はじめに
私には、工藤遥さんが分らない。以前ブログにそう書いた。
工藤さん参加のラストトリプルA面シングルが発売となり、卒業にむけての
ツアーもスタートした今、さまざまなメディアが彼女の卒業をとりあげている。
前回のブログから5ヶ月。私は工藤遥さんのことを考えていた。
気付いたこと
The Girls Live
工藤遥さんについて語ろうとするとき、絶対に避けられないのは佐藤優樹さんとの関係だと考えていた。
だから、まぁーどぅーのインタビュー記事や、佐藤優樹さんが工藤遥さんについて話している放送や記事は、可能な限り 見たり読んだりしてきた。また、先日のThe Girls Liveの特集は興味深かった。
Top Yell 11月号
そんな中、今月号のTop Yellでは、かつての名物コーナーだった『まーちゃんくどぅーのハロプロ先輩探訪団」の枠を復活させてのロングインタビューが掲載されており、先ほど読み終えたところだ。
そして、一つの大きな勘違いに気付いた。
工藤遥さんを、佐藤優樹さんとの偏差において捉えてようとしていたことは、無意味だった。ということだ。
工藤先輩
分らなかった理由
私がずっと、工藤遥さんのことが分らなかったわけ。それは、ひどく単純な理由だった。
彼女が彼女の「本気」を隠し続けていたから。
そんなことはない。彼女はどんな現場でも常に「真面目にお仕事してる」人だ。それは傍目にみていても明らかだ。いつだって、その場で全力を出し切っているし、仕事には、ハロプロエッグの矜持をもって向かい、メンバーにもその姿勢を伝えていこうという気概に溢れていたではないか。
求められる人
ハロプロメンバーはこぞって、「工藤遥さんは優しい。気配りがすごい」と賞賛する。モーニング娘。のみんなも彼女を頼る。彼女はみんなの期待に応え続けてきた。
佐藤優樹さんは、ことあるごとに「どぅーは私といるとめちゃくちゃになっちゃう」と言っていた。
また、工藤遥さんのいわゆる黒歴史発言のほとんどは、上から目線とナルシシズムから成り立っている。
これらの根っこは一つだ。
彼女は多くの場面において、「先輩」という立ち位置でしか、相手と接することができなかったのだ。父親が子供との将棋にわざと負けてやるように。自分の我がままを我慢して弟にお菓子をあげる兄のように。自分の力以上に、彼女はみんなを受け止めようとしてきた。
ハル先輩
その意味で、UTB+が特集している「ハル先輩」シリーズは、現実の工藤遥さんのセルフパロディとして秀逸だ。11/3発売のDVD MAGAZINE VOL.100 が今から楽しみでならない。(10期富士急DVDと、サマーキャンプPART2とあわせて、待ち遠しい)
検証 ~先輩とは
だが、工藤遥さんが、6期や、元℃-uteの岡井さん、などと絡むときや、そもそも前出の「ハロプロ先輩探訪団」のときなどは、完全に後輩としての立場ではなかったのか?
彼女にとっての、先輩後輩とは「経験値」と「相対性」をパラメーターとする。
6期と話すときでも、話題が工藤さんに関することであるなら、「工藤に関しては自らが第一人者」であることは間違いないし、大好きな先輩と話すときは、「岡井さんが好きな気持ちはほかの誰にも負けていない」という立場で接することができる。また、ダンスや唄で先輩に注意されるときでも、「この注意を、エッグ経験がある自分が(同期の)後輩達に責任をもって伝えなければならない」という矜持がある。
先輩に接するにあたっては、自らの背後にいる「後輩の先輩」として、接する。
どんな時も、彼女は「先輩の余裕」を身に纏う。最近になって、彼女のいわゆる「中ニ病的言動」をメンバーに(表向きに)いじられるようになり、そういう自分を自虐的に肯定する工藤さん。というキャラクターが確立したのも、工藤さんが考える「大人の対応」であり、「成長の証」なのである。
そして、外仕事の際には、「自分がモーニング娘。の代表として対応する」という姿勢を全面に示す。あたかも、武者小路実篤が「白樺派」を勝手に代表してしまうかのように……
(モーニング娘。’○○といえば工藤遥さん! という印象は、実際としてかなり強めなのだ。工藤遥さん欠いたモーニング娘。'18は、きっと寂しいだろう。だから、MORNING MUSUME DVD MAGAZINE VOL.99を、私は買うことができなかった。工藤さん推しではない、ハロプロDD(モーニング娘寄り)の自分でも、工藤さん不在の現場を、まだ見たくは無いのだ)
よくできた子役感
現場で自らが求められていることを的確に察知し、相手が望む以上のリアクションでアピールをすること。
工藤遥さんの仕事に対する姿勢は、この一語に尽きる。
この「空気を読む」能力は、デビュー当時から非常に長けていたと思う。私が以前のブログで「よくできた子役」と言ったのはこの印象があったためだ。
そこから「相手が求めている対応」を読みとり、「いくらか嘘が混じってでも」その場が盛り上がる「正解」を提供すること。(ヤンタンレギュラーとして、明石家さんまさんと接する経験は大きな財産だ)
この思考過程に「浅く広く、影響されやすく、流されやすい」彼女がはじき出した「今コレカッコヨクネ」感を混入することで、「工藤遥」を、視聴者に「覚醒遺伝」させる、この灰汁こそが、彼女の個性なのだ。
ただ、この個性とは、傾向であって、本質ではない。彼女の本質を、私は見つけられないでいる。
夢の在処
月を目指すか、果てを目指すか
工藤さんと佐藤さんとがお互いに成功してスターになったとき、二人でまぁーどぅーを再結成コンサートができたらいいね、という話で、佐藤さんは大スターのイメージとして「アリアナ・グランデ」という実名を出しているのに対し、工藤さんのイメージは曖昧だった。
手ごたえのある仕事を一つ一つ成功させていくことで、到達できる場所。初めから「ココ」と決めずに目指す方法もあるだろう。
先輩ではなく工藤遥として
影響されやすく、流されやすい と自らも認める工藤遥さんが、「頼られることに頼ってきたこれまで」を「依存」と明言し、だからこそ誰にも相談せずひとりで決めた女優への転進。
とりあえず、彼女がよいマネージメントを受けられることを、願うだけである。
まとめ
夢の責任者
Top Yellのインタビューでは、佐藤さんが「絶対に表に出さない工藤さんの苦悩」を「邪魔しないでHere We Go」の歌詞に依って語り、工藤さんもそれを肯定している。
私が工藤遥さんが分らなかった理由は、簡単だった。それは佐藤優樹さんや、つんく♂さんのような場所にいなければ、けっして分らないことだったのだから。
モーニングを離れて、独りの人間としての自分を見つめ直したとき、自分は自分のためだけに「本気」になれるはず。工藤さんの言葉は、「祈り」のようにも聴こえる。
今は、工藤さんと佐藤さんとが同い年だったこと。その二人が出会えた世界線に居合わせた幸運を、素直に喜びたい。