それさえなけりゃ
脳の働きを知る上では、良書だ。様々な実験を網羅してあるし、図解も分りやすく、有用。そして、強迫性障害や、トゥレット症候群、失読症、様々な脳の可塑性についての知見もたいへんに分りやすく解説してある。
ただ……
「心」と「仏教」と「量子論」さえ、持ち出さなければね。
大学のテキストみたいな
作者は精神科医だ。脳外科医でも、AI研究者でも、ラマ僧でもない。
この本は患者さんの治療のために作者が研究して編み出した「四段階治療法」を患者に説明する際、その有効性を説明するさいに、「私はあなたを機械ではなく、人間として接していますよ」とアピールするとともに、患者さん自身が納得しやすく、やる気になる方便として、「心」が効果的だと分ったので、書いた。という報告アンド宣伝本だ。作者はこの本を、患者さんや、その家族などに読んでもらっているのかもしれないなと思った。
大まかな論旨
この本で、「心」と呼ぶのは「脳」とは別の「非物質的存在」だ。この「心(志向性のある心の力)」によって、脳の経路の正しい方を選択させ、それで行動が変化し、その変化が、脳の可塑性によって脳回路自体をを変化させる。つまり、「心」が「脳」を変える。というのが大まかな主張だ。
「心」はどこにあるの?
「心」は非物質的存在なので、在り処はない。その発生場所は、前頭前野あたりかもしれない(PETで活性化するから)が、それは「意思の力」によって活性化したのであって、このが活性化したから「意思」が発生したのではない。と作者は断言する。
「意思」ってどんなの?
また、「意思」について作者はこのように説明する。
「心の力」とは「努力を必要とする自由意志」である。それは実験結果(準備電位が意思の発生前に計測されること)から、「無意識に四六時中発生する『これをしたい!』という衝動(適切なものも、不適切なものも)から、「何をしないか」を検閲すること」である。
私は、この意見に、異論はない。
さまざまなエージェント達のせめぎあいによって、ある衝動が行動となって現出する。と説明できる。しかし、この選択には、「心の力」が働いていると考えるのが、作者の立場だ。
因果応報
作者は、あらゆる場面で、因果関係をことごとくを逆転させ、
「心の力」によってそのような状態が起こされた
とする。
この因果関係に対する態度は、古典ニュートン力学における、物質主義者の決定論的因果論に対する反発だ。
脳は確実性ではなく、可能性の道具である。
意識がものごとの原因となる力をもつと認められるなら、好ましい可能性を強化し、好ましくないあるいは無関心な可能性を抑制すると考えられる。
これは、19世紀末から20世紀初頭の ウィリアム・ジェームズの理論だそうだ。私はこの部分に関しては、全く異論が無い。
量子論てそんなに分りやすい?
当時、この理論が無視されたのは、古典ニュートン力学が、「可能性」というものを一切認めなかったためだと、作者はいう。
それが、今世紀となって、「量子力学」が登場して、「重ね合わせ」と「不確定性原理」が認められたので、「心」が二つ以上の経路(症例と症例回避のためによいとされる経路)を同時に活性化する可能性がある場合に「心の力」によって正しい経路を活性化することができ、その経験を繰り返すことで、脳は作り変えられる。という理論が認められる土壌が生まれたのだそうだ。
これは「量子論」を単に比喩的対応性のみのために持ち出しただけで、量子論の卑小化に他ならない。
※ でも、8章の「量子脳」と10章の 量子ゼノン効果はおもしろかった。観測者として「心」を持ち出す必要は無いけれど、観測以前(関心をむける前)には脳は、重ね合わせの状態にあって、あらゆる状態が存在するということ。量子理論においては、主観的意識と客観的世界の区別は消失しており、全←意識=観測⇒世界 なので、つまり、
ボーっとしているとき、脳内には世界の全てがある。のだ。
そして、正しく問いかければ(観測すれば、意識すれば、関心をもてば)必ず、正解が得られということでもある。これは、「如来蔵思想」そのものだ。なるほど、物理学の発展とは、仏教思想に迫るというライン上にある。
そして瞑想により、重ね合わせのままの脳の状態に、遊ぶのです。
その上で私はやはり、「中観」に着地したく、望むものであります
変わらないを変わるに変える
それ以上に重要だったのは、「脳は変化しない」という学会の常識のせいで、明らかに脳が作り変えられたと認められる症例(四肢切断や、感覚消失などからの回復)があっても、脳については一切検証されたことが無かったものが、PETや、MRIなどの機器の発達もあいまって、観察できるようになったからだと。
実際、この本の大半は、「脳の可塑性」の実証に割かれている。この可塑性を使って、脳を変化させるのが、「賢明な関心」で「真実にしたがってものごとを見る」ことで、「正しい行動を行う」「志向性のある心の力」であり、かつては「意思」と呼ばれていたという。
「心のはたらき」とされているのは、「努力の必要な意思」と「関心」であり、これらは、「脳」がなければ発現しないが、「脳」を超えている! と断言する。
この自己啓発本感!
方便じゃないの!
作者自身が紹介している 物質主義者からの意見
「お前のいうのは、脳の一部がほかの部分を変えるということだ。脳が脳を変えるのであって、PETで明らかになった変化を説明するのに、心と呼ばれる非物質的な存在を持ち出す必要は無い」
に、私は完全に同意する。
これに対する作者の反論は、
治療効果をあげるには、唯物論の因果関係に立脚した説明だけでは不十分だし、効果は上がらない。意思が何かを生み出すという実感を含め、患者の内的体験の活用が必要不可欠なのだ。
それって、単なる説得術じゃ……
「仏教」を便利に使うな(怒)
治療効果とは、作者が編み出した「四段階治療」による効果だ。この治療法で重要視されるのは「賢明な関心による気づきである」
①「ラベルの貼り替え」②「原因の見直し」③「関心の焦点を移す」④「価値の見直し」の四段階の具体的な説明は以下の通り。
①症例があらわれるのは、脳の生理的欠陥によると理解する。
②PET写真などで、原因を具体的に示すとともに、脳の病気に振り回される必要はないのだと納得する。
③症例が出そうになったら、自発的な別の行動をするように訓練する。
④正しい行動、考え方について、「賢明な関心」によって改めて見直す。
この「賢明な関心」は「仏教哲学」からの言葉だそうだ。ほかにも、「時間を越えた縁起」とか、「宇宙を回転させる意思によって意識が生ずる」とか、「仏教では」という枕詞で様々な文言が紹介されているのだが、
仏教の基本である、「空」については一切触れないし、「仏教がいう真実=勝義諦」も意識外だ。この世界が生じた「縁起」を、肯定的にとらえる点といい、ビジネス書などで取扱われる「仏教哲学」によく似ている。つまり、仏教の卑小化である。私は、そういうのが大嫌いだ。
自己啓発本だ
はっきりといって、これは、単なる自己啓発の地ならし本でしかない。
壊れている脳は、正しい方法が分らないから、正しく心を使って、正しい方向へ進路変更できるようにしなさい。正しさは、私が示して上げますよ。という。
マーケティング 本 だ
飽食の時代を経て心の貧困が叫ばれる現代に「心の力」を喧伝し、巷で話題の「仏教」と「量子論」によって箔付けを行った自己啓発本が、「脳科学」の皮をまとった悪質な本。
治療失敗例
作者の「四段階治療」の方法論をもってしても、私という「唯物主義」に凝り固まった可塑性に乏しい脳を、作り変えることはできなかった、ということか。
「心」があるとする考え方そのものを私は否定しない。仏教における「唯識論」を私は興味の対象としている。そのライン上で、「脳科学」を展開してくれる本なら、よかったのに。
まず「心」ありき。その理由は、「脳」だけでは、人間の意志は説明できないと思うから。だけでは、全く説得力がない。
脳が作りかえられるのは、「教育」「洗脳」「経験」「反復」で分りきっている。そういう部分で、「心」を持ち出す必要を、この作者は、十分に、論証することができず、ただひたすら、「心の力」の用い方ばかりを語った。そこが自己啓発本だというのだ。
さらに、本文の比喩があまりに不用意で、述語のレベルが混乱してしまうことと、翻訳がぎこちなく、とても混乱したことも書き添えておく。
さいごに
この本を私がこれほど怨嗟する理由は、私がブログを書くとき、その内容に副えるとおもしろいと思われる材料にぶちあたったときの、有頂天さ加減と、それに伴う視野の狭窄が、そのままこの本に現れているように感じられるからかもしれない。もちろん、この本のほうが、手が込んでいるが。
予告!?
手元にもう一冊同じ作者の本で、訳者が茂木氏のものがある。
「脳を変える心」これはダライ・ラマと脳科学者の対話と銘打っているので、ダライ・ラマの言葉だけを抜書きするつもりだ。
以上