物・事・理・法
物は時間的で理に依拠して変化する。
事は空間的で法に依拠して移動する。
物は事の経時的顕れであり
事は物の共時的実相である。
物には境界があり
事には流動がある。
理は物によってのみ部分的に顕れ
法は事によってのみ部分的に顕れる。
全ての表われは唯物的である。
物と事とは通底しているが
理と法の間には断絶がある。
物によって理に迫るものが科学であり
物によって法を顕わそうとする試みが芸術であり
理と法とをつなごうとするものが哲学であり
物によって法を越えようとするものが宗教である。
「真如」はここにはなく、かつここにしかない。
ざっくりいって上記の私の用語法の
「物」は華厳における「事」であり、
「事」は華厳における「理」であり、
「理」は遍計所執性の世界であり、
「法」は依他起性の世界であり、
「真如」は円成実性に相当する。