はじめに
『磁力と重力の発見』全三巻を、ときどき読み進めています。いまのところ、『3』の三分の一くらいまできています。ヨハネス・ケプラーを取り上げていて、それが『レンマ学』と交差しているところがおもしろく感じ、ランダムに併読していると、時折、呼応し合うのを、楽しみにしているところがあります。『3』については、後日まとめることになるでしょう。
実は『2』は、読み終えてしばらく経っています。「磁力」という、非接触に及ぶ力を、人類はどのようにとらえていたのかを、『1』から追いかけている本書ですが、『2』ではルネサンスを取り上げていました。
現在、ここに『2』がなく、ほんの2ページだけの走り書きを見ながら、書こうとしているのですが、そのメモも、あいかわらず判読がひじょうに困難なため、まとまったものは書けそうにもありません。
魔術と科学との奇妙な混交、現代科学の態度から振り返れば、両者の区別はひじょうに錯綜してきたのだなということがわかります。
神学から哲学と自然科学へ。形而上学から実用学へ。それは人々の文明文化の発展と広がりとに深く関係し、それは「神」を巡る危ない議論に、研究者をいざなっていきます。
世界認識
アグリッパ『オカルト哲学』より
ジョン・ディーによれば「数」
創造主の中にあるもの「叡智的世界」
「超自然的なもの」=非物質的で純一で不可分で不滅、不変。-精神によってのみ捕捉できる。
被造物の中にあるもの「元素的世界」
「自然的なもの」=物質的で複合的で分解可能で壊れ易く可変。-外感によおって近くできる。
第三の状態にあるもの「天界的世界」
「第三の存在」=数学的なもの。非物質的=数。-イデアにとっても、地上的事物にとてtも重要。
科学者のサロン
ジョルダノ・ブルーノ(1548-ナポリ-1600火刑)
『無限宇宙と諸世界について』『無限原理と一者について』(1584)ー「エーテル」
ニコラス・クザーヌス、デモクリトス、ルクレティウス、から来ている。
分割不可な「原子」論。コペルニクスの「地動説」-支持
・宇宙無限 ・世界は複数ある → 異端者として断罪
デッラ・ポルタ(1531-1615 ナポリ)
『自然魔術 全二十巻』(特に、1589年第二版ナポリ版 がバカ売れ)
好奇心を満足させるため、徹底的に自ら実験をおこなって書いた。1560年には自宅にて、初の「科学アカデミー」を開き、実験を行った。←パウルス五世により禁止。
産業資本のリアル
「航海術の発展」方位磁石の精度が求めらる実用科学の必要性。
「鉱山の大規模化」怪我(主に外傷)やさまざまな病気に関する実用的知見の必要性。パラケルスス。アグリーコラ。
「製紙業、活版印刷」本の流通量が増えることにより、これまで、聖職者などがラテン語で独占していた「文献学的知識」から、経験的実証性による実用的知識が、普通の言葉で印刷され広まった。
だが、磁力に関しては、プリニウス『博物誌』時代のままであった……
おわりに
キリスト教による強い保守的姿勢からの脱却は、1400年のルネサンスによって、ギリシアの発見と回帰による。
だが、それにより文献・教説主義となってしまう。それを、1500年のルネサンスによる産業資本の世界の、職人たちの実践主義が覆していく。