はじめに このブログは、ネタバレあります閲覧注意!
相棒14第12話の犯人の一人 北が再登場しました。 mochizuki.hatenablog.jp
当時は、余命二ヶ月とされていたはずですが、治療が功を奏しているようです。(現在裁判中とのこと)
前回、「自らの死」を意識し「本当にしたいことをしよう!」と決め、足がつくからと敬遠していた「本当に切り刻みたかった顔を持つ女性」を殺害し続ける途上で、「人のため(に、顔を切り刻む)」という喜びに目覚めた北。
彼の再登場に、私は目を疑ったのでした。
「あれに、何を付け加えることがあるのだろう?」と。
北というシリアルキラー
文体が変われば書き手が変わったと考えるのがインテリジェンスの基本
今回の北は、自らの欲望「自分が切り刻みたい顔」をもつ女を「切り刻むために殺す」という原理を完全に棄て、「人のために殺す喜び」に目覚めました。
別に顔を切り刻みたい対象ではないのでそんな手間はかけず、淡々と殺し、苦痛を与える北。ショックです。これでは単に「復讐を肩代わりする」だけの相棒15第3話「人生のお会計」における谷中と何も変わらないのです。mochizuki.hatenablog.jp
手段と目的との乖離
「好みの顔を切り刻みたいから切り刻む」とか、「復讐したいから復讐する」というのであれば、手段と目的に乖離はありません。しかし、「復讐したい人のために、復讐を肩代わりする」という場合、目的と手段とに乖離があります。そして、乖離があるところには批判が付け入る隙があります。
「せずにはいられない」というのと「したいからする」というのは、全く次元が違うのです。前回、「人のため」という余禄がついたのは、あくまでも「自分の切り刻みたい顔」と「別の誰かが殺してしまった女」とが一致した結果であって、いわば、win-winの関係だったのです。
ボランティア
今回、北の「殺人」は、「自らを生きる行為」ではなく、「自らの能力を生かした労働」でした。ここに「賃金」が発生していれば「仕事人」と同じことになりますが、北の場合は「奉仕する喜び」に突き動かされた「ボランティア精神」です。
しかし、どのような人の願いにも応えるというのではなく、あくまでも、「こちら側の人間のため」の奉仕であった点は重要です。
北の原理
それは、「先天的に与えられた特性(個性)によって社会から不当に扱われている者に対するシンパシー」です。
仕事人が必ず対価を受け取るのと同じく、北はこのシンパシーを感じない限り、自らの能力を人のためには用いないでしょう。
ギフト
天賦の才
「先天的に与えられた特性(個性)」を「ギフト」と呼びます。手の届かぬ高いところから、予めもたらされた才能、能力、恵みです。
タイトルが「ギフト」であるからには、今回の話には、さまざまなギフトが織り込まれています。
北にとって最大のギフトとは
北本人のパーソナリティー。北の知識と経験。潮崎巡査と出会い、使命を与えられたこと。潮崎巡査の顔を切り刻んであげたこと。復讐をしてあげたこと。賛美者を得られたこと。これら、北が与えられ、北が取得し、北に与えられた、神からの贈り物……
右京さんは「そんなギフトなどない」という意味のことを言いました。けれど、北にとっては、自らの精神と存在意義を完全に理解してくれている右京さんの存在こそがギフトなのであり、その右京さんが否定するにも関わらず、右京さんもまた「こちら側の人間である」と確信できたことこそ、北が得た、今回最大のギフトだったのではなかったでしょうか。
「こちら側」にいる右京
「先天的に与えられた特性(個性)によって社会から不当に扱われた者」
これこそ警視庁における右京さんの立場そのものではなかったでしょうか?
なので、今回、北が執拗に伊丹さんにコンタクトを取っていることに違和感があったのです。
これは、前回逮捕された折、右京さんが北を全く相手にしなかったせいかもしれませんし、逆に、右京の本質を見抜いた北が、奉仕遂行の時間を稼ぎたかったのかもしれません。
または、「あちら側」にいる伊丹さんを通じて、右京さん自身が「こちら側にいる」ということを、実感してもらいたかったのかもしれません。
負け惜しみ
ラストシーン「そちら側には誰もいませんよ」というような、何の力も持たない右京さんの言葉を聞いた北には、そこで、ほくそ笑んでいてほしかったです。
ただ、もしかしたら、右京さんが自らを「こちら側の人間ではない」と強弁しているのが、あまりに滑稽だったため、あんな微妙な表情になったのかもしれません。「なにを言ってるんだ、この人は……」という表情。そんな解釈に可能性を感じます。
「だれもいない側」
右京さん自身、(自らが得たギフトによって)真実を明らかにしたい欲望が強すぎて、その姿勢が徹底しすぎているあまり、常に「ひとり」だったのではないでしょうか。(だから「相棒」というタイトルはアンビバレンツな強度を保っているのだと思います)
「こちら側に(自分の他)誰もいない」としても、右京さんは、自らの原理を曲げないでしょう。北がそこまで考えていたとは思いませんが、結局二人は同じ資質を持った人間なのです。
北のポジティブシンキング
あちら側の伊丹
服毒済みの潮崎をわざわざ撲殺し、その顔を切り刻んだ理由について、北は、ほかならぬ右京さんになぜだと思うかと、問いかけます。それは、「この思いが理解できる右京さんは、こちら側の人間だ」と右京さん自身に思い知らせる質問だったのです。これが、伊丹さん相手であれば、最初から丁寧に説明していたはずです。
右京さんは、「女性でありたかった彼を(美しい女性の顔しか切り刻まない北がその顔を刻むことで)、「あなたは美しい女性だった」と認めてあげる行為であった」と、見事に言い当てます。
自己啓発標語
北の行動原理には「慈愛」の精神まで含んでいたのです。
北の魅力は、連続殺人の全てが自己啓発的ポジティブシンキングによって説明できるところです。
彼にとっての犯罪は
「自らの知識と経験を生かして人のために役立ちたい(殺人で)」
潮崎刑事に対しては
「決して諦めてはいけない(復讐を)」
有村みらい殺害については
「互いの愛の証、理解の証。婚姻。夫婦間の秘密」でした。
前回も
「本当にやりたいことをやるべき」
「人のためになることをする喜びを感じた」
など、どれもこれも推奨されるべき原理ばかりでした。
北の魅力
北は「他人を害することなかれ」というこの一点のみを逸脱しているのです。北は犯罪者です。北はサイコパスです。
彼にとっての殺人は、あらゆる肯定的要素の上に成立しています。この点が、得がたいキャラクター造詣であり、魅力だったのです。
正義の彼岸
壮大なる蛇足
前回、北に対して何一つ対抗する言葉をもてなかった右京さんが、再び邂逅した今回、北に何を言うかと思えば、相棒2007元旦SPで、町長(八嶋さん)に対して言ったのと同じ、その犯罪の不備を指摘し嘲けることと、前述した「あなたは一人だ」という力ない指摘だけでした。
これでは、折角、北を再登場させた意味がありません。 しかも、北を、単なる「殺人請負者」へ後退させてしまいました。 まさに、壮大なる蛇足です。
さいごに
今回の話はなくてもよい話だったと感じました。巻き返そうにも、北の寿命をこれ以上延ばすわけにはいかないでしょう。(診断が間違いだったパターンも消費済みですから)
単に、陣川君の現状報告(復帰への伏線でしょうか。ロンドン研修から、念願の捜査一課へ?)と、蓮城弁護士再登場の布石であったような気もします。
陣川君のこと
とくに、陣川君は、前回のハードな設定を薄めなければとうてい再登場は無理です。
今回の件、陣川君には伝えられていないでしょう。北の再犯と再逮捕、陣川君がロンドンにいること、を同時に知らされた視聴者は、なんとなく、陣川君がこの件を乗り越えたかのような錯覚を感じるのではないでしょうか。
陣川君にそれほどの魅力を感じない私としては、そのせいで、北という得がたいギフトが台無しになってしまったようで、残念です。
おまけ
映画見てきましたが、何もありません。シリーズの最後でいいので、右京さんが自らの正義を貫くために、人を殺すとことか見てみたいものです。
おまけ2
今回も、ハロプロ愛全開の真野さん。ぶれません。