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望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

4DX ― すべらない話 千原ジュニアさんの話 と たくさんの余談

4DXって何だ?

4dxで検索をかけて一番上にきたページ。

新次元の4Dアトラクションシアター ユナイテッド・シネマ|シネプレックス

どんな演出があって、追加料金がいくらで、どんな注意があるのかが、分かりやすくまとめてあった。

遊園地でみた

 うんと前、ディズニーランド「キャプテンEO」とか、もっと前だと、富士急の、部屋ががゴロゴロ転がっているかのような体験ができる映像とベンチとの連動アトラクション。ユニバーサルスタジオジャパンだと、スパイダーマンのやつとか。

ピンクフラミンゴの匂い

 うんと前、確か「ピンクフラミンゴ」っていう映画で、匂いカードがついたことがあったと聞く。スクリーンに番号が出る。そのタイミングでカードの同じ番号の丸をこすると、匂いがするっていうしくみ。うんちだか、おならだかの匂いとかあっておもしろかった(非難轟々だった)とか。そんなんで文句言うなら、「ピンクフラミンゴ」なんて見に行かなければいいのにね。

車がへんなとこ走るやつ

 「八時だよ全員集合」で、ときどき、メンバーが車にのって、大きなスクリーンの前で、ありえないところを車で走って行くという演出が取り入れられていた。

 アメリカの「ポリススクワード」というレスリー=ニールセン主演で、OJシンプソンも出ていた連続ドラマ(この映画版が、『裸のガンを持つ男』シリーズ)のオープニングで、パトカーの屋根のパトランプが写っていて、それがとんでもない場所を進んでいくという演出がなされていて、単純に愉快だった。このへんは余談。

今回のすべらない話

 話の印象がほぼ皆無

 すべらない話。今回は全体的に小粒で、すべってはいないまでも、印象残る話はほぼなかった。
 話し終えたカズレーザーさんは、どうして及川さん演じる神部尊のような微笑みを絶やさないのか、きみまろさんのとき、いつからすべらない話は、インタビュー番組になったのかと気になったり、最後にトロフィーをもらった若い芸人さんが、しゃべるときに口元を隠そうとするのは、かっこつけなのか、口の臭いを気にしているのか分からないけどみっともないな、とか、ひとりさんが始めてだったことに驚き、IPPONに出てホリケンのようにひっかきまわしていけばいいのに、とか思うところはいくつかあったけれど。

 きみまろさんとハンバーグ

 きみまろさんは、松本さんや、ジュニアさんが短いのを話してスッと終わる技術に感心していたように見えた。

 最後に声を張って終われる話ばかりではないから。考え落ちのような話の終わらせ方は難しい。
 アメリカンジョークのように「だから言ってやったんだよ…ナニナニだからっ!てね!!」というのもそのあたりの難しさを解決する技術だろうし、落語の「お後がよろしいようで」とか漫才の「もうええわ」「君とはやっとれんわ」なんかも、いつどこででも終われるように編み出された文句だと思う。「ハンバーァァァ~グ」は力技だけど有効だし。あれ、これも余談だ。

ジュニアさんの4DXの話

俺誰? 誰徳?

 ジュニアさんの指摘はおもしろかった。
 映画の画面にあらわれる状況を追体験させようという4DXの最も重要な点は、観客を誰の立場にするか、というところだろう。

 シン・ゴジラが海から現われるシーンで顔に水がふきつけられたかと思えば、巨大な波におそわれる船のシーンでは椅子が揺れ動き、シン・ゴジラが背中を打たれれば、シートの背中に振動が走り、コントロールを失った飛行機が墜落しはじめれば、風がふきつけシートガタガタとゆれる。しまいには、机の上をペンが転がるシーンで、椅子が動いたという。しかも300人が一斉に。「えぇっ? ボールペンの気持ち?!」

第三者的傍観者

 基本的には、画面内のエキストラ、つまりその他大勢が感じている状況をなぞるという使い方が分かりやすいと考える。
 なぜなら、「映画を見ること」とは、誰かの境遇を傍観することであり、それを、遠くはなれたところからカメラ越しにみるのか、カメラを自らの眼とみなすのかの、二つに一つしかない。だから、カメラの置かれている状況を再現すれば自然なのではないだろうか。海のシーンでびちゃびちゃになり、飛ぶシーンで強風を浴び、宇宙のシーンで酸素が薄くなる。忙しすぎて傍観するゆとりはないかもしれないが。

自分を出ていく場所

 映画のなかの特定の誰かに感情移入し、その人の体験を追体験したいという見方もある。その場合、観客は傍観者ではなく、登場人物の一人として生きることとなる。これはコントロールしやすいだろう。

 ただ、自分が誰になりたいのかは、自分で決めたい。
 つまり、映画を見る前に、誰の経験を擬似体験したいかを申告しなければならない。 何の情報もなく映画を見たい人にとっては、初回から理想的な4DXを経験するのは難しい。まづは「傍観者モード」でストーリを追い、次に「誰になるか」を決めるということになる。映画紹介やパンフレットを事前に見られるなら、話は簡単だ。
 映画関係者にとっては「見るたびに違う体験!」と売り込める。毎回、異なるシールやらポスターやらを配布するよりは、よほどまともだと思う。
 その場合、4DXは少なくとも主要登場人物分を想定した数のプログラムを用意しておかねばならない。そしてその人物に必要なエフェクトを与えるための装具もまとめておかねばならないだろう。こういうのはゲームなどではとっくに実装しているのではないだろうか。十分に可能なことだ。

 ただ、私の意見としては、映画の映画性というものはおそらく「そこ」にはない。

革新の段階

本筋と傍流

 「3Dなど無用だ」と考えるのは、映画黎明期の嫌映画論であったり、白黒がカラーになるときの、カラー贋物論だったりと変わらないのかもしれない。

視聴覚という本筋

 映像が3Dになる技術というのは、もはやそれまでの作り方との決別を意味するのではないかと思う。つまり、写真から動画への移行と同程度の革新ととらえるべきではないのかと。

残りの感覚に訴える技術 

 それに比べると、通常の映画と4DXとの差は、そこまでではない。ジュニアさんの説明は、分かりやすさと、それが先端技術だと印象付けるため(その結果がこんななんですよぉ、という笑いにつなげるため)に「2Dが3Dになってそれがさらにすごくなって、4DXなんですよ」と言っていたが、4DXについては、映像革命ではない。
 つまり、視聴覚体験の拡張ではなく視覚以外の感覚にも訴えよう、という付加価値技術にすぎない。(すぎない、とはいえVRへの取り組みとしては重要だ)

触れることと匂うこととゆさぶること

味覚の排除

 4DXがターゲットとするのは、触覚と嗅覚だ。味覚についても可能なのだろうが、それはピンクフラミンゴのカードと大差ないことになるだろう。口内に何かを含んでそれが信号によって味覚を操作するという仕組みは可能だ。現に味覚をコントロールするスプーンは存在する。
 だが、食感、嚥下感覚のないまま味覚だけを再構成するというのは、あまり喜ばれないのではないだろうか。
「食」を追体験するのなら、「○○映画のレシピ」とか銘打って、実際に料理を作ったり、食べたりするほうが受けそうである。
 星新一さんに『味ラジオ』(だったかな)という作品がある。4DXはまだここまでは到達していないが、その技術が確立するなら、映画だけに留めておくには勿体無い。)

熱き抱擁

 さて触感である。
 シートで再現するのがデフォルトなので、あまり繊細なものは望めない。いつだったか、恋人をぎゅっと抱きしめる感覚をエフェクトするスーツみたいなものがあったので、それを着れば恋人との抱擁でも、プロレスのベアハックでも、再現できるかもしれないが、映画館で、その登場人物を擬似体験したいという人がお揃いのジャケットを着ているというのも奇妙なものだ。いや、全員が3D眼鏡をかける3D上映会場の時点で、もうおもしろいのだけど。

イスよりもなお

 揺れる、傾く、バイブする。
 背もたれのみでなく座面にも振動装置をいれて、セックスシーンでは本気で気持ちよくしてくれたりするとか? そんなら予め、テンガ的ものを配布すればいい。窓口で少々気恥ずかしいかもしれないが。追加料金を払っているのだから、根こそぎ体験していくべきだろう。

タンク

 椅子に座っている、という制限を突破するのは困難だ。呼吸可能な液体に全裸で浮かんで映画を見るなら、なかなかの臨場感を得られるのかもしれない。でもそれは、ディズニーランドでも難しいだろう。大学とかの研究室で得られる夢のような体験だ。

アイソレーション・タンク - Wikipedia

経験再現度なら催眠 なお個人差

 村上龍さんの『超伝導ナイトクラブ』で、体験の再現度は、催眠術において最も高いと書いてあった。筑波博のなんとかビジョンもいいせんいっていたらしい。360度包み込まれる映像体験というは、ゲームセンター(アミューズメントパークか)向きだ。ガンダムだってZシリーズからは、そういうコクピットになっていた。

ライディーンとかエヴァとか鉄血のオルフェンズとか

 ただ、身体と体験記録との接続については気をつけないと、死ぬ体験を追体験していて本当に死んでしまうという自体になりかねない(村上龍さんの前掲書にも書いてあった)。擬似体験はあくまでも擬似でなければならない。これは鉄則だ。

個人的な体験

 映画をゲーム化、体験型アミューズメント化する。つまり、他人の体験を、さも自分の体験であるかのように体験するための技術。それが4DXだった。

受動的な体験

 問題は、水をかけられる、椅子を揺らされる、匂いをかがされる、とか体験のほとんどが受動的だということだ。

能動的体験

 快楽殺人犯が悶え苦しむ被害者の首をしめている、その手の感触を再現するグローブとか、いいんじゃないか。日本刀で人間を真っ二つにする感覚、リボルバーをぶっ放す感覚。そういうのを4DXに取り入れてやれば、「悪」の存在が近くなるかもしれない。だが、そういったものも、ゲームがすでに実装している。

技術は空想の枷であり、創造の翼である

 映画を4DXありきで作るのは、なんかちょっとね。3Dもそうだったけど、やたらと飛び出したりする場面を増やしたりする必要なくない?そういうのは映画を狭くするだけだ。だいたいところは、人間のもつ共感力的想像力によってまかなわれてきたはずだ。

気分次第で大根も甘い

催眠映画

 いっそのこと、そんな道具に頼るのはよして、「催眠映画」にすればいい。同意書をとって、上映に先立って、催眠のエフェクトとか、ついでに「NO もあ 映画泥棒催眠」なんかもかけてしまえばいい。

 もし、催眠にかからなくても映画を見ることはできるし、かかってしまえば、自分のなりたかった人生を生きることができる。

空想技術力

 ただ、村上さんも書いていたけど、催眠の場合は、自らの体験の及ばない点についての再現度は疑問が残るらしい。空想力が試されるということだろうか。4DXをたくさん見て、空想の幅を広げる? いや、それならやっぱり小説読んで、空を飛ぶ鳥を眺めて「あれはどんな気分なのかな」なんて、金子みすずさんのような心を目指して生きたいものだなと思います。

さいごに

あと実装したい4DXシリーズは、

 拷問シーンで、毒物を吹きつけるとか、宇宙船の事故のときには、館内の酸素を抜いてみるとか、火事なら実際に火を放つとか。テロリストの銃撃シーンでは、スタッフ総出で乱入するとか。やるなら本気で、映画見てる暇がないくらい過剰にやってみたりしてもいいんじゃないかと思います。そしてそれも映画の脚本に書かれているんだっていう映画。観客を巻き込んだ映画。演劇が方法論として取り込んだ手法を映画にも。

映写技師VSプログラム

 映画は上映も含めて映画なのだと、何かで聞いたことがある。AB二通りの結末を映写技師が気分で選ぶ映画とか、明るさ、暗さ。音声の大小だって、調整できた。

 「結末前に館内を明るくすべし」という映画を寺山さんが作ったけど、上映館でそれが守られたことはなかったよ、みたいなエッセエイも読んだことある。

 映写技師が映画に関わるというのは、今後、上映映画館の設備に依存する仕組みの映画が増えるにつれて、重要になってくる。ただ、そういうのってプログラム化したがるのが映画監督さんなのかもしれない。

以上、映画ってなんだろうって、改めて考えるきっかけになったジュニアさんの話、でした。ということで。これまで。