普遍宗教は一神教ばかり
強いですね。一神教。信者の団結力が違います。
僕が好きな、「密教的なんでもOK(でも空)」じゃ、ゆるすぎるのかもしれません。だいたい、論争にもならないし。こちとら常に、「へりくだった上から目線」だと思われちゃうだろうし。迫害されるけど、攻撃できないものね。(自分を守るためには逃げまくる。布教するけど、「救い」のベクトルがずれてるから、大衆受けしないね。っと、これはまた別のお話)
一神教が多数ある
問題なのは、一神教が複数あって、覇権争いをしてるってことです。
この世界の創造神が複数いるっておかしくない?
「俺です」「俺です」「いいや、わかってるだろ。俺です」
って、創造神選抜総選挙に立候補。それぞれに得票を重ねて、上位数神が選出されて。票が割れたら多数決ってことにすればよかったけど、なんか、「信教の自由」とかが、中途半端にあるから、勇者並び立つって状況になって…
「こっからは、戦争じゃぁ われぇ!」
ってなった。しかもこれ、人間対人間の血で血を洗う、下っ端の代理抗争。信仰かけての死闘。「○○万歳!」って命を投げ出す至高。って、たち悪いなぁ。
上で話し合ってから、降りてきてよ。全く(プンスカ)
一神教という独裁
組織力
当時、当地で圧倒的な反体制組織を作り上げることができたのは、教義が民衆のニーズにフィットしたんですね。
「あ、そんなこと、望んでもいいんだ。そうか。ついてこう」みたいな。
八百万の神だと、一致団結の旗印としてはブレるかもしれない。っていうか、神にお願いする方法はあっても、人に要求を通すっていうのには、適してないな。自然の中の私。『森林の思考』だよね
「自由・平等・友愛」みたいな旗印を「唯一神」の名の下に掲げて、大移動したりする。神輿はでかい方がいい。苦労してきた人が、支配からの卒業。
「行けばなんとかなる? ここにいるよりはマシ?」
奇跡なしでは、お腹もすくだろう。自由という苦役に喘ぐのは、その少し後の話。
信じてくれないの?
根拠の無いものを、根拠の無いままに、信じる。それが信仰だということです。科学万能のご時勢で、ここが一番の踏み絵かな。
「信じるものだけが救われる」っておどしてるわけ。疑うこと自体が罪なの。そういうことになってる。数々の奇跡があったなら納得だけど、本当のところ、それらは後付だし。
「隣近所もみんな信じているから、うちも信じないと、村八分だわ」っていう感覚は多分ある。それは宗教ってか、自治会の体質問題。いじめの構図。
あなたの神は妬む神
嫉妬とか、一番駄目なやつじゃん。
「私だけを見て。ねぇ。今、他の神みたでしょ? 信じられない。ありえない。もう、天罰下す。七代たたってやるから。ね、ありのままの姿なき私を信じてくれなきゃだめ。身体を想像するとか、いやらしいわね。虐殺しちゃうから」
かまってちゃん、なのかなぁ、これ。人気は出そうだけど、つきあうとなると、苦労するタイプ?『富江』的な? でもこれ、人間がこしらえた決まりごとなんだけどな。
偽者は敵だ
で、こうなっちゃう。神を信じることは善意以外の何者でもない理性の力だ。それなら、神のために敵を殺すのは、善意以外の何者でもない理性の力にほかならない。
信じるもの、守るべきものを守るために、敵を殺すことが正義なのは、戦時の価値観だ。並び立つ一神教は常に戦争状態にある。正義の戦争。善意の死闘。殺すことも殺されることも、救いであるという価値観。一神教の覇権とは、面積と人口で測られる。帝国主義そのものなのです。
地上の神
隣近所=民族=国家
こんなに根拠無い一神教でも、着々と信者を増やしていくのは、やっぱり、家族とコミュニティーという縦横の繋がりが、網の目となって住む人々を絡めとっていくんだろうな。幼い頃の教育って、重要だし。他の選択なんて与えられないだろう。この信仰の外に自由はないというスタンス。(それで、反抗期には改宗が選択の一つになったりするんだな。)
まずは、世界レベルに。あとはそれぞれの場で伝承していけばいい。地域が他の地域を占領し、国となって、他の国を支配下におく。そのとき、宗教も一緒にもっていくから。植民地なんかも、だいたい宗教とセットでもっていく。
『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』なんか読むと、宣教師って、国土地理院よりスゲェってなる。ただ、この作者さんは、信仰的には返り討ちにあってるけども。
日本は政教分離だけど、そんなことが可能なのは、まさに無宗教国だからだね。日本っておもしろい。でもそれはまた別のお話。
どこまで利己的なの
世界制覇を目論む理由って? 自国の糧とするため。できれば、外地の労働力で、内地にベーシックインカムを達成させたい。福祉国家万歳。ってところ。結局、ODAもそういうことでしょ? ばんばんお金つぎ込んで、日本を越える産業国になってもらって、日本人を安く使ってもらえたらうれしいです。なんて考えてないでしょう。(このことはいづれまた)
おわりに
一神教と国家と私は似ている。
外に厳しく、内に優しい。
『人間だもの』
思い出していた文献
「水の迷宮」石持浅海さん
「森林の思考・沙漠の思考」鈴木秀夫さん
「ピダハン」 ダニエル・L・エヴェレットさん
「世界史の構造」柄谷行人さん