はじめに
結論は出ていない。仮説段階ですらない。空想だ。
仮説
正常な認知とは、五感を様々なレベルでフィルタリングし成型されたものだ。そのフィルタリングの過程で、捨てられている知覚には、「霊感」や「共感」などを含む、いわゆる「超能力」とが含まれているのではないのか?
そう。こうだったら、面白いだろうなぁ~、というだけのことだ。
フィルタリング概論
選択注意
カクテルパーティー現象として知られる、「選択注意」による知覚のある種の鋭敏化を、我々は日々活用している。必要な部分のみを拡大して認知するということは、つまり不要な大部分を捨てている、ということだ。
これは意識的に行われるフィルタリングである。
順応化
また、体内に響き渡る音に煩わされることがないことや、新しい靴や帽子に当初感じていた違和感に慣れて、そこにあることを失念してしまう状況、ある程度の異臭に長いこと晒されていると、神経が順応してしまい、違和感や不快感を感じなくなるという現象は、「同じ刺激を受け続けた神経の順応化」によって起こる。
能動許容
自分の瞬きや、首や体の揺れ、自分で行っているザッピングの際の細切れになる音声や画像は気にならないのに、見ている動画が、一瞬暗くなったり、揺れたり、また他人が勝手にチャンネルを変えている場合などはたいへんに気になるという、「能動的行動に対する許容」
これらは無意識に行われるフィルタリングだ。
文化
さらに、口うるさい母親の声が妙に耳について、ほかの物音が聞こえないとか、国によって、虹の色の数が異なるとか、他国の言語の聞き取りが難しいことなどは、教育、訓練などによる”文化的フィルター”といえる。
これは、施す側は意識的であり施される側は無意識的なフィルタリングである。
フィルターのレベル
たとえば、視神経には、V1からV8までのレベルで、さまざまな処理がなされているという。これは、五感のすべてにおいて、工程は様々であろうが、似たような処理が行われているのであろうし、最終的に、それらは認識、経験、記憶を形成するのだろう。
器官的
冒頭にあげた私の妄想において重要なレベルは、まずもっともハードに近い部分での機構的なフィルタリング、たとえば可視光線や可聴音域などの性能限界および、もっとも初期段階でのノイズ除去機能の有無で、それぞれの知覚器官の話である。
注意的
続いては、選択注意のハード的な仕組み。「注意」となると「脳」の問題となると思われる。ここで、日常生活を支障なく行うために、無意識「的」に捨てられている認知情報が、どの程度あるのかを調べなければならない。
ここでは、「発達障害」などの症例研究を参照しながら検討していくことになるだろう。
文化的
そして最後は「文化」のレベルである。民俗学的タブーの問題や、言語学などが、その助けになるかもしれない。そこには、古代呪術、土着信仰、迷信、言い伝え等も、調査しなければならない。
非存在物はどこにあるか
探すべきは、目の前にあるのに、見えなくなっているものだ。鳴り響いているのに、聞こえなくなっているものだ。猛烈に臭っているのに、慣れてしまっているものだ。始終、まつわりつかれているのに、感じなくなっているものだ。必ず舌先にあるのに、無味としか認識できていないものだ。
不在な物を探すのではない。我々が、この世界を成立させ、存続させるために、「非在」と認識(不認識)している「存在物」なのである。
おわりに
それは、「鬼は外」とばかりにフィルターを追い出せば現れてくる、家の内に、当初からずっといるはずの「福」である。
無論、世界は「鬼」によって守られていたと知ることになる可能性も大きい。
参考URL
電通大宮脇准教授に聞く、視覚に関する脳研究の最新事情
わたしたちの脳は、目にしたものをどのように認識しているのか
2014年06月19日 11時00分更新
文● 遠藤 諭/角川アスキー総合研究所