はじめに
以前、以下のブログを書いた。
mochizuki.hatenablog.jpこの中で、私は
ただ、「俳句」であることと「短歌」であること。の境界を寺山さんがどこに置いていたのかと考えてみる。両者は全く別の表現形式であると明言している寺山さん自身が、俳句の省略部をあえて限定するかのような七・七をつけたり、キーワードともいえる言葉を使いまわしたりするのはなぜか。
との疑問を自分に投げかけていた。
そして先ごろ、『寺山修司青春歌集』を読み直して以下のコメントを書いた。
短歌を作っていて、あまりに理に硬く、因果を抜け出せない心と、上句と下句をバラバラに書いて、てきとうにくっつけるみたいな方法は絶対に嫌だという思いとで、なかなか難しいのですが、そんななか、あまりにも感染力が強いため読むのを避けていた寺山修司さんの短歌を読みました。
そして改めて、寺山さんは俳句から始めた人で、短歌といえども、それは「俳句」の普遍性に「心情」という「個人の歴史」を反照させた作りのものが多いなと感じたものですから、「寺山さんの短歌を俳句に書き換えて、何が失われ、何が得られるのか」を検証しようかという戯言をするノートを作っていました。
wikipediaの寺山修司さんの項を読めば、寺山さんの短歌が、「剽窃」
「パズル」「モザイク」「継ぎはぎ」などと揶揄された当時の歌壇のくだらなさを知ることが出来ますが。
「短歌の声の統一性」とかいうしょうもない主張を、ちょっと思い出したりして。
個人の歴史は嘘でいいし、いいなとおもったら上手に盗めばいい。ポストモダンというのはそういうもので、にもかかわらず、テキストの戯れによって「私」を回復しようという短歌の作り方は、ねじれていて非常におもしろいと思うのでした。
今回のブログはその戯言である。
凡例
底本は『寺山修司青春歌集』角川文庫 平成四年三月十五日改訂初版の「空には本」の、今回は チエホフ祭。
基本的に機械的な切り取りと並べ替えによって短歌→俳句を再構成する。
俳句は無季、破調を含む。
助詞などの書き換え、付加及び短歌にない言葉の使用、季語の追加に関しては( )を付する。
一つの短歌から複数の俳句化が可能な場合はそれを連記する。
俳句化した短歌は転記せず、俳句化できなかった短歌のみ転記する。
俳句化した際に削除された情景等のうち、重要と思われる要素を【 】内に記載する。
上句をそのまま転記して俳句化したものは☆をつける。
あくまでも私的な戯言であり、俳句化の成功失敗および出来栄えは全て私の技量による。
実作 「空には本」チエホフ祭 による検証
チエホフ祭
向日葵の種ま(く)われの処女地(なり)
桃いれし籠に頬髭おしつけ(ぬ)
林檎の木汽過ぐるたび揺る(るなり)
莨火を床に踏み消(す)チエホフ祭 【若き俳優】
胸照ら(しつつ)コンロ(をつける)小さな火
復活祭日あたり(し)ドア(に)卵を打つ【貧しきドア】
桃うかぶ暗き桶水替うる父【還らぬ父につながる想い】
桶満たす肥料(や)黒人悲歌沈む【大地に沈む】
音立てて墓穴ふかく父の棺【父目覚めずや】 ☆
向日葵は枯れつつ花を捧げおり ☆
われすでに怖れてありし家欲り(ぬ)【鵙の巣を日が洩れており】
北風吹けばいますぐ愛を欲しおり
桃太る夜はひそかな小市民 ☆
(撒きし)種ふくらむ頃の別れ(かな)
ビラ貼り(し)女のベレーに髪あまる
鯖青し古き戦争映画のビラ
叔母(の)手のハンカチに(射す)夏陽かな
蟇の子の跳躍いとおしむごとし ☆
山小屋のラジオの黒人悲歌聞けり ☆
大杉に斧打ち入れて悲歌聞けり
この家も誰かが道化者ならん ☆
高き塀より越え(出)でし揚羽(蝶)
雑木萌ゆ口ずさめ友よ多喜二の詩
冬(の)蠅遺産のランプ一つ(かな)
向日葵(や)少年工(に)怒り(ある)
麦青(む)黒人悲歌のしらべ(かな)
春の歯車女工の手にて噛みあいし 【巨いなる声】
ポプラの木女工にも歌生まれよと
以上
おわりに
俳句は音。短歌は声。だと私は思っている。だから、声を生で記した俳句は短歌であり、声を情景として記した短歌は俳句なのだと。
十五歳から十九歳まで俳句に没頭した寺山修司。そしてそれ以後に短歌、その他へと表現の器を多様化させていったが、その世界認識は生涯変わらず、ただどんどん「私」へ深化していったように思う。
俳句でなら、言わなくて済むことがあり、それは少年(と括るのは乱暴であるとは思うが)寺山修司さんが目を背けたかった類の「現実」なのではなかったか。俳句における、個→普遍 の図式も、寺山修司さんにかかれば 個→多様化 の方便だったのだと思われる。
多様な表現方法に展開し、無数の戸籍抄本を取得してきた寺山修司さん。だがその全てが似ている。全てに祖型があり、その祖型をドラマ化することによってのみ寺山修司さんは、故郷と通底できたのではないかと思う。
今回、短歌を俳句に切り詰めたとき、何を喪失するのかを気にしながら作業をしていた。それは、下五を七・七に引き伸ばした心情や人々の形容であり、湧きおこる複数の感情の揺らぎであったりする「情」報だと感じた。
短歌は「私」を豊かにする分、物が人間に寄ってくる。それは自然に想いを仮託し、自然に想いを触発されるという、和歌の伝統に則っている。
やはり、寺山修司さんは、和歌の人であると思う。