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望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

距離に安心しているような ―応援という支援

テレビ 時事 社会

被災地応援動画

 年末、Webで話題になった動画を適当に編集して垂れ流すだけの番組を選局途中に通りすがって、熊本の地震の支援で話題になった「支援の輪」が取り上げられていた。

海外在住の人達が、被災地のためにできることはないかと考え、友人知人に呼びかけて、応援メッセージ動画を作った。

世界中からたくさんの激励がUPされた。

「被災地の皆様が、笑顔になってくれればと思って」

番組はわりと時間を割いてこの動画を紹介していた。

現地の様子は無い

 実際に、この動画に対する被災者の方の反応や、現地に入っているボランティアの方々の映像は無かった。

そんなこと言っちゃ駄目な空気

 現場を遠巻きに眺めて、周りでかってに盛り上がられるのも、なんか、悲劇をダシに騒いでるだけみたいな気がしてこないだろうか。もちろん、善意の活動である。そんな眼でみることは、被災地からでも許されまい。

だけど、

「ありがとうございます」って頭下げないといけないの? こんな、全く関係ないお祭り騒ぎに?って、気分になるかもしれない。人の応援をする余裕があって、いいな って思うかもしれない。それがテレビで取り上げられて、有名になって。いい気分だろうなって思うかもしれない。

ボランティアの方へのリスペクト

 もう一つ。

 被災した方に対する応援と、ボランティアとして復興のために働く人に対する応援とは別だと思う。

好き好んでいくボランティア

 ボランティアとして実際に自分の生活を犠牲にして、被災者のために尽すという態度ほど尊いものはない。だけど、「ボランティアって、好きでいってるんでしょ。応援とか、支援とか必要ないでしょ」って空気を感じる。

負担になるなという負担

 現地の人は感謝してると思う。お金だけ集まっても、復興のためには動く人が必要だし。復興作業する業者さん、消防、自衛隊の皆様はお給料もらって、弁当も支給されてるんだろうから、ボランティアの皆さんにも、動員するならせめて最低限の衣食住は用意してあげるべきだとも思う。

 「被災地の負担になるなよ。と言われてものすごく過酷な条件で、労働三法の権利をかなぐり捨てて、他人のために尽す人々へをリスペクトする活動がネットで広がっています」とか、聞いたことない。
 見返りを求めない態度=ボランティア という図式は、おかしい。その尊い意思を発揮している人々をこそ、取り上げられるべきだと思う。

(人の手配をする業務には、中抜き、条件詐欺、パワハラなどがついて回る。チェックは十分に行われるべきだが、あまり機能していない。ボランティアと地方自治体の間に入るNPOなどは、上からは、丸投げだから、文句言えない感、下からは、ボランティアで参加してるから条件出せない感 に守られてるので気をつけておかねばならないね。お金が絡むと途端にね)

遠くだから…

 遠くだからと安心して「応援」してる、インタビューを受けていた人達の、達成感、満足感、そんなもので輝いている顔に、とても違和感を覚えたというブログです。

 やらないよりいいんだろうけど。なんか、「千羽鶴千羽鶴って、たとえば、病気の友人とかで、食べるものも制限されてて、手紙を読むのも負担だってとき、「元気になってほしい」と祈る心を象徴する最後の手段、としてあるものだと思う。被災者の方には、はっきりと、必要とするモノがあるわけで、千羽鶴の出番じゃない)もらっても困るの」みたいな気がしてしまったので、書きました。

発言権

 私自身は被災者でも、被災地でボランティア活動をしているわけでもなく、多額の募金も「買って応援(これも、潤うのは被災とあまり関係のない中間仲買業者だったりするし)」に積極的なわけでもないし、応援動画にも参加してないです。

だから、こういうこと言う権利は無いと「罪の無いものが石を投げよ」論で注意されたらひきさがるしかないのですが。

ぶっちゃけ

 なんか、なんか、イヤだったのです。応援動画参加者達の、距離に安心してる感じが。

 近くで災害が起こったら、この人達は全員、勉学もギターもかなぐり捨てて、ボランティア活動に従事するのかな? という私の暗黒面でした。