エシカル○○が流行っているそうです。
エシカル(ethical)とは、「倫理的」「道徳上」という意味の形容詞である。近年は、英語圏を中心に倫理的活動を「エシカル(ethical)○○○○」と表現し、エシカル「倫理的=環境保全や社会貢献」という意味合いが強くなっている[1]。身近な倫理的活動としては、主にエシカルコンシューマリズムが挙げられる。(エシカルーWikipedia)
ベッキーさんがテレビに出ることに反対することは、倫理的でしょうか。道徳的でしょうか。矢口真理さんをCMに使った会社の製品の不買運動は、倫理的でしょうか。道徳的でしょうか? 不倫は倫理的事案でしょうか? 道徳的事案でしょうか?
「駄目だから駄目なの」が道徳的なものの特長だとwikiに書いてあります。それは一体、どの範囲にまで(土地、人種、歴史)通用するものなのでしょうか?
なにはともあれ
エシカルコンシューマリズム
エシカルコンシューマリズムとは、「動物や環境や人や社会に配慮した工程・流通で製造された商品を選択し、そうでないものを選択しない」という消費活動である[2]。エシカルコンシューマリズムの内、最も注目されている商品カテゴリには、エシカルファッションが挙げられる[1]。(同 以下同じ)
これが基本でしょうね。つまり、消費者運動です。消費協同組合です。CO-OPです。
しかし、ひじょうに、大雑把です。「配慮した」って何を、何に対して、どのように、どのくらい、やっていれば合格だと、どこの誰が判断するのでしょう。(消費者一人一人の倫理l道徳観でしょうか? )それらは程度の問題ですか? 優先順位はありますか? 地球=資源?、動物、労働環境ですか? 現在ですか未来ですか? 倫理観の格差による闘争は起こりませんか? 何故人は争うんだろう。
そもそも、資本主義は高いところが低いところから養分を吸い上げるしくみではありませんか。その基盤で、エシカルであるとは? 誤魔化してない?
さらに区分される活動にいちいち文句をつけてみる
エシカルコンシューマー
倫理的消費者という意味で、「エコバッグを使うこと」「寄付金付き商品を買うこと」などを行う消費者をエシカルコンシューマーと呼ぶ[3]。
突然分りやすくなりました。でも、その前に、その消費が必要かどうかを吟味することが大切だと思うのです。やみくもに、「買って応援」でいいのでしょうか?
「買ったつもりで寄付」ではエシカル「消費」にならないので、消費=購入されないことには、お金が回りません。それでは、資本主義、困っちゃうから。
エシカルジュエリー
人や社会・自然環境に配慮をした素材(フェアトレードやリサイクルの素材)を使用して作るジュエリーのことをエシカルジュエリーと呼ぶ[4][5]。紛争ダイヤモンドなど紛争の引き金となる素材を使用しないことや、採掘や生産の過程において不当に低賃金な労働や児童労働が存在していない鉱物を使用したジュエリーのことを指す[6]。また、「負の要素」のないジュエリーとして、結婚指輪等の記念的な用途にも用いられる。
そうか。ジュエリーって、すべからく『ブラックダイヤモンド』的なんですね。それで永遠の愛を誓うなんて、まさにブラックですね。
ところで、そこまでして「宝石」って必要ですか? 生きるうえで? 贅沢じゃないですか? 贅沢は倫理的ですか?倫理的贅沢ってなんですか? ああ…
エシカルファッション
以下のような過程で商品となっているファッションを、エシカルファッションと呼ぶ。
- 素材の選定(オーガニックコットン、リサイクルコットン)
- 素材の購入(発展途上国からの買い付け)
- 商品の製造(化学染料を使用せず、天然染料を使用して繊維を染色する等)
- 商品の流通(フェアトレード)
この冬のトレンドは… っていうノリですね。
やっぱり、エシカルってつければ高いものでも売れる、っていう付加価値戦略じみてきました。
エシカルヒーロー
エシカルハッカー
高い倫理観と道徳心を兼ね備え、高い技術を持ったハッカーのことをエシカルハッカー(またはホワイトハッカー)[10]と呼ぶ。
昔から活動している。名前を変えただけ。ウィキリークスは? アノニマスは?
エシカルインベストメント
エシカルの概念を判断材料に採り入れた投資手法[1][3]。この考え方で設定されたファンドをエシカルファンド[11]と呼び、エコファンド等と共に、SRI(社会的責任投資)の一形態とされる。
企業をコントロールするのに最も直接響く方法でしょうけれども、企業を温存する=資本主義万歳じゃないですか?
企業以外への投資の未知を開かねばなりませんね。クラウドファンディングサービスはいいと思います。
ところで、ファンドを取扱う企業はエシカルですか? 手数料? 社員ノルマ?
何より、その判断は公正ですか?
エシカルビューティー
美容を通じて社会や環境に配慮する考え方で「ヘアー、ネイル、メイク、ファッション、フード」などすべてを通じて女性が美しくなる過程で その行為が環境と社会に配慮したものであるという考え方[12]。
もはや………
消費者運動に参加する?
銭がいるんだよ。
選択的消費ができる方々は、そうしていただきたい。
が、
砂糖と油まみれのパン(98円)が特売で72円になり、それをタイムサービスの4割引になるのを待って、三つ買って、飢えをしのぐという生活をする場合、選択とは「安いもの」を選ぶってこと以外にありません。
体に悪かろうが、次世代に森が消えようが、どっかの国で子供たちがこきつかわれようが、労働者達が奴隷として搾取されようが、それで40円のパンが買えるから、生き延びられるっていう場合、エシカルでないとか、責められるでしょうか?
できる範囲で、なんて、適当なこと言ってさ
もちろん、やればいいに決まっています。売名でも偽善でも、ってのと同じで。だけど、エコキャップとか24時間テレビとかの経費膨れ(当然給料含む)の活動なら、無駄以下なので、やんないほうが絶対いいです。
中途半端じゃ、消費加速のコマーシャルにしかなりません。貧乏人を相手にしないセレブな活動としての自己満足的エシカル消費。それでもやったほうがいいですけど。
セレブな方々が、一杯お金を使って、利益を出した企業が労働者にきちんと還元してくれれば、経済は回るし、未来に森も残せるかもしれませんから。
企業努力に応えよう
時給700円の会社Aと時給850円の会社Bがあって、そこで作ってる化粧水(100%天然素材で、包装無しで、リサイクル容器。配送も水素カー、送料650円)が、A社3,000円、B社6,000円なら、当然B社製を買うし、B社に投資するし、A社潰れろ、です。でも、そうするとA社従業員は路頭に迷ちゃうけど、エシカルだから仕方ないのです。企業努力が足りないんだから。
というわけで、案外ニッチな隙間商品を開発する小さな組織がいくつもできるかも。
エシカルなら、高くても売れる。ってか買え。大量生産大量消費薄利多売は、エシカルじゃない。これは、第何次かの産業革命といっても過言ではありません。
捨てるべき筏としての社会主義
軌道に乗るまでは、やはり貧困層は厳しい。生活の糧を人質に、労働を迫られる世の中ですもの。だから、薄利多売商品がなければ生き残れない人のために、労働と生活の糧とを分離できる政策、そう。ベーシックインカム!
それさえあれば、私も選択的消費に参加できる。
あ、でも、そのためには、企業に税金払ってもらわないといけない。そうすると、労働コスト削減は必須ですね。
では、給料はいらないことにすればいいでしょう。
労働=ボランティア。そこには、助け合う美しさと役に立ってる感とがあるでしょう。企業もうれしい。貧乏もなくなる。国家も税収上がる。世界は平和。地球万歳。
不買運動です
繰り返しになりますが、本気でやれば、資本主義に対抗できるポテンシャルがある活動だと、柄谷行人さんの著作にありました。(『NAM』、『原理』、『世界史の構造』など)資本制ーネーションーステートの三位一体に対して、労働運動では、企業がなくなれば労働者も金銭が得られなくなるので、そこを出ることはできないが、唯一、商品が貨幣価値へ命がけのジャンプをするその一瞬において、イニシアチブをとれるのが消費者なのだという話。方法は、不買運動。これにより企業に態度の変化を促すのです。
組合(株式会社へのアンチテーゼ)の浮上
のみならず、エシカルな活動をする企業とエシカルな活動をする企業組合があれば、当然企業組合を応援しましょう。企業組合には労働者はおらず、給与ではなく配当(従事分量配当と2割までの出資配当)として利益配分をうける。つまり、労働コストという概念が存在しません。ただ、企業組合数少ないです。もっと作りましょう。
現状で、組合形式は大企業化することが事実上できないし、大企業に対抗することも難しいそうです。株式会社は資本主義世界にとって最も進化した形式で、組合はアウェイです。しかし、可能性は秘めています。
せっかく「安いもの」ではなく「エシカルなもの」という観点を打ち出したからには、資本主義という相対的格差の低から奪うことによってのみ成立する形式から脱却する契機としたいものです。
共同購買規模を拡大してLETSへ
エシカル消費は個人の調査力や判断力では迷うかもしれません。そこで、組織化です。共同購買事業です。さらに発言力が増したらば、商品企画開発も可能でしょうし、他地域、他国家の組織との連携も生まれるでしょう。その際には、「道徳」では連携不可能ですから「倫理基準憲章」を明確にしましょう。(倫理基準の違いで喧嘩とかしないでね)
出資金によって、外部と取り引きしつつ、員外からの出資もどんどん受け付けましょう。なにしろ、エシカルなのです。賛同者すべきです。
組合内部ではLETS(地域通過)を流通させましょう。なぁーに、クーポンみたいなものですよ。それは、連携した他の組合間でも流通するようにしないといけませんね。こうして、次第に貨幣を駆逐していくことが目的です。
資本主義からの贈与 ~貨幣なき後に
ざっくりと、乱暴なお話でしたが、せっかくの消費者組織化理念なのですから、ここまで進めていければおもしろいと思います。
柄谷行人さんが提唱していた理念が、少しずれてはいますが、ムーブメントになってきているのです。
だいたいの場合、こうした理念は資本主義を加速するためのファッションとされてしまいます。だから、そうならないような厳しさを、誰かが提唱し、受け入れられなければなりません。アンチヒーロか、または東方のキリストか。いずれにせよ、カリスマが必要なのかもしれません。
そして、その社会に、「贈与」が、再び、どのように絡んでくるのかに興味があります。柄谷行人さんと中沢新一さんの論点が、クロスするあたりに、この「贈与」があります。
そこは現在の社会よりもより過酷で厳しい社会かもしれません。けれども、どのみち、大量消費ベースの経済では、地球はもたないと思います。
次の段階への舵取り。どのようになりますか。