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望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

変態性欲の昇華 ~少女と人形とドールの精神性について

はじめに

今回の記事は、性的な用語を多分に含んでいますし、公序良俗上よろしくない話題が含まれているとお感じになられる可能性がなきにしもあらずといった内容ですので、そのあたりをご了承いただいたうえで、単なる私見の試論であることをお忘れなきよう、ご笑納下さいますことを希望する所存でございます。

用語集

V:ヴァギナ A:アナル P:ペニス D:ドール(オリエント工業社製の類)

人形:ハンス=ベルメールに影響をうけた球体関節人形。とくに四谷シモンさんの作。cf.NEVERまとめ (http://matome.naver.jp/odai/2136931417616169701
T:TENGA Oh:オナホ LC:ロリータコンプレクス(少女への恋愛・性愛嗜好者) Pism:ピグマリオニズム(人形愛者) Pdf:ペドフィリア小児性愛者。暴力的なイメージで)

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以下本文

理由なんてないんだろう

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『今夜は最高 タモリさん×四谷シモンさん(1983)』と、

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笑っていいとも! リリー・フランキーさん×タモリさん(2012)』

時空を隔てたタモリさんを介して邂逅した人形(作家)とドール!
 それをなぜ今思い出したのかはさておき、男性の性欲の話である。

フェティシズム

 人間は変態(byタモリさん)なので、恋愛はもちろん変態性の一つだ。巨大な大脳新皮質のせいか何かしらないが、全ての原動力は性欲ではないのかと思われるほど、人間は年中発情している。それが全て異性とのセックスのみに向かっては、全世界に恵まれない子供が溢れてしまう。フェチシズムとは、その性欲を適宜割り振る目的で組み込まれている変態弁だ。異性に対するノーマルとされる恋愛感情だって、フェチの対象が、絹やサドルではなくて、生身の異性だったという特殊解なのだ。まして、人間である少女にその嗜好が向かっても、不思議ではない、どころか、ゴムカッパの匂いに欲情するよりは正常値に近いとすらいえる。だが、カッパは窃盗だが、少女に対しては、誘拐、暴行、強姦、致傷、または致死、殺人になりかねない。

少女に魅入られた人々

 もともと、子供の無邪気さに性欲をかきたてられる性癖をもつものがどの程度いたのかは、古典ともいえる作品群にその嗜好が描かれていることから推察される。

 ナボコフの『ロリータ』、ルイス=キャロル『―アリス』、谷崎潤一郎『知人の愛』、アンドレ=ブルトン『ナジャ』『愛人―ラマン』とか、『南京の基督』もその範疇に入るだろう。

 男は少女に魅かれてきた。ただ、ここに挙げた作品に共通するのは、少女の肢体が入り口であったとしても、虜になるのはその「精神」だという点だ。
 きまぐれで、頑固で、弱くて、女であることも、子供であることもできる、まさに、千変万化のとらえどころのない精神に、大人の男達が翻弄され、メロメロになる。その時、大人の男たちは、翻弄されることもまた楽しみ、喜びとして受けいれているのだが、深みにはまるにつれて、そんな余裕はなくなる……
 「溌剌とした精神性」これは重要な点である。そして、今回テーマとした 人形とドールとを大きく隔てるものが、まさにこの「精神性」なのである。

結晶化と無抵抗化の差異

人形

 とらえどころの無い少女の精神を、どのように扱うべきか。

 人形においては、少女を完成された一つの世界として捉え、その最も美しい瞬間を、少女の精神ごと結晶化させる。実際には、完成された少女の一刹那の印象を、イコンとして固定することに全霊を傾ける。

少女を抽象化し精液のかからない時空へ

 そこにセックスが入り込む隙はない。人形のVはかすかな筋にすぎず、胸は固い。球体関節を得たからといって、抱き合うことなど憚られる。
 一方、美は崇高であるがゆえにそれを汚す背徳感が欲望を刺激する。汚すとは、端的にいえば触れることである。触れてはならないところに触れる=汚すことだ。しかし、崇高さとは見ることしか許されない、次元を隔てた存在なのである……

 だから、破壊する。
 人形の多くが、一部骨組みをむき出したり、四肢に欠損があったり、包帯を巻いていたり、畸形だったりする。
 完璧な美(=世界)として存在する人形は、この次元から消失してしまうから、男が触れた証の穴(VでもAでも)を穿つことによって、この世に留め置きたいという望みからの行為である。背徳によってつなぎとめた夢。それが人形だ。

ドール

 ドールはそれとは全く異なる使命を帯びる。ドールは男と寝ることを目的として製作されている。そこに崇高さは必要ない。美人であっても金を出せば買える存在だ。その意味では、花魁に似ている。だが花魁は先の少女達のようにプライドを持ち、それが同衾の困難を増す。そしてその困難がさらに執着を煽る。最後の瞬間まで従順さをもたないのが花魁だ。
 従順であるとは手の内にあるということで、それはかわいい、ということだ。ドールはひたすら従順であることを求められる。そしてセックスは蹂躙に等しい。

夜這い・ネクロフィリア、Pism

 生きた少女に従順さを求める場合、弱みを握っての騙りや脅迫(恋愛もここに含まれる)、誘拐監禁などによる洗脳、または夜這いのいづれかになるだろう。しかし、精神性を無視するとするなら、夜這いと、死んだ女(ネクロフィリア)と、Pismとの差はどこにあるのか?(夜這いは気付かれるかも、というスリルがある。という回答はまともすぎるので却下)

 ギリシャ神話におけるのPismの青年は、石像と相思相愛で指輪を交わして圧死する。この作品では、石像側が精神を持ったらしい描写があり、PismがPismではなくなっているので却下。
 石像が精神性を有さなかたった場合、青年が石像を破壊するか、しないか、交合を試みるか自慰をするかによって判断を下さねばならない。青年は石像の製作者ではないが、青年の変態性が、レディーメードの石像を崇高対象のアイコンとみなすのであれば、人形愛に近づくからだ。

 夜這いは、少女の精神プロセスを邪魔なものとし、男の思うがままに性交をするという欲望の充足ための手段である。
 川端康成の『眠る女』は、「老い」によって、辛うじて「夜這いAV」とは一線を画するのではあるが、性欲の発動には違いないので、少女をドール化している気分が強いようだ。たとえ、眠る女の横で自慰をする老人があっても、それは若い肉感に促された性欲であって背徳からではないだろう。
 ここには破壊のテーマがない。この場合の破壊とはすなわち交合だが、交合は人形ではなくドールの範疇に属するからである。

寝ている女性を起こしたいか?

 起こした後の拒否に対して暴力的に振る舞い屈服させること。レイプ願望とは、女性を抗うドールとして扱うことである。その抵抗はあくまでも男性の手に負える範囲のものでなければならない。
 予想以上の抵抗をうけたときの暴行と、人形の破壊とは全く異なることに留意しなければならない。レイプの際、少女への崇高の念など欠片もないのだから。

 ネクロフィリアも同様だ。ここで行われる死体損壊もまた、人形の破壊とは精神性が異なる。そもそもネクロフィリアは、死体に欲情することから発するのであり、必要なのは端的にいって、女の死体でありVだからである。

ドールのV

 かつて、『明石家さんま の 5時間くらい生きとる』で、「みさき」というドール(レンタル品)を注文していたのを見ていた。「みさき」にVユニットをはめ込む様子を見ていたさんまさんは、「外科手術やなぁ」と言っていたが、その作業そのものが、ドールを蹂躙しているように映った。
 レンタル品なので、使う前に消毒し清潔にした上で、最も重要はVユニットは新品を、その場で装着することで、使用者の安心感を促すものらしい。

極北のドール

 この場合のドールは包装なのである。それが好みであるに越したことは無いが、Vさえよければ、実用に足る。ここにおいて、性欲の精神性を極限まで唯物的に抽象化し機能のみを追及した成果としてあげねばならないのが、Tである。

 Tはもはや人の形を捨てた。機能性重視であって、精神性の欠片もない。射精にいたるプロセスに精神性は不要だ。肉体回路のみでも適切な刺激をあたえれば快感を得られる。好みの容姿については、動画なり画像なり想起なり、眼を閉じて思いのままだ。その状態において、人形とドールとの境界は、曖昧となり、確かなのは、射精時の快感とその後の寂寞とした感覚だけだ。

おわりに

と、冒頭の邂逅から以上のような雑感を書き記してみた。今後、3DCGモデリングは恐怖の谷を抜け、VのRはますます精巧となるだろう。技術は軍事から始まり、セックスによって広まる。僕の彼女は三次元ですという時代はもう到来している。そのとき、人形とドールと少女との関係性はどのように変化するだろう。

唯一つ重要なのは、以下の精神を忘れないことだ。

誰も、他人を手段としてのみ用いてはならない(柄谷行人著作内カントの言葉)

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左は富田靖子さん(『今夜は最高』より)