望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

仏教

本性のXX  ー母性愛の非対称性

はじめに 母性愛は、母ー子という絶対的非対称性においてのみ成立する。母の立場が被る不公平さを、「無私の愛」とか「無償の愛」とか「愛の原点」とか「もっとも尊い愛」という風に言い換える社会は、なにかおかしい。というところから、考え始めた。 注意…

私説 夢と公案 -石原八束さんの(反)写生

はじめに 「私説 現代俳人像 上 倉橋羊村 東京四季出版 平成十年一月一日」を読んでいて、石原八束さんの「反写生の姿勢」について考えた。 慙愧の念 今回のブログでは、この「反写生論」への反駁を試み、「心の内」などという近代的自我を盲目的に信奉する…

視線往還 ―物への漸近

はじめに 「写生」により「物(存在)」の本質へ近づくための忘備録 年譜 日本「写生文」 1887年 言文一致 二葉亭四迷『浮雲』 1894年 写生(俳句)正岡子規(画家 中村不折より) 1898年 ホトトギス 虚子『浅草の草々』子規『小園の記』 1900年 「日本」誌 …

善悪の此岸 ―神が隠すもの

はじめに 救い(=福祉)を求めるなら神じゃなくて、国や企業に訴えよう。そして、福祉などもとめなくてもよい「神の(国のような)国」を建国すべく立ち上がろうではないかぁ~ 存在に善悪などない これは当然のことだし、そもそも、存在するのに、善悪の区…

泥濘の公理系 ―言語・VR・貨幣

はじめに 「記号は意味を持たない」ここは絶対に譲れない。 意味をもつ記号は言語と呼ばれるべきである。従って、記号が「指示記号」であるなら、それは言語の別名であって「記号」ではない。 「記号」は何をもって「記号」たりうるのか?それは、単なる落書…

虚子のメハニカ ―写生・存門・挨拶

はじめに 正岡子規さんから高浜虚子さんという大道。写生という原理主義から、より過激な花鳥諷詠という保守革新(ここには「美学」の問題がありますが、今回、美学については保留いたしました)。いずれも、主観から客観へ至るメソッドであった。 ここでの…

何をくれるの? ―千日回峰行達成のニュース

はじめに ニュースでやっていて、こういう映像が流れていて…… www.youtube.com で、こういうものがあると聞いて…… www.hieizan.or.jp 何だこれ? と思った。 千日回峰行 千日回峰行は、平安時代、延暦寺の相應和尚(831年~918年、一説に~908年)により開創…

カミーユ、コブラと浦飯、加藤との違い

はじめに いつも「ニュータイプ」のことを考えている。 今日は、アムロ・レイとカミーユ・ビダン両者のニュータイプ表現の違いが気にかかった。そこから、意識、認識、心、念、霊力、超能力、呪術、などが意識を流れていって、「媒介」という論点に至った。…

裏のない世界 ―龍の断面

はじめに ずっと、「裏」のことを考えていた。 「裏」は「裏ー表」の「裏」である限り、結局は表層に露呈しており、「表」と何らかわりがないのではないか。この世界のアクセス可能な面はすべて表であり、表裏とは相対的、まさに「陰日向」の違いのみである…

知識を破らずんば知識を得ず ―蒟蒻問答の敗者

はじめに 蒟蒻問答について ひじょうに印象深い落語。様々なところで採り上げられています。 こちらのブログではとても丁寧に分りやすく紹介なさっていますので、よく知らない方はまずはこちらをご参照ください。 senjiyose.cocolog-nifty.com 大根問答につ…

『中動態の世界』 から得たこと ―自由意思という束縛

はじめに とてもおもしろかった。スピノザさんを読むのに役立った。『探求Ⅱ』(柄谷行人さん)を読み返したくなった。 以下にこの読書で得られたテーマを羅列する。将来の(ブログの)肥やしのために。 ※今回のブログは、引用符外にも、この本から借りてきた…

因果応報 #法と情01

因果 原因とは、ある結果に至るまでに関係した膨大な事実を、偏向的に編集した結果である。 因果の効能 結果には原因があるという見方が広く受け入れられている理由は、 理論的整合性は、存在をカオスの恐怖から救い出してくれると感じられるから。 未来の不…

フィロソィア・ヤポニカ 1 p.81

はじめに しばらく前からこの本を読んでいます。中沢新一さんの著作としてはかなり硬質な文体で、読み進めるのに苦労しています。 しかし、とにかく、読んでいて興奮を禁じ得ない本なので、読書メモとして気が付いたことを書き留めて、読書の指針としようと…

The layered suit ―禅と密教

The full-metal jacket 五感と仮説 五感のいくつか、または全てを総合した現象を「体験」とよび、その体験を統合したときに現われるものが「世界」である。 「世界」は自明ではなく、仮説の検証によって見出された事実である。 文化と教育 様々な仮説が採用…