望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

刑事と泥棒 ―相棒18「第十話」とルパン三世「プリズン・オブ・ザ・パスト」感想

今回のブログは、タイトルの二作品に関するネタバレががあります。閲覧注意です。

はじめに

 相棒18第10話「杉下右京の秘密」と、金曜ロードショールパン三世「プリズン・オブ・ザ・パスト」を、たまたま同日に見て、どちらも感想を書いておきたくなりましたが、いづれも単体でブログにあげるほどの量にはならなさそうなので、二つまとめた次第。したがって、両者を関係付けた論考にはなりません。テレビを見た気儘な感想というところで。

相棒

杉下右京の秘密とは

 実はマイホームパパである? などという演出は、単なる予告編用にすぎず、家に上がりこむ必然性は皆無でした。ストーリーは凡庸でありまったくとるに足りません

 しかし、私が記しておきたいのは、黄金密輸入組織の儲け方に、消費税還元を早速取り入れていた新しさの他に、「右京さんの正義」の性質がさらに過激に変貌していたからです。

法治国家への憤り

 黒幕が無能な手下を「雑草だから抜き取れ。駆除しないとよい実はならない」というような台詞の後でした。右京さんは、

「できることなら、あなたを即刻駆除したいくらいですよ」(うろ覚え)

 と、言ったのです。

 これまで、どのような犯人であっても、「法の裁きを受けさせること」を目的に、右京さんは犯罪者と戦ってきました。どれほど凶悪であっても、復讐や、私刑は許さないというスタンスを破ったことは一度もありませんでした。いかに無理矢理であっても、アクロバット的解釈でも、「法の網にかけること」こそが、右京さんの正義でした。

 ですが、ついに「法の裁きでは生ぬるい」と自らの口で宣言したのです!

最終シーズンへむけて

 シーズンを重ねるごとに、右京さんは「不完全な法」の番人であることから、少しずつ逸脱しているように思われます。右京さんにとっての正義は「法の遵守」だったのですが、年を経て「感情」が優先することが増えてきているように思われます。

 

mochizuki.hatenablog.jp

  いつかファイナルシーズンを迎えたあかつきには、(それまでに、青木君のところをきちんとしてもらって)是非、右京さんが「法」のために「法」に背く話を、切望してやみません。

post.tv-asahi.co.jp

ルパン三世

痛快娯楽活劇

 テレビスペシャルがあるたびに、「どうせつまらないのだろうな」とあらかじめ、諦めてから見る癖がついていたこのシリーズ。

 前回までのTVシリーズが連続で素晴らしかったこともあって、「3D映画」とか、「テレビスペシャル新作」と煽られたところで、「そんなら、あの雰囲気でTVシリーズを続けてくれ」と思っていたのですが、

今回の「プリズン・オブ・ザ・パスト」は、久しぶりに愉快でした。

番組HPを見ると

TV第2シリーズのようなコミカルな面白さを追求した、爽快脱獄アクションです!

とあり、監督の狙い通りの仕上がりだったと思います。

五エ門と銭型

 ルパン三世スペシャルの中で、私がもっとも気にするのは、五エ門の扱いです。彼を、かっこよく使いこなしていない話があまりにも多すぎるのです。

 押井守氏はかつて、五エ衛門を「狂った武器」と評していましたが、それはある意味で当たっています。彼のメンタリティーは、明らかに浮いており、まじめに描けば描くほどコメディーとなってしまう。

 「だから」と、五エ門を安易に「コメディー要員」として用いるという誤りを犯した作品はすべて駄作です。五エ門こそが、作品の出来栄えを示す試金石なのです。

 それは、銭型警部も同様です。彼もまた、安易にズッコケ要員に貶めてはならない存在なのです。銭型警部のダンディズムが表現されない話は駄作です。

活劇であること

 単発映画シリーズのヒットのなか、「シリアスが良いのだ」という風潮がありました。あの映画シリーズはかっよくて大好きです。ですがそれはそれです。

 ルパン三世は絶対に「痛快活劇」であるべきです。その意味で今回の「脱獄レース」はよいテーマだったと思います。たとえ実際はレースがレースの態をなしていなかったとしても、『キャノンボール』みたいな雰囲気はありました。

 シリアスに悩んだり、葛藤したり、苦悩したり、そんなものこそ五エ門に任せておけばいいのです。ルパンはあくまでも明るく、希望に満ちているべきなのです。

それぞれの性質

 ルパン三世はヒューモアの人です。次元大介はイロニーで、五エ門は愚直。不二子はセックスシンボルであり、銭型はダンディ。これをはずしてはいけません。

捩れ引用

 今回の脚本は、『カリオストロの城』によく似ていました。ですが、それを270度とかねじっているところで、オマージュしつつ、コメディーに変容させていたと思いました。

 救い出すのは、姫ではなくて、おっさん。心を奪われるのは姫ではなくて王子。しかもルパンに、ではなく五エ門。建物の倒壊は大団円の結果ではなく、防げなかった危機であり、(にしても、囚われていた王の「こうなったところを見てみたかったんじゃ」は素晴らしいユーモアですね)、最後にはルパンもきちんとお宝を手に入れて帰る。

 細かく見ればまだまだあるのでしょうが、カリオストロは、これくらいねじった上でなければ、おいそれと引用などできないのだよ、という気概は感じ取ることができました。脚本も見事です。が、やはり『カリオストロの城』は、バイブルとして君臨しているのだなと感じました。

ハードな問題意識

 とはいえ、設定上はなかなかシリアスでした。キャラクターが存分に暴れまわるためには、それなりに強固な世界設定が不可欠です。

 カリオストロでは、背景となっていた「偽札作り」でしたが、今回は「テロリストのための市場」が設定されています。そして、それを作り上げたのが「義賊」であったこと。それを阻止したのもまた「義賊」だったこと。そこに、強烈なメッセージを感じます。鉱脈の枯渇によって貧しくなった国を救うため、義賊は犯罪者から搾取し、テロリストと同盟を組みました。そして実際に、国は潤ったのです。国と国民を豊かにするため、無能な王と逃げ出した王子を追い出して、自分が国王になろうとする義賊。そこには大儀があります。

 一方、そのような大儀=正義を是としないのがルパン三世たちでした。彼らは、かつての恩を返すために集まり、国のために搾取されることを強制されるのですが、それは仲間内の「義」に反するのです。それは渡世人の一宿一飯の儀、のようなパーソナルなものです。ここでは、国家と個人の尊厳のありかたが問われているのでした。

 また、この国の繁栄は遠くの国の戦争や内戦やテロによって成り立っているのだという、「パトレーバーthe movie2」で押井守さんが扱ったテーマでもあります。

 最後に、今回の話の中ほど「人が死んでいない」ようにみえるものはなかったのではないでしょうか。監獄が閉鎖されるとき、ラピュタなら「バルス!」のあと、「人がゴミのように」死んでいくところを、今回は「隙間をみつけてどうか死なないで」と祈る所長の姿がありました。その主張は、自然災害から命を守る行動をして、という緊急速報に通ずるものがありました。

 が、実際にはそれはきれいごとです。すでに王族は皆殺しになっていたし、よその国ではここでとりひきされた武器で大勢が命を落としているでしょう。また、海に落ちたり、岩に挟まれたりしてなくなったものも多かったはずです。

 だから、いい。だから、悪い。というものではありません。人はどうせ死ぬし、誰かを殺して生きているのですから。それをカリカチュアしてみせること。それこそが、大活劇なのだと思います。いやあ~ルパン三世って本当にいいものですね。それではまた、お会いしましょう。

資料(HPおよびwikipedeiaより)

TVスペシャル「ルパン三世 プリズン・オブ・ザ・パスト」(完全オリジナル新作)
11月29日(金)よる9時00分~10時54分 

◆原作:モンキー・パンチ
◆監督:辻 初樹  ◆脚本:西田シャトナー ◆キャラクターデザイン:丸藤広貴
◆音楽:大野雄二  ◆アニメーション制作:トムス・エンタテインメント

◆キャスト
栗田貫一小林清志浪川大輔沢城みゆき山寺宏一
島﨑信長、桑島法子三木眞一郎平田広明

kinro.ntv.co.jp
監督の辻初樹さんは
ルパン三世 第2シリーズ (1977年-1980年、原画)
ルパン三世 PartIII1984年-1985年、作画監督
名探偵ホームズ (1984年-1985年、原画)
ルパン三世 PART5(2018年、絵コンテ・演出)
ルパン三世 プリズン・オブ・ザ・パスト(2019年、監督)

脚本の西田シャトナーさんはとっても多彩な、劇団の座付き演出家などをなさっていました。
ルパン三世 PART5」第20話『怪盗銭形』(2018年)