望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

真・K-1 ―多様性が犠牲としたもの(ショートブログ)

はじめに

 多様化、多様性。それを実現することの困難は、ローカルルールにある。

K-1黎明期

 大興奮したものだ。空手、ムエタイ、拳法、喧嘩、相撲、レスリング、柔道、あらゆるジャンルから立ち技最強を証明するためにリングに上がるファイター達。見たこともない技や、見てみたかった闘い。リング上には、たしかに「多様性」が血肉を得て、存在していたと思う。

K-1の完成

 しかし、全くかみ合わない闘いもあったし、持ち味を生かせないで敗退する者もいた。異なるジャンルの選手が闘うため「ルールの整備」が必要となった。

 試合時間、ノックダウン制など、K-1独自のルールが出来上がってきて、それなりの戦い方が確立した。K-1という「場」は、K-1という「競技」となり、多様性は失われた。

 

相手を動けなくしたら勝ち

 そもそも、「打撃で相手を倒したら勝ち」このルールがあるだけで、「ぶん殴って相手を倒したい人達専用」になってしまう。

 せめて、「相手を動けなくしたら勝ち」程度にして、ガムテープでぐるぐる巻きにするとか、説教の間正座させて足をしびれさせて立てなくするとか、粘着材をぶちまけるとか、天井を低くするとか、そういったアプローチも認めてもらえれば、多様性は確保できたのではないだろうか。そして…

真・多様化したK-1

 戦いたくない人達。勝敗などどうでもいい人達。頭脳で闘う人達。勇者として姫を助けたいパーティー。野球好き。ポーカーの名手。囲碁将棋部。彼らも同じリングに上がることができるし、上がらないという選択も認められる。

 羽生さんvs読売巨人軍。武騎手vsアンディー・フグ。修三vsマリック。警官vsプリマドンナバーテンダーvsボクサー。まなvsかな。大学教授vsエレベーターガール。興味深いカードが目白押しだ。

※「じみへん」という漫画には「バーテンダーもしくはマジシャン vs ボクシング」があったと思う。

多様化と混沌

 え? どうやって闘うか分らないし、勝敗もどうやってつくか不明? 様々な価値観がそのままで成立し、それぞれの目的に向かうことを妨げない。それが多様化ってものじゃないでしょうか?

憲法から話し合う?

 多様化を受け入れる側がそのためのルールを作る。それは厳密には多様化とはいえないんだと思います。それでも、この国に住むのならその国の法律とマナーは守るべきなのだと思いますが、 郷に入っては郷に従え。が基本なら、多様化なんてお題目です。地域コミュニティーという保守的な集団にとっては、なおさら困難なものだっていう、前には「移民のこと」として書いた多様化についてのお話でございました。

 

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