望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

小椋冬美さんの静謐 ―モノローグの狭間で

はじめに

 小椋冬美さんという少女漫画家を、私は「りぼん」誌上で知った。登場する男子に感情移入をして、髪型を真似たりもしていた。
 主人公となるのは、みな、自分の本心を人に伝えるのが苦手な若い男女で、そんな自分のことが嫌いだったり、「性格だから」と諦めたりしている「少し不貞腐れた投げやりな」人たちで、そのまま自分独りの世界を抱え続けていたら、例えば、村上春樹さんの主要登場人物「僕」や「鼠」のようなタイプの大人になっていたかもしれないと思う。
 だが、主人公たちは作中、自分の言葉で、伝えたい相手に面と向かって、言えなかった言葉、表に出せなかった想いを吐露する。そして、世界が少しだけ変わるのである。

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 今回、小椋冬美さんの「りぼん」期の作品の中の「シルク」という作品集にまとめられている四つのストーリーについて、書いておきたいと思った。中心となるのは、彼女の作品がたたえる「静謐さ」である。

静謐な作品

 どのような表現媒体においても「静謐さ」を感じさせる作品は存在する。ハンマース・ホイさんの室内画、ジャコメッティーさんの彫刻、川西蘭さんの小説、少女漫画なら渡辺直美さん etc…

 「静謐さ」は崇高さを含むが、重々しさを持たない。ぬくもりがあって、冷たさはない。モンドリアンは静謐ではないが、パウル・クレーは静謐だ。(このあたりはまた別のお話で)

静謐な音楽

音楽の世界で「静謐さ」を感じさせるものを私は即答できないが、たんに無音である、というものは逆に騒々しいと思う。古代宗教音楽、賛美歌などは「崇高さ」な「静謐さ」となるのだろう。音楽は、日常音を後退させるためにのみ鳴っていてくれれば、それでいい。画像処理における「前へ」「後ろへ」「最前列へ」「最後列へ」といった前後関係の調整機能として働いてくれればそれでいい。

ノローグ

 「シルク」には四つの作品が収められている。これらは、基本的にまず ①「モノローグ」による現状説明があり、その後、②テーマとなる「モノローグ」が現れ、ストーリが展開していき、③解決の「モノローグ」がエンディングに置かれる。

シルク

①ぼくは/性格が地味だ/自分でいうのも/へんだけど/内気だし/その上/テレ屋で/小心者で/なのに/なのに/こまったことに/ぼくは―/派手なものが/大好きなんだ

②さきのことなんて/しんけんに考えたこと/なかったなぁ…/なんとなく/きのうのつづきが/きょうになって/きょうのつづきが/あしたで/あしたのさきは/よくわかんないよ

③だけど/ぼくは/とりあえず/きょうのことを/考える/あしたの/前の日でもない/きのうのつづき/じゃない/いまのことを/考えるんだ

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いつかこんな晴れの日

①あーあ/なんだってこう/イライラするんだろ/イライラして/すっきりしないし/おちつかない(後略)

②私だって/自分が女の子として/どちらかというと/ぶっきらぼうで/女らしいふんいきや/やわらかさに/かけるってことは/じかくしてたわよ(中略)/でもいまさら/なおるもんでも/あるまいし/しかたないじゃない…

③いえるかも/しれない/青い空は/すなおに/青い/きれいだと/ありがとうも/ごめんねも/みんな/あしたは/もうすこし/うまく/あなたに/わらいかけられる/ような気がする

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花まつり

①男の人はきらい/やさしいふりして/うそをつく/あなた/わらいながら/ひらっとにげた/わたし/泣きそびれて/まだ/ぽつんと/そこにいる

②さっきから/くだらない話を/うれしそうに/いらいらする/目につくもの/かたはしから/きらいになっていく

③着かざって/よそおって/はずかしそうに/たのしそうに/女たちは/かおりを/ふりまいていく/ほら/花みたいに/季節ごとに/さく/花みたいに/みんなきれいね/みんな/花まつり

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沙漠の夜へどうぞ

①せんぱい/ぼくはずっと/せんぱいが/好きだったんです/このたいくつなクラブに/はいったのも/せんぱいがいたからです/(後略)

②けっきょくなんにも/いえなかったなぁ/おれって/かんじんなこと いつも/いえないんだ

③だれかが/いつか/おれにむかって/しっかりしろと/いってくれるような/気がして/まってたんだ/ずっと/まってたって/じぶんで/なんかしなきゃ/なんにも/かわるわけ/ないのに

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ノローグの理由

 淡々とした独り語り。このトーンが小椋冬美さんの(りぼん時代の)静謐さのトーンだと思う。作品の中、主人公は、人と話し、傷つけ傷つき、失敗し、反省する。そして多くは独りの部屋に戻ったところで、モノローグを繰り返す。
 作品はすべて、この語りに回収されていく。日常生活の全てはモノローグの背後に後退し、音はひじょうに絞られる。主人公は、その場で感じた感情の揺れ動きに、その場で対処することが難しいのだと思う。日常は待ってくれない。状況は次々に「判断」を求めてくる。そういった性急さに、戸惑い、パニックになる。
 そして、夜一人になって、改めてその日あった出来事を振り返ることができるのであるが、後の祭りであるがゆえに、モノローグは、「後悔」「諦め」「不貞腐れ」の色を帯びるのだ。

ノローグのタイプ

 モノローグで始まり、モノローグで終われば、静謐なのか?
「たとえばこんな晴れた日」の中に、主人公ではない男の、こんなモノローグがある。

泣いて/たんだ/あんな校舎の/すみで/泣くなんて/だから/おぼえてたんだ/いつかいっしょに/歩いていた男は/関係あるんだろうか/いや/まてよ/それはむしろ/このあいだの涙の/げんいんとか/あいつは/なんにも/いわないから

 これまでのモノローグとの大きく異なるのは、これが独り言でありながら疑似的なダイアローグであるところである。そう。これは自分語りではなく、自問自答なのだ。そして、自問自答は騒々しい。
 主人公のモノローグは、徹底的に孤独である。その呟きを、聞く者さえ、求めていない。静謐さとは、この孤独さに起因しているのだと思う。

ひとりごと

 「気持ちいいよ/ひとりごといってる/気分でね」

 と語るのは『シルク』の主人公のあこがれのせんぱいだが、これらの作品の静謐さ、孤独さを端的に表す科白だと思う。小椋冬美は独り言を紡ぐ少女漫画家なのである。

 他人との会話の最中に、伝えられない感情、言葉にできない思いが溢れ、会話と独り言とが混在する場面がある。

「わかんない」/わかんない/だって…/「だって…/どの人も/どの人も/うれしそうで」
「あたしだけ/こんなに/みじめで」
「とおりすがる人が/みんなあたしをわらってくわ(中略)」/だから/あたし(中略)/しあわせなふり/してやる/「あたし…」/ひとりで/いたくなかった/だれでもいいから/となりにいて/ほしかった/「そばに/こないで」

 この『花まつり』の主人公は、ナンパしてきた男性に迫られて、相手をひっぱたく。男に「じゃあ、なんでついてきたんだよ」と言われて、涙を流す。そんな状況でも、彼女は激情に任せて心の中を吐き出すことができず、モノローグと会話との二律背反を抱え込むのである。
 鍵括弧内の「会話」のみであれば、感情の高ぶり、激しさが際立つシーンである。そして、ここでのモノローグも、文言だけを拾えば、激しいものであるはずだ。だが、このしゃくりあげるような会話が激情のモノローグに溶け込まされることによって、結果的には奇妙に静かになっている。

会話(対話)からモノローグへ

 ストーリーは、主人公たちがモノローグを相手に伝えることで完結する。そのような会話(対話)によって、自分が「開かれる」心地よさを感じるのだ。
 だが、その新たな世界との関わり方を、主人公たちは恐れている。長年しみついているモノローグ的世界観を、捨て去ることはできない。だから、モノローグへ戻っていく。ただ、そのモノローグは、~だといいな。~しよう。~かもしれない。などの希望的観測で締められる。それは、些細な変化かもしれない。だが、0から1となる、大きな変化でもあるのだと思う。


 私はこうした、微妙な変化にリアルを感じ、この世界を「静謐さ」において対応しようとする姿勢が、たまらなく好きなのである。

おわりに

 私はこの時代の少女漫画が好きなので、また機会があれば作品の紹介をしていきたいと思う。