は「何の」
炎天に焔となりて燃え去りし
は「何が」
を敢えて言わふ軽さ。
三橋敏雄(みつはしとしを)
夏百夜はだけて白き母の恩
家枯れて北へ傾ぐを如何にせむ
草刈に杉苗刈られ薫るなり
もの音や人のいまはの皿小鉢
撫で殺す何をはじめの野分かな
いかなる翻訳の名手も散文化は不可能。ためにする朦朧化、修辞の不備による曖昧化、迎へた鑑賞を読者に強いる甘えた表現も、それらの中には少なからず私の最も排すべきところであるが、ここにはそのような堕落は毫も感じられない。
金子兜太
街娼に橋煌々と造られる
岬明るく美貌の造船工眠る
放浪の果ての四肢澄みわれらが餉へ
揺れやまぬ夜行列車に紺碧の老師
蛾のまなこ赤光なれば海を恋う
愛欲(ほ)るや黄の朝焼に犬佇てり
三十有余年、止らず、鎮まらず、常に世界に向いて好奇の眼を瞠(みひら)き、鞣(なめ)された言葉の膚を、殊更にけば立てて、不条理と不安と、頽廃と退嬰(たいえい:退いて消極的。積極的な意気込みがない。⇔進取)を告発して来た。その荒荒しい言語感覚は異様に平均化され、つるりと磨かれた現代俳句の群の中に置く時、一瞬息を呑むほど個性的である。その特徴ある文体を、鈍痛の抒情、濁流の叡智とでも呼ぼうか。彼の句は破調の場合は勿論、厳しい定型の内にある時さえ、電子音楽不協和音をほしいままに響かす。時には人の耳に逆らう。
一世を風靡した流麗な短歌的俳句の調べ、打てば響き響けば迎へるような即妙の連歌的リズムに抗し、あらがい、兜太一人の現代俳句の韻律を創造するため、これは半生をかけた試みであり、同時に示威であろう。かつて、自由律俳句が挑んだ定型定型枠外の「自由」を枠内に生もうとする音かも知れぬ。私は、その音に耳を順はせたい。
寺山修司
一つかみほど苜蓿うつる水青年の胸は縦に拭くべし
「チェホフ祭」五十首が昭和29年18歳。寺山は予兆であり、魁であり、ミューズを先導するアポロだったと言ってよい。
和田悟朗
死なくば遠き雪国なかるべし
上五の字足らず。この一音の欠落が沈思の末辛うじて開いた唇からゆくりなくも洩れ出た言葉であることを証する。
(吃音の俳句とは、字余り、字足らずであるはずだ)
春日井建(かすがいけん)
海鳴りのごとく愛すと書きしかばこころに描く怒涛は赤き
高柳重信
裏切りだ/何故だ/薔薇が焦げてゐる
佇てば傾斜
歩めば傾斜
傾斜の
傾斜咲き
燃えて
灰の
渦
輪の
孤高の
薔薇枯木らよ/これは/河口の/楔形喪章
薔薇に/架けられ/吹きなびかせてゐる/髯よ
むしろわななけ/いま/縊られる/神聖薔薇王国
平井照敏(ひらいせうびん)
鷹の嘴さきにおのれの血がすこし
吹き過ぎぬ割りし卵を青嵐
雲雀落ち天に金粉残りけり
身の内に草萌えいづる微熱かな
秋の夜の足音もみなフランス語
黄落を他界にとどく影法師
山下陸奥
はねさわぎ水うち散らす魚族(うろくづ)をひとりの男しかりて通る
平俗退屈な「写生」に終始したような歌は見当たらない。口語自由律的世界を定型に生かし、新しい「軽み」を狙ったのだろう。新境地と言えば直ぐに自由律に走りたがる人にも頂門の一針であり、今日も未開拓の、興味ある発想、手法として記憶に値しよう。
杉の木は年古りしかば根元よりいきいきとして泉の湧けり
月出でて二時間ばかりと思ふとき恍惚として山重なれり
畳の上に妻が足袋よりこぼしたる小針の如き三月の霜
限りなく雪の降りつつ我家より二里ばかり離れし処を歩める
全く関係も脈絡もない二つの事物を、強引に配合して、不可解な因果関係を創り上げる手法は、既に茂吉にもい数多くの典型をいる。
これは象徴を目ざす歌人にとって、永遠の魅力であり、常に新しい課題だが、杉の古木と泉、月の出二時間後と重なる山、足袋と針状結晶の霜、我家と二里離れた雪中の道、それぞれに写生手法では決して割り切れぬ部分が要となっていて、それを認める人には面白い歌ばかりだ。
さいごに
新傾向、自由律、(いわゆる狭義の)写生に厳しい評価の中、項目として抜き出さなかったが、高野素十に関しては、大いに評価している点がおもしろかった。そのあたりについては、また別に書くことになるだろう。