第一 出家者の身体感
ミリンダ王(以下ミ)「出家した人って身体が資本だと思ってるでしょ」
ナーガセーナ(以下ナ)「べつに」
ミ「でも君ら、けっこう規則正しいヴィーガンっぽいじゃん」
ナ「君はさあ、矢とか刺さったことあるべ」
ミ「戦場においてはね」
ナ「その傷に軟膏塗って油塗って柔らかな包帯とか撒いて保護するんだろ」
ミ「当然だよ」
ナ「そんなに傷が大事なの?」
ミ「は? 傷じゃねぇーし。傷が早く治るようにするからだし」
ナ「出家者もね。身体を傷みたいに扱って、修行に勤しめるようにしてるってわけさ」
ミ「なるほどね」
第二 ブッダの教説の実践的性格
ミ「ブッダって、全部知ってるし全部見えるんだよね」
ナ「そうだよ」
ミ「じゃなんで弟子にさ、いちいち泥縄みたいな教え方してるのさ」
ナ「薬にメチャクチャ詳しい人っているじゃん」
ミ「医者とかね」
ナ「医者ってさ、必要に応じて必要なだけ薬を渡してるでしょ。よいタイミングで」
ミ「あ~ 分かった分かった」
第三 宗教神話に対する批判 ブッダの具えた三十二の偉人の特徴について
ミ「ブッダって三十ニ人の偉人の特徴を具えていて、八十の小さな特徴で彩られて金色に光ってるんだってね」
ナ「そう」
ミ「じゃ、ブッダの両親も金色に…?」
ナ「光ってねぇよ!」
ミ「親に似てないだなんて、へんだよ」
ナ「あのさ。蓮ってあるよね」
ミ「ああ。泥ン中にね」
ナ「じゃ、蓮は泥に似ていると思う?」
ミ「全然違うさ」
ナ「そういうこと」
ミ「そ、そういうことって…」
第四 最高の人格者(智慧を具えたもの)
ミ「ブッダは清浄な修行者(=梵行者)ですか?
ナ「はい。ブッダは清浄な修行者です」
ナ「えっと。君、象を飼ってるよね」
ミ「当たり前だろ」
ナ「その象って、たまに鶴みたいに鳴くよね」
ミ「ときにね」
ナ「じゃ、象は鶴の弟子ってことになるのかい?」
ミ「んあことたぁない」
ミ「もちろんさ」
ミ「んぐぐ」
第五 最高の人格者(戒行を具えたもの)
ミ「与えられた戒めを守るのはよいものですか?」
ナ「ああ。とてもよいものさ」
ミ「ブッダも与えらえた戒めを守るの?」
ナ「自分で決めた戒めをね」
ミ「そ、そうだよね」
第六 自然の心情の超越と「法を愛する」精神
ミ「母が死んで泣く人がいる。法を愛するが故に泣く人がいる。どっちがいい泣き?」
ナ「一方は汚れた熱悩。もう一方は無垢な清涼」
ミ「なるほどね」
第七 解脱を得た人々の生存
ミ「貪欲を離れてない人と、離れた人の差って?」
ナ「耽着してるかしてないかだね」
ミ「どういうこと?」
ナ「欲求するか、しないかさ」
ミ「自分思いますのに、みんな美味いもんを食いたいんじゃないの」
ナ「貪欲を離れてない人は、味を感じつつ味に対して貪欲も感じてるけど、貪欲を離れている人は、味を感じつつ味に対して貪欲を感じないんだよ」
ミ「ビミョー」
第八 智慧の所在
ミ「智慧ハドコニアリマスカ」
ナ「どこにもないのさ」
ミ「実在シナイノデセウカ?」
ナ「風ハドコニアリマスカ?」
ミ「ドコニモナイ」
ナ「では風は無いということですか?」
ミ「アルヨ。ナルホド智慧もソウアルネ」
第九 生死の連続としての輪廻
ミ「輪廻ってなぁに?」
ナ「ここで生まれてここで死にあそこに生まれあそこに死に彼方で生まれて彼方で死にかしこで生まれかしこで死す」
ミ「久しぶりに譬えてよ」
ナ「マンゴスチン食って種植えるとマンゴスチン成るからそれ食べて種植えるとマンゴスチン成る以下同文」
ミ「ふむふむ」
第十 記憶の諸問題 記憶による想起
ミ「昔あったことを思い出すのって何でだろ」
ナ「記憶によるのさ」
ミ「心が思い出してるんだから、記憶が思い出させるわけじゃないんじゃないかな」
ナ「あのさ。何かした後でさ、それは忘れちゃったなってことあるよね」
ミ「あるね」
ナ「それは心を失くしてしまったってことなの?」
ミ「いや。記憶を失くしただけさ」
ナ「ほらみろ」
第十一 記憶の成立
ミ「記憶っていうのは、自覚的回想からできるの? それとも外部的示唆からできるの?」
ナ「それ、どっちもあるな」
ミ「どっちもあるっていうなら、結局は自覚的なものだってことでしょ。なら外部から助けてもらってできる記憶なんてありえないよ」
ナ「そんじゃ、先生とか師匠とか、僕とかの立場がさ…」
ミ「そ、そうか。そうだよねごめん」
以上