はじめに
一気に読んで、そのつぶさな鑑賞と審美眼に圧倒された部分をメモしたので、清書の意味で記す。つまり、本ブログに私自身の言葉は無く、すべてこの本からのメモである。
何回かに分けるかもしれない。また、取り上げられた作者別に記していくが、「写生」に関する発言については再度別に考察するかもしれない。
これは抜粋でも引用でもない。メモだ。なので、このブログからの孫引きは決して行わず、興味をもたれた方は、ぜひ、本を読んでいただきたい。
高濱虚子
題以外の添加物は原則としてない方が読者は助かる。小うるさい詞書や注釈など、ほとんどの場合、自立できない句の突丈棒に過ぎない。挨拶などと言うが、怖ろしく私的な要素で成立して、作者と某との黙契にもとづく暗号発信のような句もあり、一概に歓迎できるものでもない。(…)究極は誰かへの挨拶であろうとなかろうと、一句の背後から、おのづから作者の籠めた思いの匂い出るような作品が、まことの人々すべての魂のメッセージとなるだろう。
中塚一碧楼(なかつかいっぺきろう)
霙れるそのうなじへメスを刺させい
乳母は桶の海鼠を見てまた歩いた
鳥さへずる昼中のからだひえびえ
あいまい宿屋の千枚漬とそのほか
秋の崖急なれば男女むつみけり
一捻りして提携をわざと歪め、そこにアブノーマルな面白みを作ろうとすれば、この種の句はたちまち新傾向の月並に堕落する。千枚漬や崖は堕ちる寸前だ。
青木月斗(あおきげっと)
元旦や暗き空より風が吹く
行年や空地の草に雨が降る
たくたくと噴水の折れ畳むかな
土岐哀果(ときあいか)
哀果 M18 啄木 M19 白秋 M18
尾崎放哉
一日物云わず蟻の影さす
一日は「いちにち」であろう。「いちじつ」なら「ある日」だが、ならば放哉は「ある日」と書くだろうし、「ひとひ」の和語は短歌的すぎる。
放哉の句は俳句定型にも季の約束にも捉われない。限りなく奔放に見えて、必ずも真に自由ではないところが、無季自由律の持つ矛盾であり、同時に面白みだろう。
詩質は、近年俄かに脚光を浴びる山頭火より遥かに高く秀句にも恵まれている。
咳をしても一人
墓のうらへ廻る
渚白い足出し
月夜の葦が折れとる
自由律俳句の極限の好例。
河東碧梧桐
ゆうべねむれず子に朝の櫻見せ
浅い煩悶、とりとめもない鬱屈、かかる中途半端な近代人の生の翳りを表現するのには、自由律俳句形式はまさに格好の器であった。
この山吹見し人の行方知れぬ
火燵にあたりて思ひ遠き印旛沼
梨売が卒倒したのを知るに間があつた
草を抜く根の白さ深さに耐へぬ
いづれも重要な何かが欠け、その空白を隠すように句は早口で、あるいは吃り吃り何かを伝えようとあせっている。
それゆえに、一種のいたましい美が、薄い影を伴って揺曳する。それしてそれが新傾向、自由律の、ついに自立し得ぬ宿命を暗示しているのだ。
前田普羅
花を見し面を闇に打たれけり
「打たれけり」は危うい誇張だが、私は見事に成功していると思う。それも俳句なればこその効果で、短歌ならば品位を失うに違いない。
人殺す我かも知らず飛ぶ蛍
夜長人耶蘇をけなして帰りけり
人の如く鶏頭立てり二三本
奥白根かの世の雪をかゞやかす
凍蝶の地を掻く夢のなほありて
行く秋や隣の窓の下を掃く
形代にわが名を書きて恐ろしき
秋風の吹きくる方に帰るなり
水原秋櫻子
高嶺星蚕飼の村は寝しづまり
(鑑賞が、泉鏡花調を意識して書かれた名文)
時として一首の短歌の上の句だけを切り取って来たような不安定で間伸びした感も
石田波郷
青嵐公衆電話入りて閉づ
前田夕暮(まえだゆうぐれ)
『生くる日に』(第三歌集)
血まみれの掌のあとを道ばたの電柱にはつきりのこした
私の體のなかで啼くものがある、鶫だ、外は夜あけだ
昭和3年「新短歌」提唱「新興短歌」を標榜した口語自由律作品集『水源地帯』(昭和7年)。特異な言語感覚で綴った散文の切れっぱしと言う他はない。それがあるいは「自由律」そのものの宿命と言えよう。(散文の切れっぱしとして得る部分がありそう)
高濱虚子
夏の月林檎の紅を失す
季節はずれの林檎の褪せた赤は赤い月(ルナ・ロッサ)の光で完全に失われる。微動だにせぬ静物。ドラマは永久に生まれそうもない。
白牡丹といふといへども紅ほのか
紅梅の紅の通へる幹ならん
だが、「紅」はこの長命の天才の魂に通う、発句の血の色ではなかったろうか。
以下は小説『柿二つ』より
大寺を包みてわめく木の芽かな
我心在時軽し罌粟の花
麦笛や四十の恋の合図吹く
木曽川の今こそ光れ渡り鳥
秋天の下に野菊の花弁欠く
まことに自在である。
竹下しずの女
山の蝶コックが堰きし扉に挑む
短歌ではこういう乾いた表現はむつかしい
荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)
空をあゆむ朗朗と月ひとり
すべての自由律がそうであるように、この短詩らもわざと俳句になるまいとしてあるまいとして、あるものは中世の今様や、近世の小歌に近づき、欠陥だらけの美しさと舌足らずの潔さを誇っている。超季と言いながら、残された無数の作品の中で、読むに耐えるのはわずかにこれら四季の風物詩のみであった。
岡本かの子
うつし世を夢幻とおもへども百合あかあかと咲きにけるかも
紫式部以来の女流作家の中でも、特筆されてしかるべき天才の一人。四冊の歌集を世に問うた。
しんしんと櫻花(さくら)かこめる夜の家突(とつ)としてぴあの鳴りいでにけり
第三歌集『浴身』の大作「櫻」百三十八首。多分一夜に成ったものだろう。手のつけられぬような支離滅裂の美しさという他ない。この怪しい、発作的な創造力は、そして怖いもの知らずの表現力は、専門の歌人をさへ立ちすくませる。
勿論、これらの中には正視に耐えぬようなグロテスクであらはな詞句も混ざってをり(…)
正岡子規
『歌よみに興ふる書』の極論に近い狭義の写生論。
蚊ありぶんぶん台湾に土匪起る
明治30年 高度に洗練させれば茂吉の
たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり
に生まれ変わり得る。
蛇のから荊棘足を傷る旅
明治31年 漢詩調
石女の青梅探る袂かな
明治31年 ロマネスクな含み
片側に海はつとして寒さかな
明治32年
夏野行く人や天狗の面を買ふ
明治35年 意外性
断腸花つれなき文の返事かな
明治35年 秋海棠の軽妙な味
これらが単なる「写生」信心で生まれ得るかどうか、信者はとくと考えてみる必要があろう。
つづく