望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

狩と採集 ―『万引き家族』

はじめに

gaga.ne.jp

生計を立てるため、家族ぐるみで軽犯罪を重ねていくうちに、一層強く結ばれる一家。(公式ページの INTRODUCTION より)

万引きは軽犯罪ではありません。

keiji-pro.com

前提

 万引きを「される」立場に「も」立つ身としては、「万引き賛美? 冗談じゃないよ」と思ったことは事実です。

ルパン三世」を見て「泥棒賛美? 勘弁してよ」とならないのは、ナンデダロ?と考えた後、以下のブログを書いています。

 万引きを推奨するつもりも、正当化するつもりもありません。「笑顔」のためにならどんな手段を用いてもよく、その手段のために被害を被る者があっても、許される。などとは、思いません。(映画の紹介を読んだ限りでの感想)

 が、「万引きを正当化するナァー」みたいなモン書いてもツマラナイ。

 また、「勧善懲悪」「因果応報」。「罪をおかした後ろめたさ」とか「自己完結する謝罪」のような、予定調和のフィクションにも興味はありません。

法主義で

 犯罪に関しては、「法律」が対応すればいい。というのは「右京さん」と同感です。つまり、捕まらなければ、どうということはありません。

 「家族守るのに正当な理由はいらない」(password is 0) 

情操への影響?ナイナイ。

というところから始めましょう。

労働

 現代社会では、欲しいものを得るためには「貨幣」が必要です。その貨幣と商品とを交換することで、私達は生活の糧を得ています。

 目の前の惣菜を手に入れるためには、まず貨幣を得るため「労働」にいかなかければなりません。就業できなければ、貨幣を得ることができず、生命を維持する最低限度の栄養を摂取することはできません。

 売り手市場。とはいえ、例えばリストラされた中高年には再就職は厳しいままですし、身体的状況によっては求人に応じることができない場合だって多いでしょう。

緊急避難

 命をつなぐための、緊急避難的措置としての「万引き」。これは憲法の「生存権」につらなる諸法律によって、まづは、正当化されうるものと考えます。

 生活保護? ボランティアによる炊き出し? それは常に必要を満たしているといえるでしょうか? 全国レベルで実施しようとすれば、一人当たりへの「施し」は薄くなるにきまっています。

自立する

 だからこそ、困窮者は、国にもボランティアにも頼ることなく自力で「糧」を得る努力をするのです。人に迷惑をかけないためにも、自分の食い扶持は自分でなんとかしようとするのです。

商品ロス見込みコスト

 毎日膨大に棄てられる惣菜。企業はそれらのロスを見越しているのです。万引きとは、そのロスを数時間先取りしているだけの行為です。つまり、誰の懐も傷まない、野辺の果実をもぐような行為なのです。

 ただし、あびる優さん達のように、個人経営のお店を潰すような行為はしてはいけません。それは、個人商店主の生きる権利を奪う行為になるからです。あくまでも、豊かな資本を持つ企業のおこぼれをいただくのみにしなければ。

 かつて、『映画 スーパーマンⅢ 電子の要塞』における「サラミ法」的手法によって、経理的には存在しない端数を、広く薄く、拾い集める行為。空缶を拾う。鉄くずを拾う。雑誌を拾う。惣菜を拾う。そういう風な、ごく些細な採集行為です。

e-words.jp

 

来た時よりも美しく

 ある意味、資本主義に対する正当防衛ともいえる「万引き」ですが、気をつけるべきは「過剰防衛」とならない倫理です。

 せっかく豊かな恵みを実らせてくれる陳列棚を、根こそぎにして土壌をいためてしまったり、無粋な囲いや、心貧しいセキュリティシステムなどを導入されてしまっては、もともこもありません。

 稚魚は放流するとか、全て採ってしまわず、次回のために残す余裕とか、明日、来週、来月、来季、来年、3年後、5年後、10年後など、未来を見越した節度ある万引きを行うべきです。

 必要以上に採らない。共存共栄の精神が基本です。それに、「余分に盗って、仲間に売ろう」などという、資本主義の手先になるような行為も、厳に慎むべきです。動けない仲間分を採ることは、許されるでしょう。

 豊かな自然に感謝し、わたし達小さな者が生きる余地をのこしてくださることに感謝しつつ、清廉な万引きを心がけましょう。

所有の問題

 この社会を支えているのは「所有」の概念です。「所有物」の存在です。「自分のもの」という狭量さです。あらゆる法律は「所有」にかんする記述に終始しています。(だからこそ国家による強制収用を認める「公共の福祉」という概念を厳しくチェックしなければならないのですが、それはまたいづれ

「万引き」で生きられる?

 万引きは、この「所有」という概念から抜け出す行為に他なりません。なぜならば、現在の社会においては、「所有物」=「貨幣と交換したもの」という構図が基準となっているからです。

 ところで、なぜ万引きなのか?

 それは奪うものが「商品」という形態だからだと思います。
 「商品」は基本的には「店の所有物」(委託とか、棚貸しとか、いろいろありますが)なのですが、それは「貨幣と交換されること」を前提とした形態のため、「まだ誰の所有でもない」と推定されてしまうのではないでしょうか。

 「貨幣交換を前提しない」モノを奪えば「窃盗」。ですが、商品ならば「万引き」。だから、貨幣交換を行わない閉店中に奪えば「万引き」とはいいません。(建物や設備の破壊を伴う場合は「万引き」からは逸脱しそうです)

 また、書籍、化粧品や服飾雑貨は「万引き」と呼ばれますが、絵画、彫刻、宝飾品などは「万引き」とは呼ばれにくいようです。「売り場」がオープンかどうか、なども関係してくるのではないでしょうか。

 いずれにせよ、「万引き」と呼ばれない商品とは、生存にどうしても必要というものではなさそうですから、問題にはなりません。「万引き」できれば生活はできます。

リスク

「万引き生活」とは、「貨幣を使わない生活」です。それは、生きることを直接その手に感じられる生き方といえるでしょう。貨幣を仲立ちとすることに慣れきったため、人間の生活はVRにとって代わられようとしているのではないでしょうか。

 貨幣と交換した野菜よりも、自らの手で収穫した野菜のほうが美味しいでしょう。貨幣が仲立ちすることで、失われてしまった純粋さを取り戻すことができるはずです。

 そのように生きるとは、社会を自然として生きることに他なりません。つまり、そこには多くの外敵が存在し、自らの身は自らが守らねばならない、ということです。
 ですが、それは元来、当たり前のことではなかったでしょうか。

 野生動物たちを見れば一目瞭然です。動物達はみな、貨幣を用いず、自らの命を生きているではありませんか。リスクはあります。ですがそれは、貨幣を用いようと、用いまいと、存在するのです。巨大な敵に対しては、逃げるしかありません。生き延びるための逃走。それこそが生きることです。

wired.jp>Planka:自由に移動するという万人の権利のために、世界各国の都市において、電車賃を支払わないように呼びかける運動のひとつ。

施しを受けないこと

 先にすこし書きましたが、昨今では、「エシカル」消費がブームです。「万引き家族」もそれにのっからない手はありません。とくに「食品ロス」をつつくことは、無銭飲食を合法とする最大の論点です。

www.mottainai-ichiba.org

※ 買取再販では、ちょっと弱いな。貨幣が絡むと中抜きする組織だってあるからなぁ。貨幣にしちゃ駄目だな多分…… 海外なんていいから、国内の万引き家族を助けてもらいたいものだなぁ…

アプリで簡単予約! レストランの「廃棄物」いただきます! |地球ニュース|Think the Earth

※東京でもやっていたと思うけど、その評判は、『登録しても、廃棄を出さない俺の店エシカルでしょ!?』みたいな勘違いレストランが多いって聞いたよ。バンバン廃棄を出してもらわないと意味がないですけど……

守るべきもの

ま、使えるものは使うということで。守るべき倫理はただ一つ

「貨幣を仲立ちさせない生活」

そして

「(自他共に)「所有」を尊重しない」

そして

「(自他共に)損なわない」

あ、三つあった。

とにかく、「人はパンのみに生きるに非ず」肉も野菜もちゃんと採って、バランスのよい食事を心がけましょうね。