望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

主体なき意思決定の現場

ある日の夕方

 会社の休憩室に休憩時間になった方や退勤時間を迎えた方が集まってきたらしい。上司やそこにいない同僚への愚痴、夕方の特売品、今夜の献立についてなどを口々に話しながら大きな荷物をテーブルに載せる音とともに「あら大丈夫?」という声があがった。

スイッチ

「さっきそこで急に気持ち悪くなって…」という弱弱しい声が聞こえ、部屋を居心地の悪い沈黙が横切った。だがそれはほんの一瞬のことで、次の瞬間からハチの巣をつついたような、怒涛の会話が始まった。

 私は隣の部屋で声だけを聴いていたが、彼女たちの間に、なんらかの共通のスイッチが入ったのだと感じた。

不満

「なにか食べた?」「薬とか飲んだ方がいいんじゃないかしら」「本当に、さっきまで普通に接客してたのにね」などという声に交じって「ここのところお休みもなくて働きすぎだったんだよね」という声が響いた。
 「そうそう」「本当」「何連勤だったんだっけ?」「一週間…」「ひどいよね」「もうちょっとシフト考えてくれればいいのにねぇ」としばらくは上司への愚痴、思い通りに休日希望を出している、ここにはいない同僚についての悪口が盛り上がりかける。

確認

 「それで、どんな感じなの。めまいとか。ぐるぐる回る感じ?それとも目の前が暗くなるような感じ?」

 これは小さな声だったが「公平なシフトを要求するシュプレヒコール」を鎮静化させた。

「立つと、地面が斜めになるみたいなかんじで、息ができない感じになる…」と消え入りそうな声がする。わずかな沈黙がはさまる。

経験談

「その症状ならこのあいだ妹のお義母さんのに似てるな」「肩とか首の凝りからくるって聞いたことがあるわ」「あ、妹さんのお義母さんこの間入院してなかった?」「ええ、でもすぐ病院をだされちゃって…」「○○さんなんかも、膝ががくがくするって言ってなかった?」「あの時は熱があって」

「熱測った?」「寒気は?」誰かが訪ねる。答えはよくは聞こえない。だが女性の症状を聴き取ろうとする静寂からは真剣さが漂ってくる。

行動指針

「病院いった方がいいよ」という声がする。すると、あちこちから、「うん。病院だね」「診てもらったほうがいいと思うよ」「内科がいいんじゃない?」「カイロプラクティックが効いたって○○さんのお嫁さんが言ってたよ」「○○医院だったら、内科も婦人科もやってるんじゃない?」「うん。あそこの先生は、医大からきた人なんでしょ」「あら本当。私もこんど行ってみようかしら」「あ、でも6時までだってHPに書いてあるわよ」「水曜日は確か休みよ」「午前中はやってなかったかしら?」「○○クリニックは金曜日じゃなければ大丈夫よ」と次々と候補があげられる。

具体的提案

そういえば、という感じで、「車運転できる?」とたずねた人がいた。

「危ないわよ。運転は」「そうそう」「今日は帰った方がいいよ」「店長には私が言っとくから」「働きすぎよぉ」「身体こわしたら元も子もないって」「本当にもっと考えてしっかりシフト作ってほしいもんよね」「運転しないほうがいいから」「タクシー?」「家までなら送ろうか?」ともっぱら帰りの足の話となるが、これは、「今日、娘さんは家にいるの?」という質問で一気にまとまり始める。

「あ、今日は休みだったもんね」「でもさ、店長がおくればいいのにね」「あら、あの人の車になんて乗ったらよけい具合わるくなるわよ」「電話してみるね」「あ、もしもし、○○ちゃん。今お母さんがね……」

行動

「娘さんすぐ来てくれるって」となって、雰囲気は俄然活気づいてくる。「何か飲む?」「具合どう?」「○○医院だったらちゃんと見てくれるから大丈夫」「間に合うかしら?」「車どこに停めるかな?」「そこに横付けするよきっと」「階段ダイジョブかしら?」「車椅子とか借りる?」「いえ、そこまでは…」

解決の目処がたったことで、一種の興奮状態になっているようだ。とにかくじっとしていられないという感じがする。

「ちょっと買い物すませてくるわね」「私は店長に連絡してくるから」「あ、私もいくわよ」「買い物する予定のものあったら買ってきてあげる」

収束

そして、娘さんが到着し、荷物を手分けしてもつと、無事に車へのせたようだった。

 再び集った休憩室には、安堵と達成感が充溢し、店長への不満、働きすぎへの懸念、健康礼賛、今夜のおかず、などの会話が、始めと全く同じトーンで繰り返され、それが波の引くように遠のいていった。

総意のみとなるプロセス

それぞれが、それぞれの経験、意見、感情、憶測、判断を表明し、明確な肯定も否定も多数決もないまま、適切な段取りが進行していく。まるで、コックリさんのコインがスイスイ動いて、正しい宣託を下すがごときなめらかさで。

ここには、総意しか存在しない。リーダも責任者も存在しないのだ。

意識のありよう

人間の意思決定プロセスとは、このように行われているんだなと思った。そして、以下の本に書いてあった飛行船の比喩が、腑に落ちたという次第。

f:id:miyakotamachi:20170706210940j:plain

以上。