望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

相田みつをさんの風景画

はじめに

相田みつをについて手探りで調べていった時、まず驚いたのは、相田論とよべるものがないに等しいらしいことだった なぜかくも多くの読者をえながら、相田みつをは論じられることが少ないのか―(後略)

KAWADDE夢ムック 相田みつを 奇跡のことば 編集後記より

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 私自身、長い間、相田みつをさんの言葉を、嫌悪することすら厭われるほどに無視してきた。
 それは「ブッダの真理のことば・感興のことば」(中村元 岩波文庫)を始めて読んだとき「きれいごとすぎて、正視に耐えない」と感じて、片っ端から鉛筆で×をつけたのに似ていた。
 それから「いくら何でもこの言葉が数千年も伝えられているには、何かがあるのではないだろうか?」と思うようになり、いつかのハロモニで、ジェスチャーゲームをやった時に、石川梨華さんの「表情」(それは、吉澤ひとみさんに「切り餅?」と言われたような顔だったのだが)に対する矢口真理さんの「でも、ああいう風にしか表せないものなんだろうな、きっと」という発言に、「ナルホド!」と思い、考えを改めることとなったのだ。

「そう表現するしかない何か」

 当たり前、きれいごと、建前、陳腐、おためごかし。
 相田みつをさんを、そこいらへんの路上詩人の元祖と捉え、うさん臭い自己啓発詐欺師と同列にみていた、いわば食わず嫌いを改め、少し調べてみた。

 私は、基本的に、作品の理解に際して、作家の人生や、サインを前提とすることを好まない。種田山頭火、尾崎放哉などにしても、俳人そのものはなるべく無視したい。つまり、「テキスト」として扱いたいのであるが、相田みつをさんを咀嚼するにあたっては、その主義を引っ込めるざるをえなかった。

 重要なことは、①短歌の人であったこと ②(在家の)禅僧であったこと。③「書」の道を見限った人 ④「評論・批判の無さ」である。

 これらを踏まえて、私が読むことができた「相田みつを」さんを論じてみたいと思う。

論ずることができないこと

対象の混乱

 前掲書に寄稿していた論客達は「相田みつを」さんを素直に「好き」といえない人ばかりだった「最初は嫌悪していた」とか「書としては稚拙」とか「現代詩としては楽をしている」とか、「大衆に迎合している」とかいう批判が相次ぐ。

 「それだからこそ、すごいのだ」「前衛なのだ」「無垢なる魂の求道者」と続く論評が多かった。

 これらの論説を読んでいて、ことごとく誤っていると感じたのは、並べて論ずる相手である。

 「書」は、本人がその体質を批判し見限ったのであるから、無効である。(私は彼の作品を「書」に似たものであると思うが、それは相田みつをさんの不幸の一つであると考えている)

 「無垢」という点で、まど・みちをさんとか山下清さんなどが引き合いに出されるが、彼は無垢に憧れる人でありこそすれ、無垢の対極にあったといっても過言ではなく、子供のような、という鑑賞は、まったく当たっていない。

 「求道者」という点で、宮澤賢治さんの「雨ニモ負ケズ」が引き合いに出される。法華経への帰依もあり仏教の体現者として、同列に置きたくなるのも、もっともだが、宮澤賢治さんとの決定的な違いは、その外部性である。相田みつをさんは、徹頭徹尾「我」の人であり、宮沢賢治さんのような「他者」へのまなざしは皆無なのだ。

唯一、引き合いに出して論じられそうなのは、浄土真宗妙好人のひとり、浅原才市さんであろうか。彼については、また稿を改めて触れなければならないと思う。

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短歌的

 このような表現を成功させた例を、石川啄木さんにみることが可能だと思う。短歌とは、何をおいても、最後にはかならず自身に還ってくるという形式をもち、その自己完結性から、鑑賞者は0か100の選択しかない。技術論以外の評論は不可能である。

我痴

 書でも現代詩でも児童詩でもない、単に独り言であること。だが、その作品は凄まじい反響を起こし、大勢の賛美者を得た。(同じくらいの嫌悪者も出しただろうが)。この両者の態度は同根で、無批判に受け入れることも、一目で嫌悪することも共に「我痴」といえる。

 単純明快な言葉と、親しみやすい文字を、無防備に受け入れ、手前味噌に判断した挙句、「自己告白」して涙する。「私のことを分かってくれる」「同じ悩みをもっている」「大事なことを思い出させてくれた」と感動している。
 相田みつをさんの作品に触れるというのは、おそらくは、こういうことなのである。

 それは自己啓発セミナーで洗脳される人を見ているようである。ただし、この洗脳はとりあえず、毒にはならない。(酸素が毒物である、という意味では、真正面からの正論もまた「毒」だと言えるかもしれないが)

 そして、喰わず嫌いの人は、まさにその点で、自己防衛的な嫌悪で遠ざけたり攻撃したりするのだと思う。もしくは、当たり前のことを、それっぽく書いて、金もうけした奴として、やっかんでいるのだ。誰だって描ける。と。

「当たり前」の強度

事後的既存性

「当たり前」がもたらす両極端な反応。それが相田みつをさん現象の根幹にある。だが、その「当たり前さ」は、相田みつをさんの作品を言葉として読んだ後で、初めて見いだされたのだということを、我々は忘れてしまう。事後的に振り返って「分かりきったことだ」と思う。この「遅れ」を「思い出させてくれた」と感じるか、「遅れ」を認めず「つまらない」と感じるか、それとも「当たり前は当たり前だ」として、一顧だにしないか。

あたりまえ体操

 ともかく、私は、これほど大勢の人に「当たり前」のことを「思い出させる」言葉を、量産できた人を知らない。「COWCOWの当たり前体操の「思い出す」必要もない「当たり前」とはまるで違うのである。

 だが、誰だってかけると思うものは、おいそれと産み出せるものではないのだ。

統制的理念?

 社会、自らの「業」。それを自らの心を隈なく見つめることで、曝け出し、できることなら、そういう汚れを落としたいと願う。それが相田みつをさんの作品の表層である。だがその「業」こそが「我」であり「世」なのであって、それをなくすことはできない。それをなくそうと勉めることは、目標であり、統制的理念としてある。仏教においては、「解脱」がそれにあたる。

スキャンダラスな裸

 まずは、禊のための穢れを認識すること。自らを徹底的に批判すること。相田みつをさんは、自らの生きる指針として「裸であること」を挙げた。気取らず、隠さず、ありのままを曝け出していくこと。そうしておいて、「禅僧」としての「自己修養」にいそしんだはずである。

草上の昼食

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「当たり前さ」とは「裸であること」だった。そこには「恥」の問題がある。マネの「草上の昼食」がもたらしたスキャンダル。それは、その裸と共にいることを強いられる者の苛立ちと、裸でいることへの賛同との二極化を引き起こした。
 先に取り上げた肯定派と否定派とを「恥」という観点で考えることも可能だろう。しかし、ここで取り上げるべきは、相田みつをさん自身の「恥」の感覚である。

フル=フロンタル

 相田みつをさんは、息子に「万が一お金をもうけたら、若いころ生活のために売った作品を買い戻して全部燃やしてほしい」と言っていたそうだ。(息子さんは、それが惜しくなって、銀座に美術館を作ってしまった ※ 本人談)その理由を息子さんは、このように聞いたという。

「その時は一生懸命書いたので、まあまあ書けたと思ったけれども、時間がたってみると非常に恥ずかしい作品だ。字も、とても恥ずかしいもので、そういうものは残しておきたくない。だから、もし機会があれば、全部買い取って、みんな燃やしてほしい」

 「若い時」の作品がどこからどこまでのものを指すのかは分からない。だが、こうした「恥」の感覚は重要である。特に、「文字」についての言及があるのは、非常に大きな問題であると思う。彼は、そこに「生活のため」の「我欲」を認め、恥じたのかもしれない。

恥を知る

 仏教が、とくに「禅」が「自己肯定」を肯定するようになった経緯はよくわからない。密教が生命の賛歌であることは納得できる。だが、禅はそうではないと思うのだ。自らの至らなさを知る己の、無知の知を誇るような嫌らしい態度は、仏教の対極にあると思う。
 路上詩人が、求めに応じて相田みつを風の言葉を書いて、微笑みと共に手渡す姿勢は、フル=フロンタルが「大衆を写す鏡である」と言う時の厚顔さに似ている。その態度は、自らを一段高いところにおいて、大衆を愚弄するものであり、単に不遜である。相田みつをさんには、大衆がいない。だが、その徹底した孤独のゆえに、相田みつをさんの裸は、他者の裸に通低したのであり、フル=フロンタルは大衆を独我論的に捕らえて、結局「他者」という存在の抵抗を軽んじたことによって討たれることとなったのである。

 相田みつをさんの「恥」とは、自らの恥部が大衆の恥部と通じてしまったことに対する「罪業感」だったのかもしれない。

往還する人間

分っちゃいるけど

 書いても消えない「我」の「俗」な部分を、のべつ目を皿のようにして探す。それで「我」は強化されていく。
 自らの「煩悩」を見出そうと、心の内を覗き込めば込む程、科学がその「果て」をマクロにミクロにも遠ざけていくように、心は果てしなく広がっていき、「業」は次々と出現する。

 そうした関係を離れることでしか解消はありえないのだが、その関係においてのみ、我々(この世)は存在しうる、というジレンマ。畢竟、それが根本問題なのである。仏教は「じゃあ、産まれなきゃいいじゃないか」という、子供のような極論を唱え、現にこうして存在してしまっている森羅万象に対して、「次は生まれないようにする」という目標を与えた。そのための修行期間が、「この世」であると。

不立文字

 禅では、こうした関係性を離れるために「不立文字」を提唱してきた。つまり、「意味世界からの離脱」である。世界(我)は言葉(概念、意味)からなる。だからこの「言葉」が成り立たない彼岸へ向かうのだ。(※不立文字は口語ならOKというものではないと思う。言葉によって固定された意味が問題であるなら、すでに言葉自体が意味と不可分だからだ、といった点はいづれ別の機会があれば)

 相田みつをさんは、禅僧である。禅僧の書き物(『書』とは呼ばない)からは、文字(意味)は剥奪されているはずだ。なので、活字にしたり、英訳したりして、「意味」だけを伝えても無意味である。

 相田みつをさんの場合、アウトプットは「筆で墨で和紙に書くこと」(書の経験から)に決めていたようだ。だがこれは、音でも匂いでも温度でも湿度でも味でも、アウトプットは何だって構わない。絵画、音楽、舞踏。いや、そのような「表現物」である必要すらない。うめき声、慟哭。乾燥した風、日々の感謝など。人によって、様々な現われ方があるだろう。

 相田みつをさんの作品を、文章と捉えて理解することは、一旦意味を離れたものを、再び意味世界へ戻してしまうことに他ならない。
 その意味で、相田みつをさんの作品が、「書」に似ており、しかも、そのレベルでのみ受け止められたことは、非常に不幸なのことなのである。

すごくないところ

 もっとも、その責任は相田みつをさん本人にもあった。彼は悟り、そして戻ってくる、という、大乗仏教僧としての使命を果たそうとした。だが、彼自身、その往還を果たすぎりぎりに留まったようなのだ。
 往き切らず、戻りきらず、留まっているところが、すごくなくてすごい、というすごくないところがすごいのではないか。と私は思う。

マーケティング

「禅語」などの本を売ろうとするなら「頑張らなくてもいい」とか「ちょっとイイ話」的な扱われ方でちょうどいいことがわかる。幸か不幸か、故意か精いっぱいやった成果か分からないが、相田みつをさんの位置は、ちょうど、ソフトな禅テイストを醸してしまっているのである。それは、禅僧としては恥ずべき宙ぶらりんさ加減であり、コピーライター兼デザイナーの仕事としては、まごうことなき大成功といえる。

エリック・サティ

 相田みつをさんの作品が、「書」に似ていながら、ほとんどすべてが額装であることには、彼の禅僧としての拘りがあるように思う。いや、禅僧になり切れなかった人間の拘りというべきだろうか。

「書」は文字の形に一番のこだわりを置き、その内容は二の次である。相田みつをさんは、こういう姿勢に疑問を呈して、「自分が何を書いているかを知るべき」と言っていた。彼は文字の意味を大事にする人だったのである。

 その彼が不立文字を旨とする禅の修行を行い、意味を剥奪する方向へ進んだことを、重くとらえるべきだと思う。

 掛け軸ほど格式ばらず、屏風ほど嵩張らず、障壁画ほど尊大でなく、落書きほど目立たず、壁紙ほど溶け込みすぎない。
 好みを反映させやすく、不自然でなく、埋没することな、見過ごされることもなく、常にそこにあって心地よい窓のように。

 額の色、台紙の色、そして余白を定めた後に発注し、5ミリの違いをも許さないという細心さは、エリック・サティ環境音楽に対する、繊細すぎるほどの取り組みと似ていると思う。その時、彼が見ていたのは、文章ではなく、景色だったはずだ。

さいごに

 仏性はどこにでも誰にでもありふれたコトとして在るという。
 相田みつをさんは、煩悩を「言葉」として掬い取り、二時間も三時間も墨を円形の刷りながら、その意味の彼岸に本質が現れるのを待った。

 窓から見える「真如の風景画」として掛けられることをこそ、相田みつをさんは、望んだのではなかったろうか。(以上)