望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

The MARTIAN は『オデッセイ』ではなかった件 ―臆病で姑息なSFたち

映画館でみた予告編でとても楽しみにしていた

絶体絶命。火星に取り残された孤独な植物学者の、ジョーク心を忘れない極限サバイバル!

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 明るい「南極物語」だし、敵が存在しない「ダイ・ハード」だし、限られた資材と柔らか頭で技術的問題点を克服してゆくという点で「アポロ13」だし。そりゃ「127時間」なみの描写があるかもしれないし、「ゼロ・グラビティ」のような緊迫感は必然だ。
 ともかく、ワンシチュエーションSFとして、ありとあらゆる資材を、知力で活用していく姿勢となると、『13号独房の問題』(『思考機械の事件簿』)的な要素も入ってくるな。ともかく面白そう。

結論:あんまり、おもしろく感じなかった

バイバル感が希薄

tyr & error の描写を省略しすぎ

期間の長さがあまり感じられない。髪や髭が伸びるとか、壁にかかれる日にちの記号が増えるとかいうくらい。また、地球との交信にかかるタイムラグも省略されてしまっている。「無為な時間の経過」が「生命維持のリミット」に直結している感覚が薄まってしまう。

孤立感があまりない

 早い時期にNASAとの交信が可能となり、NASAの尽力がメインとなる逆転現象が起こったこと。
 ライフログを記録している映像が、始終誰かと会話をできているような錯覚を招く。これが、誰もいないところで独りでしゃべっている虚しさ、脱出失敗した場合の覚悟、といったものに繋がらなかった

創意工夫のわかりにくさ

 放棄された遺物などをつかって、16進数によって地球からのメッセージを受け取るシーンや、この映画の最大の見ものであったじゃがいもの栽培。船外探査車の燃料問題など、植物学者、科学者としての知力を生かした解決は多々あったのにもかかわわらず、「おぉー」という驚きがなかった。「そんな風にできるんだね」という感じ。また、科学的にぶっ飛んだ応用事例があったとしても、そのぶっ飛び具合がわからなかった。

問題点とか気持ちとか、いろいろ放り込みすぎ

 火星に独り取り残された男のサバイバル。が見たかったのだが、延々とルーティーンを繰り返すというサバイバルの本質に、映画自体が飽きてしまった、というか恐れてしまったのではないか?

 つまり、観客に飽きられるという恐怖だ。

 そのため、地球上でのNASAの対応やら、救助スタッフのドタバタやら、人事問題やら、救出法を考え抜く人々の散漫な描写が増えていき、さらに、置き去りにしてしまったとの悔恨の情に苦しむ宇宙船のクルー達の心理を適度にまぜこんだ挙句、全体が薄まってしまった。

 お約束の、アメリカの国威高揚と、外交的配慮をしっかりと入れ込んで、

ひじょうに個人的な事情の解決=全世界の幸福

 というハリウッドパニック映画図式を踏襲していることに、シラケル

最大の問題点はラストだ。

 そしてついに私は、この映画のラストに、現在のSF映画、ひいては社会が抱える問題点を見て取ったのであった!!

SFが夢を語れない時代

 映画のラストで、主人公は自らの体験を若手に講義している。
 そこで語られる言葉は、べつにこの映画でなくても、どこにでもあるありふれた人生訓でしかなかった。

 ここに おいて、この映画が「オデッセイ」などという大層な言葉で表されるものではなく、「The Martian」ですらなかったのだと、結論付けざるを得なくなったものである。

ありうべきラスト

 初老の男が、アメリカンカントリー風の家のコテージで、ロッキングチェアーに揺られている。目の前には、青々としげるじゃがいも畑が広がる。満足そうにパイプをくゆらせ、新聞を読む男。
 その場面からカメラが次第に引いていくと、ジャガイモ畑のある一角は巨大なハウスで、その周辺は赤い沙漠であり、それが火星であることがわかる。

 火星でのサバイバル経験から、火星の土壌改善に生涯を捧げ、火星での農業の実用化に成功した男。彼が新聞片手にほおばるのは、ほくほくのジャガバターであった。

 これなら、「オデッセー」だし、「The Martian」といえるのではないだろうか。

陳腐な夢物語?

サイエンスフィクションは、サイエンスファンタジーであってほしい。

 今の映画は、

日常⇒事件↓⇒(創意工夫・技術・勇気・団結)↑⇒日常

 という図式ばかりだ。「うんとがんばって、原状復旧。よかったね!」 じゃないよっ。

 科学技術が、未来に対して警鐘を鳴らし、悲観的観測ばかりを提供して、明るい未来を語ろうとしないのはなぜですか?

 科学とは、明るい未来のためにあるのではなかったのですか?

 もし科学が明るい未来を語れず、夢を捨てさせることにしか現実を見出せないのだとしたら、「死=救済」という片寄った宗教観に太刀打ちできないことになりますよ。

人間でやると恥ずかしいからって

 ファンタジーにしてもね。人間でやったら恥ずかしいから、動物とか車とか魚とかおもちゃとかにやらせてるだけの、茶番だね。

 サイエンスがだめだとファンタジーだって相対的に駄目になる。そしてこの両方が駄目ってことは、その地盤にある「現実」が疲弊、枯渇、死んでいるってことだ。

地質改良が急務

 というわけで、火星の地質を改良するように、この「現実」という土を、復活させる有機肥料なり、ミミズなりを投入する智慧が、今もとめられているのではないのか、というお話でした。