望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

視線往還 ―物への漸近

はじめに

「写生」により「物(存在)」の本質へ近づくための忘備録

年譜

日本「写生文」

1887年 言文一致 二葉亭四迷浮雲
1894年 写生(俳句)正岡子規(画家 中村不折より)
1898年 ホトトギス 虚子『浅草の草々』子規『小園の記』
1900年 「日本」誌 子規『叙事文』全三回

「或る景色を見て面白いと思ひし時に、そを文章に直して話者をして己と同様に面白く感ぜせしめんとするには、言葉を飾るべからず、誇張を加ふるべからず、只ありのまゝ、見たまゝに」

吾輩は猫である夏目漱石
余裕派:描写対象と一定の距離をおいて書かれる写生文が、大人が子供を見いるように書く、といわれることから。→「内面化されぬ他者」柄谷行人


ロシア・アバンギャルド

1913年 ロシア・アヴァンギャルド
    ヴィクトル・シクロスキー 『言語の復活』 言語の詩的機能→「異化」作用
異化「実体を隠しつつ、平凡で日常的な用品から、想像力に挑戦する神秘的なものへと変身させる。」「初めて見るように定義すること」
1920年 ドイツ表現主義 客観表現を排し、主観的表現に主眼を置く
1924年 日本 『新感覚派
    評論家千葉亀雄が彼らグループを論じて「新感覚派の誕生」と評したことに由来する。横光利一:純粋小説、第四人称

(前略)純粋小説はこの四人称を設定して、新しく人物を動かし進める可能の世界を実現していくことだ。まだ何人なんぴとも企てぬ自由の天地にリアリティを与えることだ。新しい浪曼主義は、ここから出発しなければ、創造は不可能である。しかも、ただ単に創造に関する事ばかりではない。どんなに着実非情な実証主義者といえども、法則愛玩ほうそくあいがんの理由を、おのれの理智と道徳とのいずれからの愛玩とも決定を与えぬ限り、人としての眼も、個人としての自分の眼も、自分を見る自分の眼も、容赦なくふらつくのだ。私はこの眼のふらつかぬものを、まだそんなに見たことがない。いったい、われわれの眼は、理智と道徳の前まで来ると、何ぜふらつくのであろう。純粋小説の内容は、このふらつく眼の、どこを眼ざしてふらつくか、何が故にふらつくかをさぐることだ。これが純粋小説の思想であり、そうして、最高の美しきものの創造である。も早やここに来れば、通俗小説とか、純文学とか、これらの馬鹿馬鹿しい有名無実の議論は、万事何事でもない。(後略)

『純粋小説論』横光利一

1925年 ヴィクトル・シクロスキー 『散文の理論』
    ×新しいイメージの想像、〇既存イメージの配列の仕方
    イメージの思考でなく、イメージの喚起を。直喩、誇張などの修辞

「人々はよく知っている言葉の場合は再認してしまう。これを認識させるために、認識の過程を長引かせる」

未来派のザーウミ」:意味の理解を前提としな超意味言語 →ハナモゲラ語ダダイズム

1927年 『文芸的な、余りに文芸的な

この芥川対谷崎論争のそもそもの発端は、1927年(昭和2年)2月に催された「新潮」座談会における芥川の発言である。この座談会で、芥川は谷崎の作品「日本に於けるクリップン事件」その他を批評して「話の筋というものが芸術的なものかどうか、非常に疑問だ」、「筋の面白さが作品そのものの芸術的価値を強めるということはない」などの発言をする。するとこれを読んだ谷崎が反論、当時『改造』誌上に連載していた「饒舌録」の第二回(3月号)に「筋の面白さを除外するのは、小説という形式がもつ特権を捨ててしまふことである」と斬り返した。これを受け、芥川は同じ『改造』4月号に(同誌の記者の薦めもあったと思われる)「文芸的な、余りに文芸的な——併せて谷崎潤一郎君に答ふ」の題で谷崎への再反論を掲げるとともに、自身の文学・芸術論を展開した。

以後さらに連載は続き、谷崎の再々反論、芥川の再々々反論があったが、同年七月芥川の自殺によって、「改造」誌を舞台に昭和初頭の文壇の注目を集めた両大家の侃々諤々の論争は幕切れとなった。

作中で芥川は「話らしい話のない」「最も純粋な」小説の名手として、海外ではジュール・ルナール、国内では志賀直哉を挙げた(彼は「私の好きな作家」の中でただ一言、「志賀氏。」とだけ述べている)。Wikipediaより

 ヌーボー・ロマン

1957年5月22日 ヌーボー・ロマン
        ル・モンド誌の評論家 エミール・アンリオが用いた造語。
        プロットの一貫性や、心理描写の抜け落ちた実験的小説
        ナタリー・サロート:意識の流れの叙述
        ミシェル・ピョートル:二人称小説
        ロヴ・グリエ:客観的な事物描写の徹底(数値への変換)=視線派

視線派「日常的、習慣的表現から離れ、自らの視線を大切にして新しい文体を獲得しようとする文学運動」1964年 ロブ・グリエ『新しい小説のために』

「数字などへのこだわり」・・・数、色、対称、順番、寸法などに対して、自分なりの決まったルールがあり、そのことに過剰にとらわれます。例えば、4や9など特定の数字は不吉なことが起こる気がして、病院の番号札にそれらの数字が含まれているといても立ってもいられなくなったりします。
ほかにも、人によって症状の現れ方はさまざまです。また、一つだけでなく、複数の症状をあわせ持つ人も少なくありません。

www.nhk.or.jp

 「物」へ

「それは底面はもつけれど頂面をもたない一個の円筒状をしていることが多い。それは直立している凹みである。重力の中心へと閉じている限定された空間である。それはある一定量の液体を拡散させることなく地球の引力圏内に保持し得る。その内部に空気のみが充満しているとは、我々はそれを空と呼ぶのだが、その場合でもその輪郭は光によって明瞭に示され、その質量の実存は計器によるまでもなく、冷静な一瞥によって確認し得る。
指ではじく時それは振動しひとつの音源を成す。時に合図として用いられ、稀に音楽の一単位として用いられるけれど、その響きは用を超えた一種かたくなな自己充足感を有していて、耳を脅かす。それは食卓の上に置かれる。また、人の手につかまれる。しばしば人の手からすべり落ちる。事実それはたやすく故意に破壊することができ、破片と化することによって、凶器となる可能性をかくしている。(後略)」「コップへの不可能な接近」谷川俊太郎『定義』より


言葉を飾らず、只、ありのままに記述すべしという「写生文」と「イメージを喚起させるために理解の自動性を強制停止させるべく、修辞を駆使し、理解不能文字までもちだす「ロシア・アヴァンギャルド」の方法。徹底的に主観を排す方法として、強迫観念的に数値にこだわる「視線派」の方法。また、ドイツ表現主義は「徹底的に主観的であること」によって固定概念を脱し、やはり「異化」をもたらそうとした。
つまり、これらは全て「物のを物性」を純粋に捕えてようとする運動であるということができる。

このブログでもいくども出てきている「真如」への漸近であるといえ、さらにそこからこの世にきちんと戻ってこようとする熱情に溢れた運動なのである。
それはやはり「誌」によってなされるのだろうと思う。

物に対しては、言い替えによってしか接近することはできず、しかしそのやり方では絶対に物に到達できないというジレンマを抱えた表現者としての「業」を感じる。

 ※ 寸法など数値化とは具象化であるようで抽象化である。「物」自体への漸近が抽象的となるのは、それを言い換える概念を持たないからである。つまり、言い替えるという作業こそが不要なのだ。当然、そこに表現はない。表現の術がないことを伝達しようとする困難に真正面から立ち向かっているのが「仏教」である。(cf.「無記」)

本来は「表現」など不要なのだ。「記録」など余分なのだ。そんなことをしているから、よけい囚われてしまうのだ。こんなブログを書くこともまた、その業の一つなのである。

参考文献
『ファンタジーの文法』ジャンニ・ロダーリ
『身体の宇宙誌』鎌田東二 "