望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

アイドルには会いにいけなくてもいい? ―墜ちた星を御輿にしない

ヨーヨーチャンピオン

アイドル好き 

 月刊明星や月刊平凡を毎月買って、ピンナップやシールをベタベタ貼り付けて、「ジュリ~!~!~!~」的な身もだえを繰り返していた時期。はい。アイドル好きでした。

スプライト

 私の地元にきてくれた有名人といえば、第一次ヨーヨーブームのとき酒箱の上にベニアを敷いて作った特設ステージ上で華麗に

イヌノォ~サンポォ!! 
とか
ブゥレァンクゥオー!

 とかを披露してくれた全米ヨーヨーチャンピオンくらいでしたから。リスペクトはありましたよ。当日、雨でねぇ……  ヨーヨー。赤のコカコーラのは売れきれてたから、緑のスプライトのヨーヨーをね…買って… アメリカからこんな田舎にヨーヨー披露しにくる人生って…… 

 お父さん… 私のあのヨーヨー どこいったでしょうね……

ママはアイドル

親衛隊

 当時は「オタク」という括りはなく、コアなファンは「親衛隊」と呼ばれていました。かよわい○○チャンは俺達が守るっっ! という強い使命感と行動力と財力。

ラムちゃん

 親衛隊といえば、「うる星やつら」における、メガネ、パーマ、チビ、角刈り らが思い浮かびますね。

 諸星あたるへの愛を公言してはばからない、ラムのおおよそアイドルらしからぬカミングアウトをも受け入れながら、そのラムの愛をぜんっぜんありがたがらないあたるに対し、それがいかに得がたく素晴らしいことなのかを説き、ラムさんの愛を受け止められないお前はなんと、ひどい、かわいそうな奴なんだと、憤慨し哀れんで。

恋愛禁止には抜け駆け禁止

 ラムさんの悲しみは俺達「親衛隊」がお慰めしてみせると、ほとんど自己完結の奮闘を、ラムの知らないところで繰り広げる報われることのない健気さ。

(これは、「騎士道」である。騎士道とファン道との違いについてはまた別のお話)

それに比べれば、「恋愛禁止」「ファンのみなさんのが大好きです」のアイドルに尽くすことは、報われることなのです。

奇跡のファッション

 キャンディーズあたりから「揃いのハッピ、鉢巻、紙テープ、ウチワ」といったアイテムは固まりつつあったのでしょう。がやはり「親衛隊」の存在がクローズアップされたのは、私にとっては、松田聖子さんからです。

(ファンシー サテン パステルカラー ツッパリ 暴走族 刺繍 が見事に融合した奇跡のファッション。タケノコ族はその到達点ですね あ、『下妻物語』が顔を出す)

 ただかわいいだけでいい。かわいさが全てに優先する。かわいいから許される。存在してくれてありがとう。

(かわいさが多様性を獲得する準備をした年代だったといえるかもしれません)

アイドルとは

映画からテレビへ

 1970年代後半から80年代半ばまでのいわゆるアイドルブームとは、大衆の娯楽としてテレビが爛熟の様相を呈してきた時期、パーソナルな空間に現われたパーソナルな妖精、天使を独り占めしたい欲望により広がりました。

降りてきたスター

 銀幕のスター、素の表情を一切表さなかった「スター達」が、「スター千一夜」「スターのお宅訪問」などでプライベート映像を解禁し、「観客を動員するためには、俺達が玉座を二三歩降りて、手を差し伸べてやらねばなるまい」と、奇妙に屈折した迎合姿勢によって、かえってその座を貶めてしまうというジレンマに悩むなか、「みんなのクラスメート」「みんなの妹」「舞い降りた天使」などのキャッチフレーズを掲げて、美しすぎず、高潔すぎず、気高すぎない、どこにでもいてくれそうで、どこにでもいるものじゃない存在として登場したのが、松田聖子さんであり、中森明菜さんであり、河合奈保子さんであり、小泉今日子さんでした。

(小泉さんは、アイドルを脱構築しようとした存在として注目されましたが、むしろ、松田聖子さんが、すでにそれまでの「The・芸能人」のパロディーとして振る舞い、アイドルを解体していたのです。その徹底した贋物っぷりが、「これこそがアイドルだ」と受け入れられてしまったのです。ものまねによってオリジナルの特徴が浮かび上がり浸透するという、アレですね。いずれにせよ、松田さんも小泉さんも、それが「THE・アイドル」だと認めさせてしまったわけです。これは一重に彼女達のアイドル性によるものと思われます)

歌に映画に大活躍の

 当時は歌謡番組が主流でしたので、歌が苦手であったとしても歌手でデビューする必要がありました。(松本隆さん 筒美京平さんについても調べよう いつか)そして、スター=映画 の図式も辛うじて残っていたため、主演映画を量産し、「アイドル映画」というジャンルを確立したのも大きな功績です。

(少し時代を遡りますが、1970年代初頭、スター誕生出身者3人による「花の中三トリオ」が、求められた全方向的スキルと、それに応えつづけた努力には頭が下がります。彼女たちの歌唱は、「アイドル歌唱」ではないし、彼女たちの映画は「アイドル映画」ではありませんでした。因みに、この、所属プロダクションを超えたユニットとしての活動時期は長く、「花の高三トリオ」まで継続し、ユニットの解散コンサートも行われ、映画化されています。秋元康さん方式の走りといえるのではないしょうか)

(昨今の「アイドル映画」のホラー映画率の高さについて:
 恐がる演技は難しくないということ、恐がる表情が望まれているということ、ジャパニーズホラーが一定の評価を得ていること、などが挙げられますが、私自身は、やはり「青春路線」と突っ走ってもらいたい。アイドルはド直球の青春モノ。となると、「角川映画」と「今関監督」「大林宣彦監督」を外すことはできませんが、それはまた別のお話で)

アイドルの細分化

 森口博子さん、井森美幸さん、山瀬まみさんらが、バラエティーアイドルのジャンルを打ち立て、宮崎美子さんや、榊原郁恵さん(彼女は歌手としても成立していましたが)アグネス・ラムさん(日本語できなくても大丈夫)などが「健康的な(!)お色気(?)」という免罪符の下、お父さんの週刊誌の巻頭及び中綴じエロ写真の座から、グラビア枠を獲得することに成功。菊池桃子さんが雑誌MOMOKOから、『パンツの穴』に出演したことと、高部知子さんのリアル積み木崩し路線から、中山美穂さんが『毎度お騒がせします』の主演をつとめるという、アイドルの多方面展開がめざましいこととなっていったのでした。

(荒れる学校、いじめなどの問題から、佐野量子さんが茶巾絞りされたり、佐藤恵美さんが強姦されたりする映画も作られましたし。『うる星やつら2』 と併映だった『ションベンライダー』や『僕達の七日間戦争』と『聖者の行進』を初めとする一連の野島伸司脚本ドラマについては、また別のお話)

 とりあえず、オーデション合格、その後、バラエティー展開のあとで、「女優さんになりたいですっ!」と決意表明をして、ミュージカル女優になったり、そのままフェードアウトする率が高いようです。適材適所という点では、ひじょうに望ましいところではありますが、ニッチなところを狙っての供給過多のため、生存競争は熾烈になっているようです。

星々の悲しみ

ここから持論

 唐突ですが、スターは仰ぎ見るものだと思います。そのスター性はなにかよく分からないオーラ越しに垣間見られればよいのです。直視したら、死んでしまいます。万人を照らす光を独り占めすることなどおそれおおいことです。

ギリギリでラジオ

 宇宙高く輝く星、絶対に手が届かないがゆえに、安心して、見つめることができる。ぎりぎりで、ラジオですね。ラジオなんてもう、直接会って会話してるようなものです。握手なんて、滅相もないことでございます。

主よ人の望みの喜びよ

 私は、その遠くで輝く存在に感謝し、その光を浴びることができる喜びに満足するのです。その輝きを手元に留めおくことができるなんて、なんともったいなく、ありがたいことか。というわけで、お布施をするわけです。対価ではありません。それは感謝なのです。(松岡茉優さんの姿勢、共感します)ファン道まっしぐら!

運命の閃光

 星といっても、それは流れ星のようなものです。その場に永遠に留まっているものではない。いつかは燃え尽きて消えてしまうものです。それが運命なのです。互いの存在が、崇高な四次元ガラス座標上で交錯した一瞬のきらめきこそが尊い。

なにいってんだお前。的な空気なのは分かりますが、アイドルと私の関係はそういうものです。コンサートにもいけないです。星を見る時はいつも一人でいたいのです。

御輿は担いだことはない

自己崩壊するアイドル

 昨今の アイドル喧嘩御輿祭り状態は、双方にとって あまり幸福な関係ではないのではないかと思っています。アイドルがアイドルである定義、アイドルとして受け入れられる要素を考えれば、必然的に自己崩壊していくしかないものだと思いますし、なによりもアイドルとは商品である以上、それを商う商人の意識がストレートに反映してしまうのは仕方の無いことです。

アイドルは商品ではなく贈与である

 それを知ったうえで、私はアイドルを商品としてとらえたくはありませんし、自らの手で担ぎ上げてやる、といった精神は断固として否定したい。アイドルを御輿ととらえたくないので、推す、という言葉も大嫌いです。押しも押されもせぬのがアイドルの座。アイドルとは仰ぎ見るものなのです。(DDって言い方すきじゃないです)

さいごに

 アイドルは、すっかり解体されました。(アイドルは死んだ)だからこそ、ファンはアイドルがアイドルでいられるために礼を尽くし、謙虚な気持ちで感謝したいと思います。

 私にとってのアイドルは、モーニング娘’16ですが、かつて、月刊明星や月刊平凡を買って、ポスターを貼っていた頃とはかなり違った気持ちです。

 モーング娘'17の春のコンサートツアーの日程のなかに、地元が含まれていたので、揺れた。いきたい、けど、いきたくない。という気持ちから書いた、ブログです。いつものように思いつきで書いているので、「あの人が入ってない。そっちよりこっちだろ」「推しをみとめないだとぉ~」などのご指摘は多々あると思いますが、個人的なブログですのでどうぞお赦し下さい。