望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

碧梧桐俳句集 ―俳句と象徴

はじめに

『碧梧桐俳句集』を読んで、こんな感想を書いた。

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 自由律俳句新興の祖として、荻原井泉水さんと双璧だった「新傾向俳句」運動の旗手で、一時は全国的一大勢力となったのにもかかわらず、荻原井泉水さんと袂を分かちて後は次第に迷走し「短詩」「ルビ俳句」などに手を染めるも引退。
 井泉水さんの『層雲』は、山頭火や放哉などのビッグネームを輩出、自由律俳句=層雲。というのが俳句の正史であり、碧梧桐さんは忘れされた存在だった。
 虚子さんと同い年で、子規さん存命中は、むしろ虚子さんが主観派で、碧梧桐さんこそが客観写生の優等生であった。優等生。私はこの句集を読んで、碧梧桐さんは「賢すぎた」のだと思った。勉強のできる人の俳句だと思った。子規さんが後継を虚子さんに託したことが「客観写生」への対抗心を呼び覚ましたのではないかとも勘ぐった。
 初期の定型句は子規さんそのものである。子規さんはそのようスタイルが固定することを、俳句の寿命を縮めると危惧したのかもしれない。ならば、「新傾向俳句」の隆盛は、俳句のためにはプラスだったのではないかと思う。
 当時の俳句界の動きはとても面白い。それぞれの派閥の力関係などはどうでもよい。「写生」をめぐる考え方のぶつかり合いと、そのぶつかり合いが、現代からみればみな「同じ写生論」になっているところがおもしろいのである。

碧梧桐さんの俳句

www5c.biglobe.ne.jp様より。

碧梧桐さんの定型句はとても正岡子規さんに似ている。

春風や道標元禄四年なり

桃さくや湖水のへりの十箇村

門を出て五六歩ありく春の風

 徹底した写生を貫いており、時としてそれは高野素十さんの句のようでもある。

ふたかゝえ三抱えの桜ばかりなり

四五本の棒杭残る汐干かな

赤い椿白い椿と落ちにけり

古き梅古き柳や小六条

 だが、しだいに碧梧桐さんの俳句は窮屈になってくる

躑躅白き小庭も見えて加茂の家

首洗井の森や春田を落つる水

蟹の食みし山葵と見する梅の宿

豊かな「詩情」を感じさせるものも多い。

木の間の水春日さすまゝのゆらぎ

縁ありく鳩にも落花思ひ見る

蝶の触れ行く礎沓に匂ふ草

かくして定型を脱していく

砂まみれの桜鯛一々に鉤を打たれた

淋しかつた古里の海の春風を渡る

弟よ日給のおあしはお前のものであつて夜桜

桜餅が竹皮のまゝ解かずにある

菜の花を活けた机おしやつて子を抱きとる

なつかしき花ミモーザの一本に御手洗をはなれ

土筆かさかさ音を手ざはりを一包み地べた

  季語は使われている。だが、もはや「季語」に寄りかかる構造を脱している。季語ではなく自然の風物として、心情を動かした情景の要素となる。

『新傾向大要』

正岡子規さんへの批評

 同書には、碧梧桐さんの「俳論」がいくつか収蔵されている。『新傾向大要』は子規さんの死からおよそ七年後に書かれている。要点は「俳句とは変化していくものだが、その変化はとても緩やかなので見つけるのは困難で、子規でさえも「従来にない俳句だ」(「新傾向」)と評したものが、同年代にいくらでもみられる作風の一つであったことを認め、後年その失言を悔いたものもある。だが、このような微妙な変化を的確に『新傾向』と認めてゆくことで俳句の可能性は広がる」というようなものである。

夏山やかよひ馴れたる若狭人 蕪村 を、「主観客観の合の子。これは蕪村の創始」というが、荒磯や走り馴れたる友千鳥 去来 を忘れていたのではないか。
玄関にてお傘と申す時雨かな 太祇 の「と」を「実に不思議だ」というが
お帰りと蘭に手をつく坊主かな 秋航
身にしむと妻や云出て天の川 枯徳 の先例はあった。

と例を挙げる。

正岡子規さんには『分類俳句大観』という圧倒的な仕事がある。

www.nihontosho.co.jp その裏打ちがあってこそ「新奇さ」により敏感であったのだと思う。なので、子規さんが挙げた例句に「前例があった」と指摘するのはあまり有意義とは思えない。そのような指摘が可能なのは、子規さんの指摘があったから、なのだから。

新傾向とは季語の扱い方

 それから碧梧桐さんは「従来句」と「新傾向句」とを対比する。ポイントは「季語」と事物の取り合わせと、「写生」の態度にある。

大門を押されてはひる桜かな 四方太
――ありふれた直叙。桜と廓は陳腐。桜を過度に美化せねば成立しない。

「この句の出来た当時は写生熱の旺盛時代で、何でも写生すればよいという風であった(中略)が写生ということが作詩の究極の目的でない以上、写生し得た事柄に就いてもなお詩美の如何を論じなければならぬ」

さらに写生批判が続く。

「今日も依然として、この写生――有りふれた何人の目にも馴れた事柄の――を事として、俳句の能事了れりとする人がいくらもある。のみならず、この平凡な写生以上に想を凝らし調を練った句を見ると、何か間違ったことをしたように批評する者さえある。形式以上に思想の動かぬ人の主張であるように思う。
 外面の単純な描写は、詩として価値のない(詩美のない)ものに成り易いということは争われぬように思う。」

そして、新傾向句として

遊女町桜植えしと覚えける 紗羊

――表面は抽象的叙し方。これはある感想の直叙である。側面叙法、抽象的描写、感想の具象的描写=純主観の句
「吉原にもう桜も植ったろう」と何かの動機で思いつつ、嘗て観たことのある光景――見ずとも話しで聞いたか、書物で見たかした――を想像(中略)廓の桜という陳腐な取材に幾分新たな生命を与えたというだけは承認できる」

 など、いくつかを挙げ、

「ある事相に対する刹那の感想の美を捉えて、作者特有の主観を叙する方法」

を新傾向とした。

題材の個性を探る

 また、俳句にする事物、景色があまりに固定化していると指摘し、

「先輩の俳句には適切ぬとして打ち捨てた物も中にも個々の特性を発見して、その趣味に尽きない感じがあるとすれば、観察の根底の位置変動である」

という。

『無中心論』

 この考え方は『無中心論』においてこのようにまとめられている。

 従来の俳句がなるべく季題趣味を抽象的に感じて――たとえば秋風は悲しい淋しいとか、花野は美しくひやひやするとかいう風に――その感じを助ける為に自然を借りて来る観があり一句に纏った後も、全体から他の抽象的感じが出るようにする(中略)

と指摘した上で新傾向俳句は

 その一句を抽象的に纏るのを避け、季題の抽象的感じを助ける為めに自然を借る手段を捨てて、自然を忠実に叙述して、それが季題との交渉を得るようにし、引いては自然の見方の制限的ならずして、解放的なるに基礎を置かん事を欲したのである。従来の俳句が抽象的な感じの中心点を作らんとしていた「有中心」にたいして「無中心」という。

 俳句の「写生論」に対する反論に対する意見を、私はいくつか書いてきたが、そのいずれの「反写生論」も、そのままで「写生論」になっていることがとても面白い。当時、子規さんが提唱し虚子さんが「花鳥諷詠」と言った「写生」はことごとく「安易」に扱われ、「写生」によって「個」になるのではなく、「般」の範疇におさまることとして適用されていたことがよくわかる。

 自らの感じをたすけるために自然を借りる姿勢を批判することは、一見、「花鳥諷詠」批判となっているようだが、主客合一を極とする「花鳥諷詠」の本質には届かない。もっとも、そのような極に到達した句がいくつあるかは疑問である。多作の中から、その境地にふっと入った俳句が少しでも拾えれば、「写生」の意義はあるのだが、その意味では、「写生風陳腐句」の蔓延をもっとも快く思っていなかったのは、虚子さんだったかもしれない。

『二十年の迷妄』

 において、碧梧桐さんは

詩は感激の弾丸である

と宣言し、季語定型などの「約束概念から離れたドグマ」を価値付けようとした。そのとき、『層雲』荻原井泉水さんの、五七五の定型を破壊して突破する運動に光明を見出した。

 今更改めて言うまでもないが、論理や形式はどうでもいいのである。内に包蔵するものが無に紙にそのままに表現されていれば、詩及び芸術の目的は到達しているのである。(中略)詩情は強烈な刺戟で人を突き放すよりも、穏やかな流れで人を包むべきである
 日常の些事を、あたりまえの言葉で叙して、そうして大きな内蔵性を持つようでありたい。(中略)出来るだけ事相全体を明示すべきである。

 こうしてまとめてみると、碧梧桐さんの「弾丸」は「ドグマ」を打ち破るような爆発ではなく、「ドグマ」によって存在をかき消されてしまいかねないほど「繊細」なものであることがわかる。このあと、「事相の一片を叙して、全体を暗示するものは多くは謎になる」と、俳句の「省略」「切れ」とによる「効果」に頼ることを批判し、「詠嘆もまたドグマ」であって「詠嘆的言葉によって内臓性を深め得たと思うのは五七五のリズムによって詩情を浄化し得たと考えるのと同一の心理である」と詠嘆調を批判する。また、「暗示化と象徴化には千里の差がある」として、「詩は生活の象徴化である。あるいは人格の象徴化であるといい得るかもしれない」と結ぶ。

自由律俳句

 俳句にどれほどの情報を盛ることができるか?

 碧梧桐さんの俳句がしだいに窮屈になっていったのは、自然をありのままに平易に叙し、しかも詠嘆調ではないというスタイルが「散文」に近づいていくしかなかったからではないかと思われる。五七五に盛りきれない形容詞などを省略することが碧梧桐さんはできなかった。自分がなぜその事相を俳句と認めたのか。一見ありふれた俗事にすぎぬ情景を自分はなぜ言葉として残そうとしたのか。

 碧梧桐さんのいう「象徴」とは、その情景から感じ取った普遍性のようなことを意味しているのだと思うのだが、碧梧桐さんの新形式俳句、短詩、ルビ俳句から、そのような普遍性を感じることはできない。

 季語も詠嘆調も、俳句という小さな器が掬い取った「象徴性」へ同期する手がかりだった。「象徴」に謎はないという認識は正しいと思う。だが、「象徴」が何の象徴であるのかを読み解くためのコードは「象徴」そのものとは無関係なのである。いかに、眼前の事相に感激したからといって、それを「象徴」として示すことはあまりにも主観的すぎる。その詳細すぎる記述は、額縁入りの絵画のように鑑賞者から隔たっている。

 碧梧桐さんが推し進めようとした方向性は、俳句の情報量を増やそうとした碧梧桐さんからは失われ、山頭火さん、放哉さんなどの、句によって実現されたもののように思う。

さいごに

  詩は象徴だと思う。決して表せない世界の真実を表すには、象徴として描くしかないからである。だから、「写生」は有効なのだと思う。この世の顕れはすべてその真実を体現しているからだ。

 だが、同時にそれは我々からは隠れている。その隠れているものを、想像によるのではなくあくまでも唯物的に写生する姿勢。それだけが「象徴」となりうるのだと思う。その意味で、「季語」は俳句にとって「象徴」の位置を占める。これを「比喩」として用いることは論外としても、「季語」の象徴性を自明として用いることも、「フェティッシュ」となるから慎まねばならないと思う。「季語」もまた、徹底的に写生することでのみ、その都度「象徴」性を帯びるのであり、そのように「季語」を用いることによってのみ、「季語」に依拠する体系そのものを革新できるのではないかと思う。そうした運動を「新傾向」とよぶことを私は反対しない。