望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

小説となるべき差異の在り処 ―すべらない話 20190727 大悟(千鳥)さんの島の話

はじめに

このブログには、以下の番組についてのネタバレがあります。ご注意ください。

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 小林メロディーさん。声がよくておもしろかったですね。淡々と話していくスタイルが好きです。

 稲田さん。絶対に「顔いじり自虐」なのですが、そのバリエーションの豊富さで、すべりませんね。そして、とても上品で好きです。

 神田さん。「○○っつって」が口癖なのでしょうか。素で話してる感じがして、すごく好きです。タタンッっとテーブルを叩くところとか、「講談師」って感じでした。

 バカリズムさん。異様に手が動いてましたね。小手先で器用にまとめた感じでした。でもとても聞きやすくて分かりやすかったです。

 千原さん。自身の感動が強すぎたのか、聞いているほうとしては引き気味で。すべらない話に、感動はいらないと思いました。(詐欺だった、というならおもしろかったけど。と思う私はだめ人間)

 粗品さんも同じ。なんだ、感動エッセーか……と。鉄拳か、カラテカ矢部にでも描いてもらえばいいじゃん。と。

 

島の大悟さん

 そんな中、MVSをとった大悟さんの「丸い石」の話は、中上健二さんの小説を髣髴とさせました。

 一つ目の「船」の話もかなり好きです。あれも「感動系」とくくられるのかもしれませんが、「ツッコミを許さないようなお涙頂戴」ではなく「突っ込む余地のあるペーソス」だったと思います。したがってそれは喜劇であり、小説たりえたと思いました。

 「島」という閉鎖的社会内部の連綿と続くカースト。その閉塞感を思い知らされる少年期が「船」だとしたら、「丸い石」は、島を出て大成した少年の、後日談でした。

 

 ちなみに、このカーストをデフォルメしたネタが、これではないかと思っています。

千鳥「タクシーの運転手」

www.youtube.com

 あいかわらず、島は閉塞しています。でも父は仕事を替え、「親分」に「海岸でなるべく丸い石を拾い」「それを見せる」という仕事としているといます。

 もう、大好きです。

「島」を出た息子が「島と島で受けた恩を忘れていない証」として「父が替わって」お中元やお歳暮を欠かさなかったというところも、たまらないですし、「親分」とあってからの父の様子や、父からの言葉。

 そういえば、この二つのお話のオチは、どちらも「父の言葉」だったのだなと気づきます。こういうところに「血」を感じてしまいました。

 

セットされた差異

 島と島から出ることなく生きた父と、島を出た息子。それは、そこに育たなくては絶対にセットされない分かりやすい差異です。

 人はそれぞれの環境で暮らしています。だから、「差異」はだれもが保持しているのですが、小説を書く上ではこの「差異」はなるべく大きいほうがいいし、他人からみてもはっきりと「違っているな」と分かるほうが、受け入れられやすいのだと思います。

 こういったあからさまな「差異」を持たない人は、小説を書くにあたって、まず「差異」があるということを明らかにするという作業が必要です。

 「差異なきがところに差異を見出す力」の有無は、小説家の資質を左右するものと思います。その上で、出自が特異である人は、小説を書く上でひじょうに有利です。無論、自らにセットされている差異を、冷静に測ることができなければ、小説にすることはできないでしょう。そしてそのように自らを観察する力もまた、小説家の資質を左右するのでしょう。

おわりに

 オチについておもしろいなと思ったのは、松本さんの「ウォシュレット」でした。あの話は、松本さんの行動のおもしろさが全てなのですが、あのオチ(吉本ホールディングス)がなければ、話をシメることができないのです。

 冒頭の千原さんの「逃走中」のオチは、それまでの話が全て前フリで、おもしろいのはオチだけだし、粗品さんの「ハンドベル」のお母さんのオチは、つけたしでしかありません。つまり、千原さんのは、オチだけで成立し、粗品さんのはオチ無しで成立する。

 バカリズムさんの「筆記体」は、伏線と回収。になっていて無駄なところがまったくありませんでしたが、おもしろくなく、神田さんの「A師匠」はネタふりとオチという定型を出るものではありませんでした。

 話の展開とオチとの関係の理想は、「つきすぎず、離れすぎず、ひねりすぎず」「不即不離」でありたい。とこれは俳句からきているのですけれども、そういう風に考えると塙さんの「カツラ」のオチの使い方の特異性が、際立ってくるなと。

 そんな感じでした。