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望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

村上龍さん、という老い

新装版なんていらない

 『限りなく透明に近いブルー』を読み返したくなりましたが、単行本も文庫本も近くの図書館にはなくて、本屋にも無い。以前にみかけたそれは、新装版で、表紙がブルー一色。そして解説が綿谷りささんでした。私は、表紙に描かれていた顔(1)がないのと、当時の解説のまま読みたいという理由で、買いませんでした。思い出補正+5くらいになっているのかもしれません。

 デビューから、『超伝導ナイトクラブ』までは、追いかけましたが、村上春樹さん『風の歌を聴け』にもやられて、こちらは『ねじまき鳥クロニクル』まで。

こってりと

 村上龍さんの、こってりと油多めのねばねばした暑苦しい文章に触れたい欲求は募るばかりで、発見した新装版の『限りなく透明に近いブルー』を書店で手に取ってページを繰ると、懐かしく、新鮮で、当時はあまり強くは感じられなかったすがすがしさを感じることができました。

 そこで買ったのが、『心はあなたのもとに』でした。それを読み終えて、僕はますます、『限りなく透明に近いブルー』の旧版を読みたくてたまらなくなりました。ところで、僕がもっとも好きな龍さんの小説は、『超伝導ナイトクラブ』です。

 Under Control 

   村上龍さんは小説に、コントロールできないモノに翻弄されながら、自分の全てをさらけ出してそれに対峙する主人公を、描いてきたと思います。あの文体でありながら、すがすがしさが感じられるのは、主人公が自らの信念に殉じることを恐れぬ強さにあったような気がします。それを運命といいかえてもいいかもしれません。彼らは潔よかったのです。
 それは、村上龍さんが小説を書く姿勢そのものだったのではないかと思います。

 しかし、村上龍さんは、小説を「シミュレーション」ととらえるようになりました。小説におけるリアルを追求する方法として、村上龍さんが最も重要視したのは経済でした。

 個人がおかれた経済状況下で、抑圧と発散とを繰り返す人々の営みを克明に描いく「テニスボーイの憂鬱」や「超伝導ナイトクラブ」が、僕は好きでした。そして、ヒーローシステムとしての『コインロッカーベイビーズ』は傑作だと思います。それらの小説中の世界は、現実世界の仮像であることで、リアルさを担保していました。

 しかし、『愛と幻想のファシズム』では、その方式が成り立ちません。全世界的に辻褄合わせをしなければ、世界観が破綻してしまうからです。村上龍さんは猛勉強をなさいました。

 新作を書くたびに勉強し、その勉強が対談集になって出版されるという方式が続きました。経済に関する雑誌も出版します。メルマガもあったでしょうか。対談集は、とても勉強になり、今から少し先のありうべき世界を、提供してくれました。

 ただ、それによって書かれた小説は、コントロールできない世界の話ではなく、誰かが支配している世界の話であり、支配するものとの闘争という図式にはまるようになってしまいました。

 作家としての経験、凄まじい勉強、大勢の有識者との懇談によって、村上龍さんは、小説を、世界を、コントロールできるものに、してしまったようでした。

 

『心はあなたのもとに』は、投機する村上春樹さんの文体で、経済に呑み込まれた渡辺淳一さんが書くような話です。

 もはや、『限りなく透明に近いブルー』のような文章は書けないでしょう。それは、成長とか、老成とかいうものとは違うような気がします。村上龍さんは、村上龍さんではなくなったのです。それが老いる、ということなのでしょう。

サディストの苦悩

 谷崎潤一郎の興味はマゾヒズムにあったから、正しく老いたけれど、村上龍さんは、サディストなのでしょう。支配するのは疲れるはずです。うまいものも食えなくなる。ステーキより刺身、茶漬けというふうに。若い頃の価値観が身体的に通用しなくなる。その惨めさを、こってりと書いてくれればいいけど、お金もあって、小説は支配下にあると考える村上龍さんは、もはや、黒幕、フィクサーとして存在するしか道が無い。それは、村上春樹さんが、『羊をめぐる冒険』でとっくに葬った男かもしれません。そのためには、村上龍さんは、再び「基地」を見つけねばならないのかもしれません。村上龍さんの大先輩である中上健二さんが、路地を失った後に辿った道を。それは、経済ではないし、肉体的衰えによる純愛なんかでは断然ないと思っています。

 

 

(1)asahi.com(朝日新聞社):『限りなく透明に近いブルー』、30年ぶり文庫新装版 - 文化トピックス - 文化