通りすがり
何かやってないかと、チャネンルを変えていたときに、ふと手が止まった。
サングラスをかけたまま、かつら丸分りの金髪女がコートを着たまま寝ているベッドの傍らで、ルームサービスの皿の残り物をつまんだり、テレビを眺めたりしている男の姿が延々と映し出されている。
モノローグが流れているのだが、その「こういうのがカッコいいんだよね」という、片岡義男をこじらせたような台詞の羅列。
でも、耳からの情報は、手が止まった後で入ってきたものだ。
発光する湿度
違和感の正体。先ずは、暗さと、粒子の粗さ。だがざらざらした感触ではなかく、湿度が高い映像だ。
そしてその粗い粒子の一つ一つが、極彩色に発光していたような感覚を憶えた。
似た感触を得た映画
その感触は、まず、ジム・ジャームッシュ『ミステリートレイン』
そして、『二十世紀ノスタルジア』
部分的には、『すもももももも』のイメージシーン。
こうしてみると、手持ち16㎜(またはHi8)カメラの雰囲気なのだな。
見続ける理由?
音楽もビートルズとかを臆面もなく流したり、科白は前述にようにすべてがかっこ悪いし、シーンの一つ一つが冗長な気がするし、主人公の男の感情は全然響いてこないし、ヒロインはかわいくない。
しかし彼女は映画の中で魅力的であることは間違いないし、あらゆるかっこ悪さが、なぜか見ている方に気恥ずかしさを感じさせない。良いところは一つも見つからないのにもかかわらず、見続けてしまった。途中、歯を磨きに中座したというのに、いそいそとテレビの前に戻ってまで。
見終えた感想
見終えた後に「つまらない映画」という感想すら残らない。
ストーリーなどは、はなからどうでもいいし、凝った言い回しは口にするのもはばかられるほどかっこ悪いし、「スタイリッシュ」を標榜したとおぼしきシーンの数々は、ネオン管のような残像のみを曖昧に残したが、記憶には残らない。
にもかかわらず、私はチャンネルを変えることもできないまま、「何だこれ」という気持ちのままで、最後まで見終えてしまったのだ。
サイダーのような
次々に現れるサイダーの泡の一つ一つに、美しい原色をちりばめた風景が、ゆらゆらと立ち昇っては消えてゆき、しまいには、清涼感だけが微かに残る。
これは、傑作なのではないだろうか。
と今は思っているが、再び見返してみたいとも思わないのである。
奇妙な映画体験だった。
オマケ
この映画のカメラをやっているクリストファー・ドイル氏が監督した映画
タイフーンシェルター
緒川たまきさんが出演していたので、VHSを買いました。映像は、『恋する惑星』よりも、もっと粒子が粗くて極彩色。これがいいんだな。(とはいえ、CSIマイアミ的な色彩設計では全然ないのです。あちらはあちらでおもしろいけど)
音を消して、暗くした室内に流しておくのもいい。(そういう楽しみかたが、いい感じでかっこ悪いのかもね)