望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

カミーユ、コブラと浦飯、加藤との違い

はじめに

 いつも「ニュータイプ」のことを考えている。

 今日は、アムロ・レイカミーユ・ビダン両者のニュータイプ表現の違いが気にかかった。そこから、意識、認識、心、念、霊力、超能力、呪術、などが意識を流れていって、「媒介」という論点に至った。以下にその次第を記す。

ニュータイプ表現

割り込み型

 稲妻、ピロリロリンという突然な短い音(『毎度お騒がせします』の「あっ(股間押さえ)」のシーンで使われていた音楽に似ている)で表現される。

f:id:miyakotamachi:20170815135455j:plainアムロ・レイ

アムロは常に、割り込まれる。

 この「超認識」は自らのコントロールによらず、直前に唐突に閃く。それは不完全でありながら絶対の予言だ。

 このような表現になったのは、当時、ニュータイプ能力に覚醒していた人間が、アムロ・レイしかいなかったためだろう。

 最終回近くでララァが登場してからは、この「超認識」は、波紋のように持続するものとなり、最終回では、戦火を逃れるクルーの一人一人に的確なアドバイスを、長時間、リアルタイムに送ることができるようになっていた。

重層型

 波紋、重ね合わせの表現、シャンシャンシャンというクマゼミの鳴き声のような音で表現される。

f:id:miyakotamachi:20170815140722j:plainカミーユ・ビダン

 Zガンダムにおけるカミーユの「超認識」は、その割り込み時間がアムロよりも長く、流れ込むイメージや感情も鮮明になっている。

 また、アムロは(ララァ登場までは)ただ受け取るだけの一方通行だったものが、カミーユでは、相双方向化を前提としているように感じられる。

 これはニュータイプ能力の違いもさることながら、ニュータイプ能力者が潜在的に増えていたことが要因ではないかと考える。また、空間に占める何らかの「思念媒介物」の濃度も高まっていたのだろう。(ミノフスキー粒子の働きではないかとする説は、設定として魅力的だ ミノフスキー粒子 - Wikipedia

交感型

 纏わりつく炎のような表現 これは怒りであり情念の奔出であり、時として対象目掛けて突進したり、絡み合ったりする。ノイズめいた持続音で表現される。

f:id:miyakotamachi:20170815141906j:plainカミーユハマーン・カーン

 ニュータイプは、認識の拡大だといわれ、Zガンダムにおいては「解りあう」というキーワードが頻出する。この交感のシーン、アムロララァの場合は、「海」が用いられていたが、Zにおいては、異世界へテレポーテーションしたかのように描かれていた。

 この交感の場では、時間も空間も意味をなさず、肉体的感官を超越した交流(合流?)が実現するはずなので、通常の感覚器以外の認識という点で異世界感を出すのは正しいと思う。

曝け出すこと

レイプ

 テレパスが言葉によらずに相手の胸の内を知り尽くすよりも完全に、ニュータイプの二人は互いを深く理解しあうことができ「同じ世界を見た」と認識する。(ここには、相互にまだ距離がある)

 しかし、このように完全に自らを曝け出されることは、その覚悟の無いものにとっては、レイプに等しい。攻殻機動隊草薙素子は、捜査資料を共有するため部下へ電脳への侵入を許し、ゴースト近くまで詮索されてうんざりしていた)

理解と没入の距離

 ハマーンの拒絶は、「悟り」の境地に至ったが、その自他の無いぐずぐずな感覚に恐れをなした、過剰防衛反応だったと思う。せっかくの認識力もその世界を受け入れられるか否かは、「我」による。一国の実質的長たるハマーンに、シャカのように国を棄てる選択肢はなかっただろう。

 戦争によって開花したこの能力は、停戦の力とはなれなかった。ニュータイプは戦争の道具といわれる所以がここにある。

 特に、Z後半から、相手からの殺気を「プレッシャー」と呼ぶようになり、いかにしてこのプレッシャーに対応するかという、精神論の様相が強くなっていく。このときニュータイプ能力は完全に「戦力」という属性に還元されてしまったように感じる。

 そのパワーをもって、カミーユシロッコを倒したのだ。

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 そしてハマーンはZZのジュドーとの闘いの中で、解りあうことに対して共感の必要性を感じながらも、最後まで「我」を棄てることはできず、未来をジュドーに託すことになる。

思念を力に

サイコフレーム

 Z ガンダムは、人の思いを形にする。サイコフレームとよばれ、後年サイコミュとして実装されるこの仕組みは、「意志」をエネルギーへ変換し、機器の遠隔操作や、物体へ直接作用を及ぼすにいたる。

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 実際、Zガンダムは、相手のビームにたいして無敵となり、ビームライフルは、ビームサーベルとなって敵機を切り裂く。Zガンダムカミーユを通して、思念と物質を媒介する仕組みであった。

サイコガン

 精神力を武器にする仕組み、といえば、コブラのサイガンである。

 サイコガンは曲げて打てるし、連射もできる。また、ずっと放出しっぱなしにすることも可能だ(ただし、その消耗度はすさまじらしい)

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世界認識

物理を超える

 意識で弾道を変えられる、といえば映画『WANTED』である。

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ウォンテッド (Wanted):貧乏人とモノたちとエトセトラ:So-netブログ 様より

 この映画においては「物理法則」はある程度「固定観念」であるとされる。

 従って、固定観念を解放してあげれば、できそうもないことが可能となる。弾道を曲げることも、複雑な物体の軌道を正確に捉えることも、とても僅かなタイミングを同期させることも。そのための訓練方法が映画の半分を占めるといっても過言ではない。

パラメータ世界

『マトリクス』の世界観は、この世界はプログラミングされた夢でであり、そのプログラムを出てハッキングすれば、チートが可能となる。というものだった。だから、そのプログラムを逸脱しそうなった存在は、脅威として消さなければならない。

 このあたりは、『うる星やつら2 ビューテフルドリーマー』と全く同じである。

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認識は世界を変えうる

 『WANTED』においては、この世界にメタレベルは設定されていない。あくまでも、人間の思い込みを外せば、制約が減りその分自由になる、ということが示唆される。

 思い込みを外した連中の所作は、常人からすれば超能力者そのものだが、空を飛んだり、銃弾を跳ね返したり、未来を完璧に予測したり、といった力は与えられていない。

 確かなことは、「認識」とは「能力」であり「現実に作用する」ということである。

二つの力

フォースの超能力

 ガンダムシリーズにおけるニュータイプ能力は、スターウォーズにおけるフォースだといえる。

 フォースは、未来予測能力と、超空間認識力に、サイコキネシス(的能力)が備わったものである。(この力で、沈んでいる船を浮かびあがらせたり、手から離れたライトセーバーを引き寄せたり、という描写をみた記憶がある。だが、相手の運動を支配したり、相手の血液を沸騰させたり、相手の骨をへし折る、という戦い方を見た記憶はない。何かを持ち上げたり、引き寄せたりできるのなら、きっとそういうことも可能だと思うし、『幻魔大戦』によれば、飛ぶことも可能なはずだ)

ニュータイプの霊能力

 ニュータイプ能力は、物理的超能力は備えていないようである。

 だが、死者の残留思念を感知して、それをエネルギーとすることができ、その上、ジ・O操作系をも麻痺させるといった力は、もはや霊能力である。シロッコを止めようとする残留思念が、ジ・Oのサイコミュに干渉した、とシロッコは考えていた。)

幽々白書

物質化

 霊能力を武器にするといえば、霊弾と霊剣が分りやすい。

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 ニュータイプ能力を武器として用いる場合は、ファンネルなどのように、意志と物体を媒介する仕組みが必要だった。幽々白書においては、霊力を直接物質化することによって実現している。

 これは霊媒師のエクトプラズムなどがよく知られており、霊弾も霊剣もこの変種なのであろう。霊剣は、確か霊力によって伸びたり縮んだりしていた記憶がある。霊弾は曲げて撃てただろうか。

f:id:miyakotamachi:20120621101550j:plainエクトプラズム ラウンジピュア 様より

コブラvs幽介

 サイコガンは、霊力ではなく精神力だ。だから精神エネルギーを物体へと媒介する仕組みが必要なのだ。サイコガンを装着せずにサイコガンを打てる分、浦飯幽介の方が熟達しているといえるのかもしれない。だてに一度死んでない。

 

加藤保憲

陰陽師 加藤

 『帝都物語』においては、加藤保憲陰陽師であり、能力を発揮するにはそれなりの儀式が必要だった。この能力は、超能力や霊能力ではなく呪術師としての技術力であり、それは大自然の大いなる力(神)を借りて事をなす(いわば媒介者)という立場である。

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超能力者 加藤

しかし、『帝都大戦』の、尸解仙によって蘇った加藤保憲は、すっかり超能力者となっていて、呪文も儀式も不要で、サイコキネシス、テレポーテーションなどを行っている。

死んだか死んでないか

 帝都大戦の加藤は、浦飯幽介のように一度死んだことから、意識=霊=心の力を物質に作用させるための媒介が不要となったものと考えられる。

 すると、Zガンダムにおいてジ・Oが操作系を麻痺させらたのは、(サイコミュの干渉でないとすれば)カミーユ自身の能力ではなく、カミーユを「ヨリワラ」として蘇った死者の思念だったのだということが分る。つまり、カミーユは、死んでない加藤保憲(大戦版)と化していたのであり、ニュータイプ能力ではなく「霊力」だったのであろう。

つけたし

強化人間

一方、帝都大戦で、加藤に対抗する若者は、電磁部品と薬物によって、強化人間状態での闘いを余儀なくされる。

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だが、最終的に加藤を打ち倒したのは、自身の霊体(エクトプラズム)であった。

おわりに

霊の存在 

 残留思念というと、身体を離れて意識が存続するかのように感じる。Zガンダムがそれを前提しているため、本稿における考察も、それを前提している。

 だが、私は、遺志とは、生きている者に受け継がれてこそ残るのであって、そのまま漂っていられるものではないと考えている。となれば、シロッコを打ち倒したのは、カミーユの記憶であり、カミーユの意志力なのだといえるのかもしれない。

科学者のジレンマ

 ニュータイプ能力は、あくまでも一つのパラメータにすぎない。どのように用いるのかを判断する能力は、また別のもののようである。