望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

『磁力と重力の発見1 古代・中世』メモ 霊性・生命・機械→「神」→科学

はじめに

 なぜ真如は物質(存在)となるのか? を考える上で「光」と「重力」とは一体のものだと思う。そこで、『磁力と重力の発見』全三巻を読むことにした。

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山本義隆著 2010.4.30第15刷 みすず書房

 今回その第一巻を読み終えたので、印象深い部分をメモしておく。(以下は、私的なまとめであり、明らかな誤記や、理解不足による見当違いな記述に関しての厳しすぎるご指摘はご遠慮いただければ幸いである)

古代ギリシア

アルケー

始原物質(アルケー)は不変である。ではなぜ「変化」が起こるのか?
アナクシメネス(前6)それは「空気」その濃淡により物質は変化する。
イオニアタレス(前624-546)「水」そして万物に「霊魂(プシュケー)」が宿る。
ヘラクレイトス(前540-480)「火」

これらは「感覚的」経験論より考えられており、ミトレスでは受け入れられた。

ロゴス

イタリア半島南部エレアのパルメニデス(前515-445)ロゴス(理性)だけが信ずるに足る。感覚は人を欺くが故。「不変なものが変化するのは矛盾=変化はない、となる」

機械論

ミトレスのデモクリトス(前460-370)「原子論」変わらないものの離合により変化する。「類似のものは引き合う」
エンペドクレス 「土・水・空気・火」の四元素の「愛と諍」により変化する。

ヘレニズム・プトレマイオス朝

ストア派 vs エピクロス
アテナイエピクロス(前342-271)全てを感覚にしたがっているべき。
宇宙の創造主としての神を追放する。
「不可分で不転化で充実した実在の原子と、その運動空間としての「空虚」
原子は、形状と重さと大きさ、及び形状に必然的に伴う性質をもつ。

その批判者としてガレノス(131-201)

ここまでの「磁力」の考え方のまとめ

還元主義的近接作用主義
原子論:デモクリトスエピクロス・ルクティウス
機械論:エンペドクレス・ディオゲネス・後期プラトンプルタルコス

説明不能な遠隔作用主義
霊性論:タレス・初期プラトンアリストテレス
生命論:ガノレス・アレクサンドロス

この対立は「重力」に対するデカルト(還元主義的近接作用主義)とニュートン(説明不能な遠隔作用主義)において再燃する。

ギリシアからローマに至り、文化的なものはほとんど相続されなかったが、そんな中、第三の主義ともいうべき自然観が現れた。
 自然万有あいだの「共感」と「反感」の網の目でもって自然の働きが成り立つ。この自然観が、ヨーロッパ中世に持ち越されていく。

ここまでのタレス→クラディアヌスまでの千年間を「古典古代」と呼ぶ。

ヨーロッパ中世

中世キリスト教世界

キリスト教には固有の自然科学理論がなく、他宗教との論争に弱かった。(※これは、仏教が論理武装を必要とした経緯に似ていると思う)

プリニウスの『博物誌』(事実も伝説も、観察も伝聞もまぜこぜの羅列的記述百科全書)が実用書や、論証論拠として用いられた。

当時の文書に残されているものは、一握りのキリスト教知識人のものであり、それ以外の大衆にとっては、伝承・迷信・素朴な観察・魔術などが身近であっただろう。

アリストテレスを発見

 ヨーロッパがイスラーム文化と接触し(ただし、十字軍は現実的には暴力的略奪に終始し、文化的にはほとんど何ももたらさなかった)、アリストテレスの諸著作を発見する。これはキリスト教とは相容れないものであったが、教会は「キリスト教に自然科学理論を導入するため」、また当時あらわれた富裕な領主、商人資本にとっては「知的好奇心」を満たすものとして、積極的に翻訳された。(修道院から大学へ)。

1200年代中期に始まるニューウェーブ

キリスト教:始まりと終わりのある被造物。
アリストテレス:永遠の自生物。故に合理的論証の対象となる。

過渡期には「宗教的心理」と「哲学的真理」というダブルスタンダードの提唱もなされていたが、

アリストテレスキリスト教にアクロバット的にもちこんだのがトマス・アクティナス。

宗教の補完のためとされた哲学(自然科学)を、宗教と哲学の真実はひとつで、それに迫るのは哲学によるとしたがロジャー・ベーコン

感覚と理性の統合

プラトン:感覚× 理性○
アリストテレス:感覚の適用は月下の世界 理性の適用は天上の世界(形而上)
ロジャー・ベーコン:経験(感覚)なくして理性(論理)の下地はない。数学的論証的認識と感覚的経験的認識は相補完しあう。

ロバート・グロステスト(1168-1253)

感覚に依拠した経験

『光について』
天地創造が神の意思や計画によるものでなく自然法則にのっとった自然世界の自己展開である。

『線・角・図形について』
自然界のすべての作用は光の拡張の結果である。

※また個別にとりあげたい。

ペトルス・ペレグリヌス『磁気論』

当時は「自由学芸」に対して「機械技術」とされるように、手仕事を卑しい業ととらえるむきがあった。古代からずっと「現象の観察からの論考」はあっても「実験検証」がなされなかったのは、古代ギリシアから続くこの姿勢による。(奴隷が働くあいだ、思索に励み芸術にいそしむ。古代ギリシアの思想的到達度をみれば、その限りでは評価できるものだったが、「磁気」に焦点をあてると、その限界が如実になる)

だから、研究とは、古代の著作を読んで考えること。に終始していた。

 だが、ペレグリヌスは、磁気を用いた「実用機械」の製作を考えており、そのために、環境をととのえての実験を精力的に行い、その結果を残した。ここに、史上初の近代科学的姿勢が現れたのである。

実用的な技と経験 vs 言葉をめぐる論議や論争 どちらが有用か。科学=有用性の時代の到来である。

第二巻へ

だが、磁力が地球そのものに関係している以上、それ以上の磁力研究の発展は、地球自体の発見なくしては見込めないものだった。14世紀から15世紀の、天候不順による食糧危機とペストの流行は、そうした余力を奪った。そして、ルネサンスを向えるのである。

おわりに

磁石は不思議だ。それは古代ギリシアの人にとっても不思議だった。彼らは実験なしに観察と観察の伝聞だけでその不思議な力に挑んだ。それは、「直接触れることなく選択的に他の物に影響を与える(引き寄せる。遠ざける)力」の論理的解明への挑戦だった。

この「力」に着目することで「自然科学」とは何かが、浮き彫りになる。「博物学」「宗教」「哲学」「自然科学」そして各分野へと細分化されていく過程が明らかになり、今ふたたびそれらが「統合」されようとしているドライブマップが見えてくる。

こうした流れにおいて、「数学」の位置づけは独特だ。数学も「魔術」との蜜月があり、カバラ数秘術といった「宗教」との関連も深い。が、それはまた別の話である。

冒頭に書いたように、私がこの本を手に取った理由は「真如の変化」する理由を知りたいがためであった。そんな中、ロバート・グロステストという人を知ることができたのは、大きな収穫だった。

続いて第二巻は「ルネサンス」である。しだいに難しい話になっていくのだろうと思われるが、私は私に理解できる範囲でこれを読み進めるのみだ。この意味で、私の姿勢もまた、ギリシア・ローマ以来の「研究=読書」という実践不足さは否めない。それを自覚したうえで、続けていこうと思うのである。